ジェフリー・ディーヴァー「獣たちの庭園 (文春文庫)」

mike-cat2005-09-10



〝ディーヴァー初の歴史サスペンス
 舞台はヒトラー時代のベルリン
 主人公はニューヨークの殺し屋〟
このオビでわかる通り、おなじみ「リンカーン・ライム・シリーズ」ではない。
とはいえ、ディーヴァーらしい趣向は凝らされているので、
ファンなら間違いなく楽しめる作品だとは思う。
ただただ、ドイツ人だとか、第三帝国下のドイツの組織だとか、
そうした名前、もしくは名称はかなりとっつきが悪いのだが、
それでも一気に物語世界に引き込むパワーは、さすがディーヴァーだ。


あらすじといえば、オビの3行が、なかなか優秀な説明になっている。
時は二次大戦を目前にした1936年。
ポール・シューマンはニューヨークの殺し屋。
伝説のギャングスター、ラッキー・ルチアーノらとも取引する、凄腕中の凄腕だ。
ある日、ポールは政府筋から、半ば強制的に依頼を受ける。
標的は、ヒトラーの下、ドイツ再軍備のカギを握る人物。
ポールは、オリンピック開催を控えるベルリンに、向かうのだった。


こう書くと、単なるゴルゴ13なんだが、そうは問屋が卸さない。
事件に巻き込まれてみたり、陰謀に巻き込まれたり、現地の警察に追いかけ回されてみたり…
ディーヴァー名物のどんでん返しももちろん組み込まれ、
いかにもエンタテイメント路線をひた走るストーリーが展開する。
とはいえ、ファシズムに染まりつつあるドイツという舞台には、
リアルな(いや、実際を知るわけではないけど)恐ろしさと、不気味な迫力がみなぎる。
標的に迫るポール、そのポールに迫る捜査の手…、という場面場面にも、
ゲシュタポの影におびえるベルリン市民たちの姿が描かれ、独特の雰囲気を醸し出す。
なるほど、この時代のドイツを舞台に選んだ意欲が、存分に発揮されている。


そんな狂いつつあるベルリンで、怒りに身を焦がすのが主人公のポール・シューマンだ。
「お前だって殺し屋だろ?」というご指摘もあろうが、そこはそれ。
ただ、カネのためだけに殺し屋をしているわけではない。
殺しを依頼されたポールが、依頼主に〝ルール〟を説明する。
「まず重要なのは、殺す相手が無辜の民ではないということだ」
殺すのは殺しをやった人間だけ。つまり、必殺仕事人みたいなもんである。
だから、世の不正義には憤り、本来の任務を忘れて、人助けなんかもしてしまう。


腕前のほうといえば、これまた超一流。
〝AEF(連合国遠征軍)、第一米国陸軍第一歩兵師団。
 サン・ミエル、ムーズ・アルゴンヌ。激戦を経験。戦場での射撃技術により複数の勲章を受ける〟
超一流の軍人であり、さらに一流のボクサーでもある。
殺し屋のかたわらボクシング・ジムの経営もこなしている、という、
まことに正統派のハードボイルドな主人公なのだ。


その標的はラインハルト・エルンスト。
依頼主からの説明だとこうなる。
「対戦中は大佐だったが、現在は民間人だ。
 国内安定担当全権委員などという、舌を噛みそうな肩書きをもっている。
 が、そんなものは看板に過ぎない。その男が再軍備という影で糸を引く張本人だ。
 顔も広くてね、たとえば財政ならシャフト、陸軍ならプロムベルク、海軍ならレーダー、
 空軍ならゲーリング、軍需ならクルップといった具合でつながっている」
このエルンストが携わる、謎の〝ヴァルタム研究〟をめぐっても、ドラマが展開する。
ヒトラーが、ゲッペルスが、ヒムラーが…
いわゆる戦史における有名どころもどんどん登場し、ポールの〝仕事〟をよりスリリングに彩る。


そして、エルンストを追う、そのポールをまた追うのが、
もう一人の主役ともいっていい、クリポ(刑事警察)の警視がヴィリ・コール。
ゲシュタポや、突撃隊員たちのなりふりかまわぬ横暴に苦しむのは、市民だけではない。
いわゆる〝まともな警察官〟も、端に追いやられ、肩身を狭くさせられている。
そんな気骨の人たるコールが偶然、ポールの絡んだ事件の捜査を担う。
様々な妨害に遭いながらも、刑事の経験と勘でポールを追いつめるその姿は、
そのまんまコールを主人公にした刑事ドラマにしてもいいくらい、綿密かつ好意的に描かれる。


このコール警視が、ポールと同じ穴のムジナだったりする。
殺人者を追うことは、コールにとって生きがいにも近い。
〝コールはそれを、死の中にこそ正気を見出せるからだと思っている。
 より正確に言うと、死をもたらした者に裁きを与えるその過程にこそ、となる。
 これが地上における己れの使命だと感じているし、
 どんな殺しであれ−路地の肥った男でもユダヤ人家族でも−
 それを無視するのは自分の本質をないがしろにすることであり、ゆえに罪悪なのだ。〟
ポールとは、追う者、追われる者でありながら、本質的にはまるで同じ人間。
だからこそ、この二人の追いつ追われつには、複雑な味わいがあるのだ。


ほかにも、魅力的な脇役は多い。
たとえば、ポールと恋に落ちるケーテ・リヒター。
このケーテも、ファシズム化の波に呑み込まれ、迫害を受ける側の一人になった人物だ。
「ろくに考えもせずに。生徒たちに詩人のゲーテのことを教えていて、
 独立戦争で息子に戦うことを許さなかったその勇気を尊敬するって話してしまったの。
 いまのドイツで反戦主義は罪なのよ。わたしはこの発言がもとで解雇されて、持ってた本は全部没収されたわ」
あの時代のドイツで、ふつうに〝正しく〟生きることの難しさを、訴えかけてくる。


そんな世の中でも、うまいこと立ち回る人間は確実にいる。
たまたまポールと知り合いになるオットー・ヴェバーもその一人。
詐欺師、便利屋、商売人…。どれにでも当てはまる、いわゆる怪しい人物だ。
ポールに売り込みをかける、その文句もなかなか怪しい。
「あんたにとって、おれは役に立つ男になるかもしれないよ。
 知り合いは多いぞ、重要な場所にもあちこち−といってもお偉いさんじゃないが。
 要はこの稼業をやるには知って損のない連中ってことさ」
ポールが問いかける。「たとえば、」
「信頼できる小市民。こんな笑い話を知ってるかい?
 バイエルンの町で風見を役人と取り換えた。なぜか。役人は風向きをいちばんよく知っているからね。はっ!」
どこか人を喰った人物でもある。


こんな二人に加えて、ベルリン五輪の陸上で短距離・走り幅跳びの3冠にジェシー・オーエンスや、
作家のデーモン・ラニアン、ギャングのバグジー・シーゲルだの実在の人物も登場し、ドラマをもり立てる。
こんな部分も、この作品のエンタテイメント性を高めている一要素になっている。


深い余韻と、何ともいえないやりきれなさを同時に味わわせるラストは、
ある意味ディーヴァーらしくない、ともいえるし、むしろディーヴァーらしいとも取れる。
多少好みが分かれそうな気もするが、僕の率直な感想は「ああ、そういうのもアリか」だった。
そして、単純な爽快感には欠ける結末に、やや意外さを感じながらも、
忘れられそうにない余韻に、グッと胸に迫るものを感じてしまった。
ディーヴァーの新境地、といったら言い過ぎだろうか。
しかし、ディーヴァー本来の持ち味に、これまでにないアクセントが加わった、ファン必読の作品には間違いない。
ぶ厚い文庫本は、広げて持っているだけで指が疲れてはしまうのだが、それでも読む価値は、十分あるはずだ。