西原理恵子「営業ものがたり」

mike-cat2005-11-01



あの切ない切ない傑作「上京ものがたり」「女の子ものがたり」。
その2作に続く3部作完結編、と思って読んだら大間違いだった。
刊行のフォーマットこそ一緒なんだが、その後日談+α。
その〝α〟が、浦沢直樹「PLUTO」との競作!?「うつくしいのはら」なので、
この〝α〟こそがメインという考え方もできるのだが、
本の大部分はまあ、「上京ものがたり」「女の子ものがたり」の営業日記。
そのテイストたるや、「鳥頭紀行」「できるかな」のテイストそのまんまなので、
まあ「うつくしいのはら」を本のタイトルにできないわけは明白だったりする。


しかし、すごいのだ。
西原理恵子の二面性をあらためて垣間見た、という感じだろうか。
あの美しくも壮絶で、切なくも残酷なあの2部作を書いた人間が、
何じゃそりゃ、的というか、いかにもサイバラ的な営業を繰り広げる。
これにはただひとこと「すげえなあ」としか言いようがない。
まあ、このキャラクターというのも、
りえぞう先生の本来的な繊細さに対する、照れみたいなものあるのだろうけど、
つくづく、その激しさたるや、電車の中で読むのがかなり困難なくらいだ。
いや、笑いをもらしてしまうだけならいいのだが、
後ろからのぞき込まれた日には、どんな誤解を生むやらわからないような記述もちらほら…
ま、それもいつものサイバラ作品といえば、そこまでなんだけど。


岩井志麻子とか出てくる回なんか、
かわいいひよこ絵の向こうに、リアルにやばい場面が想像できてしまったりして、
いや、よくこのシトたちは、こんなことばかり…、と苦笑を禁じ得ない。
毎日かあさん」の笑いとペーソスの絶妙なバランスもいいが、
この毒毒ペーストも、やはり捨てがたいな、なんて思いながら、
「うつくしいのはら」に差しかかったわけなのである。


困るよ、という感じだ。こういうグログロの中に突然、可憐な花一輪、みたいな。
感情の切り替えが、うまくできないまま読んでしまったのだ。
で、どうなったかというと、思わず泣いてしまったのだ。
もう少しこころの準備をさせてくれないもんだから、抑えられなかった。
すごい作品だ。もう、グググッと魂をつかまれたような感じ。
強烈に切なく、強烈に哀しく、強烈に救いがない。
けど、なぜか穏やかな気持ちにさせてくれるような、不思議な作品だ。
実は浦沢版「PLUTO」は完結するまで我慢しているし、手塚治虫の原作も読んでいない。
だから、ほかの作品とのテーマの共通性とか、そこらへんは全然わからないんだが、
それでも、この作品そのもののよさ、というのは、伝わってくる。
数々の傑作を生み出したサイバラ作品(切ない系)の中でも、かなり傑出した作品だと思う。
オビにある〝生涯の最高傑作〟というのも、ダテじゃない。
この作品10数ページだけでも、たとえ倍以上のお金を積んでも必読といいたい。
やっぱり、西原理恵子って、とんでもない漫画家だな、と感心させられること請け合いだ。


でも、終わるとすぐに、あの毒毒サイバラワールドに逆戻りするのだ。
浦沢直樹とのアホ合戦も、とにかく笑わせてくれて、
さっきまでのあの突き動かされるような感情の波は、また行き場を失う。
で、ひたすらばか笑いを続けるしかなくなってしまうのだ。
つくづく、罪作りな漫画家でもあったりするのだ、サイバラりえぞう先生というひとは。


読み終えて、思わず「上京〜」「女の子〜」も再読してしまった。
で、ついでに「恨みシュラン」とかも強烈に読みたくなる。
「ちくろ幼稚園」の頃からのファンとしては、もうたまらない気持ちになってしまう。
サイバラ熱〟を、ギュッと再燃させるような、そんな作品集だった。
ああ、「毎日かあさん」も、また読みたいな、なんて思いながら、本を閉じたのだった。
←ああ、これも欲しいな…