ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン「9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言」

mike-cat2005-10-21



2001年9月11日の米同時多発テロで、全世界を衝撃に陥れた
世界貿易センター(WTC)への旅客機突入、崩落事件を再現したノンフィクション。
あの衝撃の映像は、いまでも脳裏に焼きついているし、
テロの裏にあった巨大な陰謀は、もうマイケル・ムーアの「華氏911」で暴かれた。
(もちろん、全部が全部鵜呑みにするのもどうかという部分はあるが…)
勇敢に人命救助に臨んだ消防士、警察官による英雄譚も、数多く語られた。


しかし、この本では、
それだけでは見えてこない、リアルな〝現場〟が再現される。
生き残った人々への膨大にして詳細なインタビューをもとに、
午前8時46分、北タワーへのアメリカン航空機突入から、
午前9時2分の南タワーへのユナイテッド航空機突入、
その56分後の南タワー崩落、そして午前10時28分の北タワー崩落まで、
まさに運命の102分間を、被災者の視点そのもので描くのである。
そこには、確かに感動のドラマもあるのだが、
一番に感じられるのは、もどかしさなのである。


WTCが建築当時の不動産業界の〝事情〟によって、
防災設備を簡易化された欠陥ビルであったことや、
不仲で知られる警察と消防の連絡が、あの一大事にあってもほぼ没交渉だったことなど、
「信じられない悲劇」という言葉で片付けられない、
さまざまな人災的要素を兼ね備えていることもきっちりと指摘する。
犠牲になった消防士たちの勇気を過剰なまでに讃えることで、
管理側の見通しの甘さや、法整備のお粗末さ、行政サイドの災害への準備不足など、
さまざまな問題を、覆い隠そうとする〝策略〟などが、見えてくる。


断片的な形で登場する、さまざまな犠牲者、被災者たちの人生が、
ほんのちょっとした手違い、ほんのちょっとした見通しの甘さ、
ほんのちょっとした経済効率、ほんのちょっとした判断ミスで奪われていく。
そこには、「本当にしかたのない」こともあるのだろうが、
ほとんどが、「決して防げなかったわけではない」というレベルのものだ。
一般的な感覚でいうと、
飛行機による自爆テロという、トム・クランシーの小説そのまんまの〝絵空事〟が、
現実のものになったというだけで、もう思考停止になってしまう。
だが、政府レベルでは、
過去に計画されたテロを把握もしていたし、現実に事前情報もあったのだ。
それでも「まさかやらないだろう」と甘く見ていた現実があるのだ。
ましてや、WTCは1993年にもテロを経験していた。
その際にいくらかの改善はなされていたとはいえ、
構造的な欠陥については、ほとんど手が打たれないまま、見逃されてきていたのだ。


地震でも、台風でも、尼崎の列車事故でもそうなんだが、
こういう災害があると、あとから続々と「実は…」が出てくる。
つくづく、世の中なんて、いいかげんなものだとあらためて実感する。
かといって、心配しだしたらきりがないから、対処のしようもない。
結局、自分が巻き込まれないですむ、という確率、つまり運だけしかなかったりするのだ。
新聞の社会面や、テレビの安いドキュメンタリーみたいな
〝お涙ちょうだい〟や〝えせ正義っぽい視点〟がない分、
そんなもどかしさ、みたいな部分が強烈に伝わってくる。
ニューヨーク・タイムズ」の記者&編集者らしいが、
これだけ客観的な視点を保つのも、なかなか難しかったのだろうと思う。


で、本そのもの、について。
とにかく名前がたくさん出てくるので、それに閉口するヒトもいるだろう。
カタカナ名前にはかなり自信のある方だが、
100人単位で次々と登場する人名には、さすがに混乱してしまうこともあった。
ただ、あまり明快にそれぞれの名前がリンクしなくても、
その102分間の様子はかなりリアルに伝わってくる。
面白い、興味深い、という言葉はやや不穏当ではあるし、
読み終えての後味は、犠牲者のことを考えれば当たり前だが、あまりよくない。
だが、とにかく読ませる一冊であることも確かだろう。
あの事件に、何らかの衝撃を受けた人間には(受けない人間もすごいが…)必読の一冊だ。