ロバート・J・ソウヤー「ハイブリッド―新種 (ハヤカワ文庫SF)」

mike-cat2005-10-31



ネアンデルタール・パララックス3部作の完結編。
ホミニッド-原人 (ハヤカワ文庫SF)」「ヒューマン -人類- (ハヤカワ文庫 SF (1520))」で張りめぐらされた、
さまざまな伏線が一気に収束され、物語が大きく動きだす。
まさに完結編にふさわしい、ダイナミックな展開が味わえるのだ。


ホモ・サピエンス=グリクシンとの交流を含めるネアンデルタールバラストたち。
ポンターとの新しい関係を築き上げようとするメアリだが、
さまざまな文化の違い、そして価値観の違いがふたりの間に立ちはだかる。
何よりも大きかったのは、宗教観の〝有無〟だった。
神の概念を持たないネアンデルタール人と、宗教に魂の救済を求めるグリクシン。
ふたりは子づくりという現実的な問題にさしかかり、激論を交わす。
果たして、宗教は〝ひと〟に幸福をもたらすのか。
一方で、ジョック・クリーガー率いるシナジー・グループは、
ネアンデルタール人の世界に向けた、ある計画を進めていた−。


前2作では、ほぼユートピアとして描かれていたネアンデルタール人の世界。
だが、この作品ではそれを支える社会システムの堅苦しさ、のような部分も提示される。
知能指数や犯罪傾向などによる優生学的な思想だ。
知能指数で一番下の数%に相当する人間は、子孫を残すことができないし、
犯罪者は、その子どもにいたるまで、去勢の措置を施される。
ある意味〝純粋な〟優生保護が描かれるのだ。
そこには、種の保存、繁栄という社会の利益を優先させた原理がある。
これがわれわれの世界だと、必ず差別とか私利・私欲・私益がからんできて腐敗するのだが、
ネアンデルタール人の世界では(というか、この作品では)、
純粋に社会の利益が追求されるので、その効果は間違いのないものとなる。
つまり、理屈の上では、素晴らしい理想郷を作るのに最適な思想ではあるのだ。


でも、理屈では割り切れない、釈然としないものも残るのだ。
それは、たぶんそんなに優秀な遺伝子を持っていないから、という部分もあるだろうけど、
どこか人間や文化の多様性を否定しているような気もするし、
何だか、雑然さのまったくない、面白味に欠ける世の中ができそうな気もするのだ。
〝こちらの世界〟に慣れ親しんだ身としては、
あまりに整然とした世の中というのは、どこか居心地が悪く感じられそうだ。


しかし、その一方で、
多くのひとが貧困と飢餓に苦しみ、差別や犯罪が満ちあふれ、
壊滅的な環境破壊が進むもう一方の世界がベストかといえば、これまた疑問だ。
「〝こちらの世界〟がいい」と言えるのは、あくまで被害者ではないからで、
貧困に、飢餓に、差別に、犯罪に苦しむ側に立ってみたら、同じことはとても言えない。
あくまで、いまの自分にとって、都合のいい世界でしかないから、そう言えるのだ。
ましてや、前作で登場したジョック・クリーガーのような怪しい人物が登場すると、
人類、というものの罪深さが、あらためて強調されてしまう。
あくまで第三者的な立場に立てば、人類など百害あって一利なし、の存在だ。


で、この作品の中では、
ネアンデルタール人の世界と、〝こちら〟の世界の相違を生み出した原因を宗教に求める。
というか、歴史をひもとけば、人類の誕生以来、
つねに災いは宗教とともにあったのだから、歴然とした事実でもあるのだが、
まあ、そこらへんは様々な考えもあろうから、あくまで〝作品のスタンス〟として考える。
で、作品では、この〝神の概念〟を司る部分が、脳のどの部分か判明してしまうのだ。
で、じゃあ、どうするのか、という議論が、(物語世界では)現実の問題として持ち上がる。
その、なかなか物議を醸しそうな「宗教は害悪に過ぎないのか?」の議論が、
かなり大胆な形で展開されていくあたり、かなり挑戦的な小説でもあるといえる。


僕自身は、信仰(Faith)の有用性は認めるけど
宗教(Religion)という形にしてしまうと、いろいろと問題が生じるものだ、ととらえている。
だから、この小説は面白い思考実験だと思うけど、さほど刺激的ではない。
多くの日本人は特定の宗教を持たない、
もしくはかなり都合のいい解釈で宗教を扱っている、とすれば、同じような感覚だろう。
しかし、いわゆる保守的なカトリック信者なんかには、
かなりバチ当たり的な印象も強いんだろうな、なんて思いながら読んでしまった。
というか、保守的な信者はSF読まないのかしら、なんてことも考えたのだが…


小説そのものは、最後のまとめ方が微妙にごまかされたような、
尻切れとんぼに終わったような部分も微妙にあって、
ストーリーの面白さでは1作目に及ばないのだけれど、
思考的な実験、という意味での面白さは、かなりのものだ。
ある意味、アンタッチャブルな話題にもなりかねない、
宗教の話題をここまで掘り下げた勇気だけでも高く評価したいと思う。
そんなわけで、いろいろと唸らせられた3部作を読み終え、達成感でいっぱい。
もちろん、読み終えてしまった寂しさもあうのだけれど、
それはまたほかのソウヤー作品で楽しめばいいのかな、と。
何はともあれ、おもしろい作品だったな、と感慨に浸るのだった。