伊坂幸太郎「魔王」

mike-cat2005-10-25



表紙にドーンと大きく書かれた「魔王」が印象的な最新作。
〝未来にあるのは、青空なのか、荒野なのか
 世の中の流れに立ち向かおうとした、兄弟の物語〟
〝ひたひたと忍び寄る不穏と、
 青空を見上げる清々しさが共存する、圧倒的エンターテイメント〟
これだけ読んでも何だかわからないが、
本編を読み終えた後には「ほうほう、なるほど…」と感心するオビだったりする。


日本は、もうどん詰まりになっていた。
長引く不況、不当な圧力をかけ続ける米国、
東シナ海での不法な天然ガス採掘など、やりたい放題の中国。
そんな状況にも、無策で無能な政治家たち…
閉塞感と鬱屈ばかりがたまる世の中に、ある男が立ち上がった。
野党、未来党の党首、犬養。
「五年で景気を回復してみせる。五年で、老後の生活も保障しよう」
「五年だ。もしできなかったら、私の首をはねるがいい」
「この国の未来のために、
 アメリカや欧州諸国への態度もはっきりとさせよう。アジアの大国に対しても」
一方、〝俺〟は、
ナショナリズムを前面に押し出した犬養に、ファシズムの匂いをかぎ取る。
突然手にした〝ある力〟で、〝俺〟、そして弟の潤也は犬養に立ち向かう。


ある〝特別な力〟を得た男の、孤独な戦い、と聞くと、
スティーヴン・キングの名作「デッドゾーン」を思い出す。

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

事故で未来が見えてしまうようになった男が、
将来世界を破滅に追いやる政治家に孤独な戦いを挑む。
クリストファー・ウォーケン主演で映画にもなったが、
切なくて、哀しくて、何ともいえない味わいの作品だった。


その〝能力〟に違いはあるのだが、
「考えろ」が口癖の主人公〝俺〟がまた、唸るくらいにいい。
文字通り、非常に思索的だ。
小理屈をこねる、というのとはまた違う。
いわゆる思考停止に甘んじるということのない、前向きな性格。
かといって、真っすぐ思考でないところが、また憎かったりする。
「考える」ようになったきっかけもいい。
冒頭での、大学時代の友人、島との会話からだ。


「『冒険野郎マクガイバー』だ。マクガイバーはさ、身近な物を武器にして戦うんだよ。
 まあ、工夫が得意なんだな。で、その主人公がよく困難にぶつかると、自分に言うんだ」
「何て」
「『考えろ考えろ』ってさ。よし、考えろマクガイバー。自分に言い聞かせるわけだ」
「妙に内省的な冒険野郎だな」
つまり、子どものころに見たヒーローへの憧れそのままなのだ。
だから、誰もが無批判に受け入れる、犬養の〝心地よい〟言葉も、
きちんと考え、自分なりのフィルターに通してから、判断を下す。
そのフィルターが、ちょいとだけ独創的、というのも、また特徴的ではあるのだが。


物語の舞台は、現代の日本とほとんど同じ。
依然変わらぬ政治腐敗、そして改革を旗印にした政治家のごまかし、
そしてそれに対する国民の白けたムードであったり、
たとえば、憲法第九条のなし崩し的な〝改正〟であったり、
現実に起こりうる事態が、ごくリアルな形で描かれていく。


そんな時代に、求められる指導者、犬養は「強い男」だ。
〝世界警察〟米国に対しても、〝人口13億〟中国に対しても、毅然とした態度を崩さない。
国内の改革に対しても、同様だ。
曖昧さを廃し、わかりやすく国民に語りかける。
小泉某のように、国民にとっていま一番の関心事とは思えない
郵政民営化」であるとか「靖国参拝」にばかり、なぜか強気な男とはだいぶ違う。
なるほど、閉塞感にうちひしがれた日本にはうってつけの人材だ。
現実に、こういう人材が現れたら、圧倒的な支持を受けることも想像に難くない。
誰もがどこかで、こういう強い指導者を求めている部分を多少は持っているはずだ。


しかし一方で、その犬養にファシズムの匂いをかぎ取る〝俺〟の嗅覚も確かだ。
〝俺〟は、犬養のたたずまいに独裁者ムッソリーニと同じものを感じる。
あいにく、僕はムッソリーニにはあまり詳しくないが、
社会の閉塞感、わかりやすい道を示す強い指導者、とくれば、
あのヒゲ男が思い起こされる。そう、ヒットラーだ。
排他的なナショナリズムの台頭が、国全体を暴走させていくのだ。
いまの日本には、当時のドイツの状況と似通った点も少なくない。
こちらも、現実に起こりうる事態として、
ひたひたと忍び寄る恐怖が、描かれているのだ。


〝俺〟は、そして潤也は、挑んでいく。
とはいえ、その政治的部分は主題ではない。
あとがきで
ファシズム憲法などが出てきますが、それらはテーマではありません。
 かと言って、小道具や飾りなどでもありません〟
とあるように、その戦いの結末そのもの、というのは描かれない。


「でたらめでもいいから、自分の考えを信じて、対決していけば、世界が変わる」
物語の主題となるのは、その信念、
そして信念に基づいて戦いを続ける〝俺〟と潤也の兄弟の絆だ。
時間軸が、兄弟の意識が、微妙に交差し、リンクしていく、その語りも絶妙。
ツァラトゥストラはかく語りき」や宮沢賢治の引用も、独特の風合いを醸し出す。
過去の伊坂作品とのリンクもあったりして、ファンにはたまらない〝おまけ〟もある。
なるほど新しい代表作、という惹句も、まんざらではないな、といったところか。
夢中で読み終えると、独特の深い余韻が残った。
いまさらだが、伊坂幸太郎、もっと読まないといけないな、と実感したのだった。