歌野晶午「女王様と私」

mike-cat2005-09-13



いまどきまだ、歌野晶午を読んだことがなかったのだが、気になって手に取る。
まあ、「葉桜の季節に君を想うということ (本格ミステリ・マスターズ)」の時点で気にしておけよ、というとこだが…
何となく思わせぶりな表紙に、オビは
〝「葉桜」の歌野晶午が放つ今年最大の問題作
 戦慄的リーダビリティが脳を刺激する超絶エンタテイメント!〟
やっぱり女王様、というからには、〝あの〟女王様だろうな…と想像できる。
で、さらに
「引きこもってるから、世の中の動きがわからないんだよ、カス」とか書いてある。
引きこもりと女王様のミステリー? いったい何なのだろうか、という感じだ。


で、内容は、
やや引きこもりの真藤数馬と女王様が出会い、ある殺人事件を解決する、というお話。
ストーリーについては、これ以上の予備知識はない方が面白いかもしれない。
それくらい、トリッキーで、まあある意味反則のミステリーだ。
3章立て構成となっている、そのタイトルだけでも、たいていのカラクリが見えてくる。
真藤数馬のうんざりするような現実
真藤数馬のめくるめく妄想
真藤数馬のまぎれのない現実
まあ、ここまで明快にカラクリを明かしているわけだから、
それをわかった上で楽しめ、ということだろう。
たとえ、このカラクリがわかっていても、
序盤から巧妙なミスリードで誘い出し、思わず「おっ」と言わせるトラップで、
読んでいる者をニヤリとさせるあたり、この作者、やはり伊達じゃない。


そのカラクリもさることながら、
引きこもりの数馬が女王様に惹かれ、次第に変化していく様がなかなか面白い。
引きこもりとかを題材に使う場合、よくあるのは、
こういうソーシャルスキルに問題のあるタイプを、
純粋だとかとらえる手口なのだが、それは心配なし。
過剰に持ち上げることもなく、過剰にこき下ろすことなく、淡々と真藤数馬を描く。
それは、あくまで舞台設定に過ぎない、という冷静な視点でもある。
〝女王様〟にさまざまな手口で手玉に取られ、
マゾヒスティックな快感を覚えていく様などは、もう笑ってしまうほどだ。
それをキモい、と思ってしまうようだと、もうどうにもならないのだが、
まあ、あくまでお話の世界と思えば、生理的嫌悪感もそこまで湧かないはずだ。


気になるのは、〝妹〟の絵夢ら女性との会話だ。
いかにもの〝萌え〟風しゃべりが、そのまんま活字になると、かなりきついものがある。
おお、そういえば〝萌え〟って、使ったことなかったかも。遅れてる?
少し長めに引用するが、こんな感じだ。
〝「けぇっきょく、そーなんだぉねー」
 絵夢がふてくされたようにつぶやいた。
 「何が?」
 「渋谷とかぁ、原宿とかぁ、
 あーゆーしゃれなところゎダメなんだよねぇ、おにぃちゃん」
 「んなことない」 ぼくはうろたえる。
 「だから最初にゆったんだぉ。どこでもいいって。
 だってぇ、絵夢がなんとゆおうとぉ、
 おにぃちゃんがいきたくないとことにゎ連れてってもらえなぃんだもン、いっつも」
 「そんなことないじゃん」 知らず声が大きくなる。
 「でぇ、おにぃちゃんゎどこ行きたいのぉ? 秋葉原ぁ?」〟


正直、自分の年齢を思い知らされる気分だが、読んでいてかなり疲れる。
特にこの〝ゎ〟はダメだ。メールでこれ見ても、かわいい、と思ったことがない。
「Deep Love」とか読んだことないが、あれもこんな感じなのだろうか…


まあ、そんな部分はありつつも、
オビに謳われた〝戦慄的なリーダビリティ〟に嘘偽りはない。
ページを一度開いたら、一気に読み切ってしまうだけのパワーも十分ある。
読んでいて面白いことは間違いないし、
トリッキーそのものといっていいカラクリも、嫌悪感を誘うような部分に関しても、
最初から了解していれば、そこまで「なんだよぉ!!」と憤ることもないはずだ。
ただ、率直にいって、読み終えて「傑作」と思うような事は全然ない。
これまたオビの通り「問題作」という表現がそのまんま当てはまる。
ヒトに訊かれて薦めるか、と訊かれたらだいぶ迷ってしまうだろう。
でも、読んでみるのも悪くないよ、とは答えると思う。
もちろん「責任は持てないけど」と言葉は、つけ加えざるを得ないんだが…