マーク・ワインガードナー

mike-cat2005-11-08

メジャーリーグ、メキシコへ行く―メキシカンリーグの時代 (海外文学セレクション)


二次大戦が終わったばかりの1946年、
こんどは、野球界の「メキシコ戦争」が勃発した。
メジャーリーグのオーナーたちは横暴を極め、
ニグロリーグは曲がり角を迎えていたその時代、
メキシコの富豪ホルヘ・パスケルは、大量の選手引き抜きで、
メキシコ・リーグを最高のリーグに引き上げようと、画策していた。
メジャーリーグからは、マックス・ラニアー、ミッキー・オーエンら
ニグロリーグからはセオリック〝ファイアーボール〟スミスら
きら星のごときスターたちがメキシコの太陽の下、駆け回る。


熱狂的だが、どこか牧歌的なメキシコ・リーグの光景とともに、
選手会フリーエージェント制導入のきっかけを作った、
ダニー・ガルデラも登場し、野球の歴史がうねり始めた瞬間が描かれる。
そして、ベーブ・ルースアーネスト・ヘミングウェイ
ディエゴ・リベラフリーダ・カーロ、そしてマリア・フェリックスといった、
各界のスターたちが、その熱いシーズンに、彩りを添えるのだ。


野球の1シーズンを振り返った名作といえばまず、
1949年のヤンキースレッドソックスの優勝争いを描いた、
デヴィッド・ハルバースタムの「男たちの大リーグ (宝島社文庫)」が思い起こされる。
ジョー・ディマジオテッド・ウィリアムスという伝説的なスターを擁した、
両チームの熱闘は、いま思いだしても熱くなるくらい面白かったのだが、
この小説は、違った趣向でその熱い夏の場面場面を切り取る。
その後に、いわゆる〝保留条項〟との戦いに挑んだガルデラだったり、
ファイアーボール・スミスが送ったシーズンの熱狂ぶりだったり、
語り部となっている作家志望の野球記者、フランク・ブリンガー・Jrだったり…
正確な史実とフィクションと交え、当時の〝熱いメキシコ〟が再現される。
時に散漫な印象も否定できないが、その散漫でのびのびした構成にこそ、
当時のメキシコリーグの状況が表れているのではないのか、とも感じられる。


読む前は、その後にアンディ・メッサースミスらが切り開いた、
FA制の歴史の黎明期を描いた歴史ものっぽいイメージもあった。
だが、この小説が描くのは、メキシコ・リーグの1946年シーズンそのもの。
その独特の雰囲気が、どこか読む側を惹きつけてやまない。
正直、その当時の選手の名前にそこまで詳しいわけではないが、
スタン・ミュージアルだの、ジャッキー・ロビンソンだのの名前も出てくると、
何だかとても臨場感みたいなものが感じられて、燃えてきてしまうのだ。


僕も実際、メキシコシティでの試合を観戦したことがあるのだが、
あの騒然と、そして雑然とした、熱狂的な雰囲気は何とも言えない。
試合はメッツとドジャースのオープン戦だったのだが、
アメリカで観る野球とは、明らかに何かが違っていた。
それが40年代であるなら、なおさら独特の雰囲気を醸し出す。
外野に鉄道のレールが通っている球場があってみたり、
ピストルを持ち出す審判がいてみたり、
気圧の関係でボールがピンポン球みたいに飛んでいってしまったり…
(余談だが、ピンポン球って、本当はそんなに飛ばないのだが…)
何と50歳を迎えたベーブ・ルースが〝現役復帰〟してみたり…
そんな見たこともないような、とんでもない野球が展開するのだ。
(もっとも気圧の件は、コロラド・ロッキーズができてアメリカでも普通になったが…)


印象的なのは、当時メジャーを代表するキャッチャーの一人だったオーエンが、
ニグロリーグじゃ試合にも出られない」と、クサされてしまう場面。
(もっともオーエンは、〝球史に残るパスボール〟で有名だが)
当時のニグロリーグのレベルの高さがしのばれる部分でもある。
実力を認められなかった、アフリカ系選手たちのこころの叫びが聞こえてくる。
何せ、あのジャッキー・ロビンソンだって、ニグロリーグのレベルからすれば…なのだ。
人種の壁がもたらした悲劇の重みというのを、いまさらながら考え込んでしまう。


そして、メキシコの熱い夏は、一抹の寂しさを残し、去っていく。
また、メキシコ人の側からのミッキー・オーエン評も印象的だ。
オーエンを、金や銀を求めやってきて、アステカの民をレイプしたスペイン人、
そして、人民を弾圧する傀儡政府を支援して、金持ちになったフランス人、イギリス人、
メキシコの黄金をポケットに詰め込めるだけ詰め込んで、闇に紛れて帰ったアメリカ人たちと…
メキシコ・リーグの一瞬の隆盛、そして凋落はどこかメキシコそのものを感じさせるのだ。


小説全体の盛り上がりで考えると、
前にも書いた通り、散漫さも目立ち、一気に読んでしまうようなパワーはあまりない。
むしろ、じっくりと読んでいくべき小説なのではあると思う。
だが、1946年の熱い夏に、浸ってみるのは、悪くない気分だ。
そこには「男たちの大リーグ」とは違う種類の感動が待っている。