奥田英朗「ララピポ」

mike-cat2005-10-01



〝最新爆笑小説、誕生!
 いや〜ん、お下劣。
 ※紳士淑女のみなさまにはお勧めできません。(作者)〟
奥田英朗の爆笑小説、といえば、Dr.伊良部の
イン・ザ・プール」、そして直木賞受賞作となった「空中ブランコ」。
そのテイストを存分に生かし、現代社会の負け犬たちを描いた連作集だ。
お下劣、ってほどお下劣でもないが、まあ品のないことには間違いない。
紳士淑女に〜、ってのはまあ冗談としても、
読んでいるところを横からのぞかれたら、ちょっと一瞬焦るかも知れない。


〝「しあわせ」って何だっけ? 
 選りすぐりの負け犬たち、ここに集合〟
〝勝ち組なんて、いない。
 神は何故、この者たちに生を与えたもうたのか?〟
オビの惹句が、何ともいえない情けなさ、イタさ、そしてペーソスを醸し出す。
文字通りの負け犬たちが、あきらめ、流され、あがく様を、
勝ち組の視線からでなく、まさに同じ負け犬の視線の位置から描き、そして茶化す。
だから、どこかもの哀しくも、ヘンな憐れみはない。
そして苦笑がほとんででありながらも、そのみっともなさに笑いを禁じ得ない。
多くの人が心ならずも抱えているはずの、
〝負け犬の部分〟に訴えかけてくるから、何だか他人事とも思えない。
読みながらトホホと思いつつも、いや、さすが奥田英朗、と唸るしかない傑作だ。


6部構成による連作は、音楽史に残る名曲のタイトルで彩られる。
対人恐怖症で、盗聴マニアのフリーライター、杉山博(32歳)を描く1編目は、
ドゥービー・ブラザーズ「WHAT A FOOL BELIEVES」。
いまいち弱気なAV・風俗専門のスカウトマン、粟野健治(23歳)を描く2編目は、
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ「GET UP,STAND UP」
突如性の悦びに目覚め、フケ専AV女優となった佐藤良枝(43歳)を描く3編目は、
ドアーズ「LIGHT MY FIRE
何事にもイヤといえないカラオケBOX店員、青柳光一(26歳)を描く4編目は、
ローリング・ストーンズ「GIMMIE SHELTER」
かつて手にした文芸新人賞を引きずる官能小説家、西郷寺敬次郎(52歳)を描く5編目は、
ザ・バンド「I SHALL BE RELEASED」
デブ専の裏DVD女優で官能小説のテープリライター、玉木小百合(28歳)を描く最終編は、
ビーチ・ボーイズ「GOOD VIBRATIONS」
そして、この最終編でタイトル「ララピポ」が何であるか、判明する。
これまた、なかなか味わい深い言葉であったりして、また「ほォ」と唸るのだが。


前述した〝負け犬と同じ視点〟が、この作品に客観性を与える一方で、
本当の意味での最底辺ではない、〝負け犬度〟が、この作品に深みを加えている。
本当に何かが理解できない時は、何が理解できていないかすら、理解できない。
過激に書いてしまうと、バカは自分がバカかどうかも認識できない。
よって、本当に分別のない最低のヒト、というのは、
自分がどう最低か、もしくは本当に最低かどうかすら、理解できないのだ。
そんな人間たちを描いて面白いのは、戸梶圭太だったりするのだが、
これはこれで、どうにも空恐ろしさ、みたいな部分が勝ってしまって、また違う笑いになる。
しかし、この「ララピポ」のヒトたちは、どこか微妙な分別がこころに存在する。
わかっていながら、越えてはいけない一線を越え、
禁忌を犯すわけだから、ある意味純粋に善悪の判断がつかない人間より、タチは悪い。
悪いんだが、まあ、何となくその弱さ、もペーソスあふれる笑いになってしまうのだ。


たとえば、「GIMMIE SHELTER」のカラオケ店員、青柳光一。
ハゲおやじを連れ込み、小遣い稼ぎをする女子高生を、
同じバイトの小川が脅し、青柳たちにも〝手でサービス〟させるよう、話をつける。
もちろん、女子高生に〝して〟欲しい青柳だが、戸惑いも隠せない。
結局は、「NO」がいえずにしてもらう。
〝「おいしかったっスね」カウンターで小川がにやりと笑う。
 その顔を見たら、光一は苦笑してしまった。
 たまには悪徳にまみれるのもいい。どうせ相手も疚しいのだ。〟
この、たいしたモラルもないくせに、やたらと自分をうまく説得する、小動物的ずるさ。
単なる弱さではあるのだが、どこか哀しく、どこかおかしい。


そんな青柳の、中途半端な分別は、その後も続く。
女子高生の〝サービス〟がバージョンアップすると、小川もそれに乗じる。
それも、レジのカネを抜き取って、だ。
〝小川は良心のかけらもない人間のようだった。
 「青柳さんにもあげます」口止め料のつもりか三万円、渡された。
 一度は断ったが、強引に押しつけられた。
 その金で二度目の本番をした。バックからやったら割り増し料金を取られた。
 もはやこの界隈にまともな人間は一人もないように思えた。〟
こういうのを読むと、まるで分別のない小川がうらやましく思える。
青柳は、〝いいコト〟をしてもらいつつも、楽しみきれない。間違いなく損な性分。
中途半端な分別が、よけいに自分をみじめな位置に落とし込むのだ。


「I SHALL BE RELEASED」の西郷寺のモラルも、また中途半端そのものだ。
〝若者の性の乱れは、中年男にとっての福音だ。〟と、
官能小説の取材、を大義名分に、女子高生売春にせっせと通う。
で、このオヤジがいかにも、
風俗ですることしてから、その後説教とかたれちゃうタイプなのだ。
〝後学のためにいろいろと取材をした。
 初体験は中三で、体験人数は十数人、このバイトを始めたのは一月前、
 きっかけは友だちに誘われたから。理由はお金が欲しいから。
 おとうさんは普通の会社員で、おかあさんは専業主婦。
 この国はどこに行こうとしているのか、いささか不安にもなった。〟
自分のことは見えていないけど、何となく違和感は感じている。


だが、その違和感にきちんと向き合うことができないのが、西郷寺の弱さだ。
〝しかしそれより目先の欲望だ。追加料金を払い、少女を脱がせる。
 たわわな乳房がブラジャーからぽろろとこぼれた。
 「ぐへへへへ」またしても助平な声を漏らしてしまう。
 我慢できず吸いついたら、「きゃはははは」と無邪気に笑われた。〟
言ってることと、やってることが全然違う。
始めからどうこういわず、げへへへへ、とかしてる奴の方が、まだ幸せだ。
間違いなく、その中途半端さが、西郷寺の人生を暗くしているのだ。


「GOOD VIBRATIONS」の玉木小百合は、もっと客観的だ。
それが彼女を幸せにしているわけではないが、
まだその不幸をそれなりに受け入れるだけの、柔軟さにはつながっている。
渋谷の雑踏を眺める場面だ。
おしゃれな街。だが、本当にかっこいいのはごく少数、大半はその他大勢で、
二割程度は華やかな景色を壊す異物と、斬って捨てる。
〝それは単純な美醜ではなく、全体から醸し出される雰囲気がさえないのだ。
 人から見れば、自分もその仲間なのだろうけど〟
自分を理解できている分、小百合はほかの連中より、まだましなのだ。


もちろん、それなりには悩む。
〝この人たちはどうしてるのかな−。ふとそんなことを思った。
 世の中には成功体験のない人間がいる。
 何かを達成したこともなければ、人から羨ましがられたこともない。
 才能はなく、容姿には恵まれず、自慢できることは何もない。
 それでも、人生は続く。
 この不公平に、みんなはどうやって耐えているのだろう。〟
その叫びは切ない。
確かに切ないが、「なぜ、自分だけ…」的な、被害妄想ではない。
そこに、かすかな救いはある。


みずからの情けない濡れ場を盗撮した画像を、マニアショップに売り込む。
実は、小百合の出演作品は、マニアの間では大人気を誇っている。
〝店長もホクホク顔だ。
 「キャラクターがいいんですよ。出世の見込みのない四十男と、
 おたくでイケていない三十男と、チビでコンプレックスの塊みたいな若者でしょ?
 ピラミッドの底辺総登場って感じで」
 「はあ」小百合が生返事をする。
 そう言うなら、自分も底辺だ。そして目の前の店長も。〟


負け犬と気づいていないヒトたちに囲まれ、それでも冷静さを失わない小百合。
この店長たちよりは、やはり幸薄い人生なのだろう。
貧乏とか、頭が悪いとか、そういうネガティブな認識は、
自分がその事実を知らなければ、この店長のように、幸せでいられる。
だが、その不幸に気づきつつも、その事実をうまく受け入れられない、
西郷寺や、青柳よりは、小百合はある意味、不幸度は薄い、という考え方もできる。
この何ともいえない微妙なさじ加減に、悲哀と滑稽が詰まっていると思う。


そんな感慨もさることながら、思わず一気読みしてしまう〝面白さ〟も保証付きだ。
一度読み始めたら、間違いなく最後まで読み切ってしまいたくなる。
それは、これまでの奥田英朗作品と共通する、レベルの高さだ。
すごく贅沢をいうなら、
「WHAT A FOOL BELIEVES」の博が名付けた〝かほり〟こと、
トモコを描いた一編も欲しかったかな、というのが、不満かもしれない
もちろん、「GIMMIE SHELTER」の青柳とややダブるキャラクターではあるのだが、
このヒトはこのヒトで、なかなか捨てがたいかな、と。
Dr.伊良部のように、続編というわけにはいかないだろうけど、
いつかまたこのヒトたちの物語を読んでみたい、
そんな気持ちがわきおこる、どこか気になる、愛すべき作品だった。