エルヴェ・ヴォドワほか「星の王子さまの眠る海」。

mike-cat2005-09-19



本の雑誌」の巻頭で紹介されていた、
版権切れで新訳相次ぐ「星の王子さま」関連本。
1944年、自ら操縦する偵察機で飛び立ったまま、二度と戻らなかった、
星の王子さま」の作者、サン=テグジュペリの謎を追った、
日刊紙《ラ・プロヴァンス》の記者によるドキュメンタリーだ。
マルセイユの漁師が釣り上げたブレスレットに
 サン=テグジュペリの名前が刻まれていた!
 60年間解明されなかった20世紀最大の謎のひとつ、
 サン=テグジュペリの行方が解明されるまでの
 一部始終を追った、迫真のドキュメント〟
最大の謎のひとつとは知らなかったが、
星の王子さま」を読んだことのない僕ですら、興味のわく話題である。


1944年7月31日、フランス空軍少佐で、世界的な作家であるサン=テックスは、
ロッキード社製の双胴機P−38ライトニングで
コルシカ島を飛び立ったまま、消息を絶った。
再三の捜索にも関わらず、行方はつかめず、
その謎めいた〝最後〟は、作家の伝説の一部ともなった。
半世紀の年を経た1998年、マルセイユの漁師ジャン=クロード・ビアンコが海底から、
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ〟と刻まれた銀のブレスレットを引き揚げる。
これを契機に大規模な機体捜索が行われるが、予想以上の難航が続いた。
メディアによる中傷、遺族による猛烈な反発…
サン=テックスの謎は、果たして解明されるのか−。


海底での捜索、というと
シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち」が記憶に新しい。
この小説の見どころのひとつとしては、謎に挑む男たち、という物語がある。
難航する捜索活動にも、不屈の闘志で立ち向かう、その描写はもちろん読み応え十分だ。
星の王子さま」の読者にとっては、彼が選んだ、もしくは迎えた〝最後〟が、
作品世界とどうリンクしているのか、という興味もあるだろう。
しかし、この小説で何よりも印象に残るのは、
サン=テックスの謎に挑む男たちと、遺族(正確にはその後継者)との諍いだろう。
大作家の生涯は、果たしてどこまで公共性、もしくはプライバシーの範疇となるのか。
このドキュメンタリーは、答えの出ない命題を、突きつけてくるのだ。


つまり、サン=テックスの作品世界と、その周辺的な部分に関し、
どこからどこまでが、読者たちのものなのか、という部分だ。
作品世界そのものは、いわゆる著作権的な分野は別として、
作者の手を離れ、読者たちに委ねられていく部分も大きいだろう。
それは作品に対する解釈においても同じ。
では、謎めいた死、という伝説はどうだろう。
もちろん、個人のプライバシーに立ち入った部分はともかく、
公人としてのサン=テックスの謎めいた死には、
作品世界とも多少のリンクを持たせることができるし、
それが「星の王子さま」の世界を膨らませている部分は否定できない面もある。
遺品、遺体に関しては、文句なしに遺族(権利継承者)の独占的分野にあるが、
サン=テックスという作家の伝説に関しては、どこまで遺族に権利があるのか、
という命題が、この本では大きく扱われているのだ。


問題の発端は、
捜索の中心となった実業家アンリ=ジェルマン・ドローズたちの
メディア対応のまずさにあった。
発見のニュースが流れ、メディアが大挙する中、発見者のビアンコが見つからない。
「何か、やましいことがあるはず」。ビアンコに反感を覚えたメディアは、
遺族側の代表者フレデリック・ダゲーによる中傷に、簡単に乗ってしまう。
ダゲーの言葉に乗り、ビアンコを、詐欺師、偽善者、ならずものと決めつける。
少なくとも、偶然とはいえ、
遺品を見つけてくれた人間に対して行うには、あまりの仕打ちだ。
そして、捜索作業に対しては
「あのような人間たちが、証拠もなしに
 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの飛行機だと見なしているものをめぐって、
 潜水し、申告をし、新たな調査を検討することができるのに対し
 (親族一同は)憤慨している」
と、公に不快感を表明したのだ。


このような行動を取っているのは、叔父、もしくは大叔父に持つ権利継承者たちだ。
そうっとしておいて欲しい。気持ちをかき乱さないで欲しい。
もしくは、謎めいた死も含めて、神格化された叔父の思い出を、暴かないで欲しい。
その部分に関しては、理解はできるし、ある意味当然の権利だ。
しかし、ビアンコらに対する、執拗ともいえる中傷に加え、
遺族側は、過去にはほかの大捜索事業に合意していることなどを考えると、はて?となる。
つまり、自分たちのカネにならんことはするな、という部分だ。
もちろん、サン=テックスに関連するカネ儲けは、彼らの権利ではあるのだが、
別にビアンコたちは、儲けを考えてやってるわけではないのだ。
然るべきタイミングで、遺族側に連絡は行っているし、理解も求めている。
それを突っぱねて、泥沼に持ち込もうとしているのは、むしろ遺族側なのだ。


もちろん、このドキュメンタリーは、捜索する側から書かれているので、
遺族側の言い分が十分に汲み上げられているか、その判断は難しい。
この本を読む限りにおいて、事実関係を拾っていくと、やはり遺族側は
サン=テックスがもたらす利益・権利関係に対して、
やや拡大解釈をしている感は否めない。
ましてや、大叔父への思い出を主張するダゲーは、
サン=テックスと会ったことすらないのだ。
これでは、サン=テックスの遺産にしがみつく寄生虫はどちらなの?
といわれても無理はない。
そんな印象を抱かせる本の割には、
図版や写真などは権利継承者の許可を得て使っていたりして、また混乱するのだが…


そんなこんなで、何だか捜索のロマンというより、
権利をめぐるゴタゴタの方がメインになってしまっているこの本。
捜索の様子などの描写は、ややクドめで、
シャドウ・ダイバー」などの爽快感には及ばない。
作品世界とも一線を画するもののようで、
周辺本・関連本の類としては、かなり外縁に位置する本ととらえたほうがいいだろう。
僕のような「星の王子さま」未読者にとっては、かなり微妙な本。
ましてや大ファンの方にとっては、どうなんだろう、なんて思ってしまった。


で、これだけ読んで終わるのも何なので、「星の王子さま」そのものも買った。
新訳版にして、倉橋由美子の遺作。
「おとなの童話」を大人になって初めて読むのは、どんな気持ちだろうか。楽しみだ。

新訳 星の王子さま

新訳 星の王子さま