町田康「屈辱ポンチ (文春文庫)」

mike-cat2005-09-22



いよいよ文学の秋、だからね、町田康でも読もうと思ったのだが、
わざわざ買いに行くのも面倒臭いし、
第一いつもいつも行っているジュンク堂書店のお姉さんに、
「いつもいつもこいつは昼間っからヒマそうねこういうやつをニートというのかしら、
そう考えてみるとこいつは朝起きてからの身繕いといえば帽子を被っただけじゃないの、
わたしの職場は文化の殿堂なのにこいつときたらまったく文化の香りすらしないわ、
というかそもそも文化なんて名前が付くのは文化包丁、文化住宅と、
およそ文化とは関係ないわキーッ!!」とかされてしまうのも困るので、
考えてみれば、家に買い置きもあったしとりあえずこれにした。


以上、町田康ふうに読み始めるまでを振り返ってみたのだが、
あらためてこうやって真似をしてみると、その難しさというのがわかるわけで、
大体が、真似してすぐ書けるぐらいだったら、
そこら中芥川賞作家だらけになるだけなんだが、
漫画のアシスタントみたいに、メインのストーリー以外の周辺描写だけだったら、
下請けできないかな、なんてくだらないことをつらつらと書いているととても疲れるので、
普通の文章に戻そうと思ったけど、考えてみると僕の文章も、
クオリティはともかくだらだら一文が長いのが特徴だったな、と気づく今日この頃ですが、
皆さんはお元気でお過ごしでしょうからあえておたずねしません、って疲れたな。


本は、表題作「屈辱ポンチ」と、
けものがれ、俺らの猿と Getting wild with our monkey.」からなる2編だ。
いつも通り、「けものがれ〜」も冒頭から飛ばしている。
〝「私はもっと有意義な人生を送りたい」という捨て台詞を残して
 妻が英国に留学してからこっちおかしなことばかりがおこりやがるのであって、
 まず第一に仕事が完全に途切れてしまった。〟
そんな〝俺〟は、売れない脚本家。
収入は断たれ、義父の持つ家から追い出されそうになり、
あまつさえその家にはとんでもないものが発生する。もう、四方八方手ふさがり、となる。


基本的なモチーフは、社会から、そして人間そのものへの疎外だ。
「おかしい、何でだ」と苦境にあえぎ、
バタバタともがくと、周囲の世界はますますぐにゃりと歪んでいく。
あやしい老齢のプロデューサーから、脚本のシナリオ・ハンティングを頼まれ、
映画の舞台となる処分場に出向くと、またトラブルに巻き込まれる。
とことん困り果てていく姿を陰惨に、しかしコミカルに描く。
このバランスが何ともいえず、空恐ろしくも笑ってしまう一編だ。
舞台設定そのものはまあ、ファンタジックではあるのだが、
題材そのものは誰にでも起こり得ることだけに、とてもブラックな仕上がりになっている。


屈辱ポンチ」は友人から嫌がらせを頼まれた、
ミュージシャンの〝俺〟が、使えない相棒ハンイチ、とともに、
同じくミュージシャンのタマゴに冴えない嫌がらせを繰り返す一編。
無言電話、白紙FAX、汚物投げ込みなどに悪戦苦闘するどころか、
それすら満足にできないダメダメぶりがもの悲しく、そして笑える作品だ。


こちらも相変わらず書き出しから、イッちゃってる。
〝客は入んねぇ、演奏はがたがた。
 一応、打ち上げ、ってんでシャビーな酒場にメンバーと入ったが、
 やってもやっても売れねぇし、演奏もうまくいかねぇ、ってことは、
 このバンドもそろそろ潮時か、って気配が横溢して、みな暗い。
 かかるムードにきわめて弱い自分は、なんとか盛り上げようと、
 いろいろギャグを言ってみたりするのだけれども、なんだこいつら、
 ひとの苦労も知らないで、自らの暗みに沈殿して恬淡としていやがる。〟
ってな感じで、嫌気がさし、これまでの日常からおさらばする。
するってえとまた、周囲の世界がぐにゃりとねじ曲がっていき、
〝俺〟の迷走が始まるのだ。


しかし、そう考えると常に町田康の小説って、同じような気もしてならないのだが、
それにしたって、やっぱり読んだら笑えて、どこか薄ら寒い、ヘンな感覚になる。
巻末の解説で保坂和志が書いているが、つくづく町田康って〝文学〟なのである。
いや、保坂和志の解説はもっと高尚でおもしろいので、
このレビューなんか、なかったと思って解説を読んでもらえればいいのだが。
で、ついでに思ったのだが、保坂和志って、このぐらいの文章量だと本当に面白い。
正直、長編とか読んでいると僕は疲れてしまうのだ。ある意味濃厚すぎて。
そんなわけで町田康の濃厚な小説の後に、
保坂和志の濃厚な解説がついて二度濃厚なこの本。
おもしろかったけど、ちょっと胃もたれ気味の感はありで、
このところ疲れ気味の毎日が続いている中、必ずしもベストのチョイスじゃなかったな、
なんて自分に言い訳する毎日にもいいかげんおさらばしなきゃなと思いつつも、
持って生まれたこの性質直せるモンならとっくに直しているわけで、これも性なのよ、
およよよよとまたも町田康ふうに書いてみて疲れたので、きょうはこのへんで。