心斎橋はパラダイススクエアで「愛についてのキンゼイ・リポート」

mike-cat2005-09-07



1万8000人へのインタビューで、
アメリカ人の「セックス」の実態をリサーチした、
インディアナ大学のキンゼイ博士の生涯を描いた伝記映画だ。
過剰なまでにピューリタニズムに毒された父に育てられた、
昆虫学者のキンゼイ博士は、新婦クララとの初夜で、〝困難〟にぶつかる。
誰もが悩みを抱える、〝あの問題〟に、よりよい答えは見つからないのか。
学生へのセックス講座だけでは、不十分と感じたキンゼイは、
みんなの悩みを解決するべく、大々的で科学的なリサーチを試みる。


映画は、普通に感動作だ。
たまたま、題材がみなさんお好きなセックスのお話で、
たまたま、主人公が1940年代のアメリカを揺るがした、キンゼイ博士だというだけ。
困難に立ち向かう不屈の人、周囲の無理解、献身的に支える妻、頑固な父との和解…
これ以上ないくらい、普遍的な感動のストーリーだ。
主演は「ロブ・ロイ」「シンドラーのリスト」と、
信念の人を演じさせたらこの人、というリーアム・ニーソン
妻クララには、「ミスティック・リバー」「ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」で、
気骨溢れる女性を好演したローラ・リニー
(「ラブ・アクチュアリー」のジタバタ・ダンスはかわいかったけど…)
これ以上ないキャストで夫妻の生涯を再現することで、
「セックス博士」キンゼイの物語を、より深い感動作品に仕上げている。


ただ、パンフレットに出ている実物キンゼイを見てしまうと、…となる。
この映画、ニーソンに演じさせているから感動できるが、
そのまんまのキンゼイの顔であったらどんな印象を覚えるのか、ちょっと微妙なのだ。
ジョン・リスゴー演じる厳格な父親に代表される、ピューリタニズムや、
社会不安を煽る存在として、赤狩りの標的とされてしまったり、
という世間の無理解との戦いにおいても、
ニーソンの圧倒的な存在感が、微妙にリアリズムを削いでいるような印象すら覚えるのだ。
ニーソンって、「ダークマン」とか「ルビー・カイロ」とかの頃の、
どこかだらしなさそうなイメージが、「シンドラーのリスト」以降は一変した。
(正確には映画の中でのシンドラーが変わっていくところで、だが)
今では、SWのクワイ=ガン・ジンとか、やたらと説得力を感じてしまう存在だ。


つまり、あの実際のキンゼイの顔を見るに、
実際はここまで雄々しく立ち向かったのか、とか、
ここまで信念に忠実だったのか、とか、という部分だ。
それは、世間の反応であるとか、
失意の晩年を送ったと見られるキンゼイの心境などの部分も同じく。
世間からは、もっともっと色眼鏡で見られているような気もするし、
リン・レッドグレーヴが登場し、キンゼイを励ます感動のシーンとか、
演技の素晴らしさ、感動的なストーリー構成が、
実際のキンゼイ像をいいようにデフォルメしすぎてないか、と不安になってしまうのだ。


とはいえ、これを実在の人物をモデルにした、フィクションととらえれば、話は別だ。
実在の人物とのギャップは…、と疑念を抱かせる部分が、
そのまんま〝いいお話〟としての魅力になってくる。
長々と書いてしまった、ニーソンの存在感もグイグイと感動を引き起こすし、
ローラ・リニーの魅力もそのまんま、
キンゼイを支えた人物を描き出す魅力的な人物像につながる。
ただ、監督・脚本を務めたビル・コンドンは、
そのキャストの魅力に頼りすぎた感は否めない。
いい話ではあるのだが、あまりにストレートにいい話過ぎて、微妙にもの足りない。
「感動してちょうだいね♪」という意図が、
あまりにそのまま伝わってきてしまうのも、やや興醒めだ。
だから、映画そのものの評価としては、
悪くはない、程度にとどまってしまう。ちょっと残念。


キンゼイの研究については、映画で見る限り、何かあまりに科学的なアプローチが過ぎて、
人間を生物学的な側面でしか見ていないような部分が気にかかった。
性欲とか、嗜好とか、セックスの様々な側面って、
もっともっと社会学的なアプローチをしていかないと、
なかなか正確に捉えられないんじゃないか、とも思ってもみる。
だが、これって現代の話じゃなくて、40年代の話。
この時代にこれだけやれば、反動的勢力の抵抗はすさまじいのは当たり前だ。
そんな中で、キンゼイのやったことが、
どれだけ画期的だったかと思うと、本当に頭が下がる。


現代のアメリカにおいても、当時の反動勢力っぽい連中は決して少なくないはずで、
それを考えると、つくづく難しい問題なのだな、と思ってしまう。
日本においても、「愛についての〜}という邦題が示すように、
まだまだLOVEとSEXというのは、未分化なままで放置されている。
確固としたジェンダー教育、セックス教育がなされていないから、
今でも信じられないような事態が続々…
キンゼイの目指した〝悩みの解決〟までは、
まだまだ遠いことに、ある種の切なさを覚えてみたりもする。


ところで、ちょいと話題になった例の無修正問題。
このインターネット全盛の時代、あれを話題にすること自体、バカバカしいレベルだ。
ヘア初出しで話題を呼んだ「美しき諍い女」(1992年日本公開)
みたいな衝撃なんて、もちろんない。
そちらを期待して、という向きの方もいないかと思うが、念のため、書き添えておく。