ノエル・F・ブッシュ「正午二分前 (ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピース)」

mike-cat2005-09-06



1923年9月1日午前11時58分、それは起こった。
文字通り大地を揺るがし、大火災を巻き起こし、14万人もの命を奪った。
そう、関東大震災だ。
1967年、外国人記者によって、世界で初めてまとめられたドキュメンタリー。
当時の記憶を持つ人も少なくなりつつあるいま、
ハヤカワ・ノンフィクション・マスターピースから、あらためて出版された。


単独の自然災害として、14万人もの死者数というのは
記録の残る限り、世界的に見ても史上最大クラスらしい。
記憶に新しい阪神・淡路大震災が、死者6400人余、負傷者4万3000人。
スマトラ沖地震も避難民170万人は凄まじいが、死者は8000人。
ニューオーリンズを襲ったハリケーンカトリーナで、数千人規模だとか。
死者数と悲劇の度合いは、まったく比例するものでもない。
よくありがちな不慮の事故であっても、未曽有の大災害であっても、
残された遺族の悲しみに変わりはない。
だから、あまり大災害だけをとらえて、悲劇悲劇と叫ぶのもあまり好きではないのだが、
やはり、数(規模)というものは、それなりに大きな意味を持つ。


1923年8月31日、地震前日の世界の様子から、本は始まる。
ニューヨークでは、ジャック・デンプシーが世界戦に向けたスパーリングに余念がなかったし、
ドイツではマルクの暴落、イタリアではムッソリーニによるギリシャ砲撃命令…
きたる大戦を前に、かすかに不穏な空気が、流れていた時代だ。
日本ではもちろん、軍部が国中を焦土にした、例の暴走を始めようとする前、となる。
一方で、地震当日にはフランク・ロイド・ライト設計による、
日比谷・帝国ホテルの落成祝賀式典が準備されていた、という。
先日読んだ、「カウントダウン・ヒロシマ」にも通じるんだが、
当時の雰囲気を伝える、こうした描写が震災のリアルさをより際立たせる。


「本日正午大地震起り、次いで大火災を生じ、全市火の海と化して死傷算なし。
 輸送機関はすべて破壊され、通信機関は断絶。水も食料もなし。至急救援を乞う」
当時、世界に打電されたS.O.S.だという。
いったいどんな状況だったのか、その詳細な描写が、ひたすら痛ましい。
阪神大震災でも、震災そのものより、続いて起こった火災が多くの人の命を奪ったが、
当時の東京では、状況はやはり同じ、というかそれ以上だったという。
時はまさにランチタイム。そこかしこでかかっていた厨房の火が、火災を引き起こし、
その影響で発生した炎を巻き込んだトルネード(竜巻)が、東京・横浜を焼き尽くした。
鎌倉などより震源地に近い地域では、津波による被害も甚大だったという。


この地震による東京の火災と比肩しうるのは、
二次大戦当時、1945年3月の東京大空襲、同5月の横浜大空襲、
あとはヒロシマナガサキだけだという。全部、日本じゃないか…。
また、無事だった山の手一帯からの眺めは、絶景だったという話も恐ろしい。
あくまで、その中で焼かれている人がいると知らなければ、の話なのだが…
〝突如として地上から高熱であおられたために、
 東京の上空には巨大なえもいわれない素晴らしい、ふわっとした白い雲が出来上がり、
 地上近くの真っ黒い煙と、形容できないほどの美しい対照をなした火焔は、
 まるで火の海のように、真っ赤な渦や波となって、地上数マイルにわたって広がっていた。
 さらに視野をほろ毛手眺めると、それはまさに溶鉱炉の内部をのぞいているようだった。〟
つまり、街が溶鉱炉のように燃えているわけで、その上を炎の竜巻が舞う。
まさしく地獄絵図そのもの、だったのだろう。リアルな描写から、その痛ましさはひしひしと伝わってくる。


そんな災害そのものの恐ろしさ、に加えて、
周辺的なエピソードから多面的に震災を再現した構成も興味深い。
有名な「朝鮮人が毒を入れた」などという流言蜚語によって起こった暴虐の数々であったり、
近海で演習中だった海軍の艦隊が震災を知りながら演習を続け、
なおかつ救援物資を運んできた米艦隊に退去を命じた、というあきれ返るエピソードや、
また、ライトの耐震建築が世界に名を響かせるきっかけとなったエピソードなども紹介されている。
不謹慎を承知で言わせてもらうが、そういう意味でも〝おもしろい〟本だといえる。


本を読んでいる最中に同時進行で台風14号もあったし、
ハリケーン津波などなど、自然災害の映像を目にする機会が多い昨今だ。
「もし、震災が起こったら…」という教訓めいたものも、読み取りたくなるのが心情だろう。
まったく時代が違う、という部分はもちろんあるのだが、
いわゆるライフラインが断絶されたら、という部分は、
阪神・淡路大震災でも目にした通り、時代が変わってもさほど変化はないと見る方が正確だ。
むしろ、便利さへの依存性が高い現在の方が、〝その時〟の怖さは大きいかも知れない。
ニューオーリンズで起こっているような事態を見ても、
頼りにならない政府、暴徒化した住民による略奪など、共通のテーマは多い。
もちろん、最終的には運にかかっている部分は大きいのだが、
備えあれば憂いなし、とか、冷静に行動しよう、とか、
子どもでもわかるくらい、ごく当たり前のことがあらためて大事なことがわかる。
ただ、わかっていても準備は怠るし、わかっていても冷静さを失うのが人間だったりする。
では、かつての教訓をどう生かすか。
過去のことをまず知ることから始める、という意味でも意味深い本なのだと思う。