スティーヴン・キング「回想のビュイック8〈上〉 (新潮文庫)」「回想のビュイック8〈下〉 (新潮文庫)」。
ペンシルバニア州の田舎町に住むネッドは、
警官だった父カートを悲惨な交通事故で失った。
父の面影を求め、ネッドは父の愛したD分署に日々赴く。
そしてある日、分署裏手のガレージに、一風変わったビュイックを見つける。
どこか変わった趣のビュイック・ロードマスター8。
ネッドは、父の親友で、同僚だった分署長とサンディから、
父とビュイックの間に長年横たわる、信じ難い話を聞かされる。
それは、ネッドの知ることがなかった父の姿、そして仲間たちとの物語だった…
オビはこんな感じだ。まず上巻。
〝全世界3億部突破!
少年の純真、大人の叡智
天才キングの到達点〟
で、下巻がこうなる。
〝ホラーじゃないキング!
少年の開眼、大人の勇気。
絶妙な語りが呼ぶ深い結末〟
オビの惹句に対して、真剣になってものを言うのも何だが、これがまた、微妙なのだ。
全世界3億部、というのは事実なのだろうが、ほかの部分には多少異議がある。
まず、少年の純真、大人の叡智、の部分だ。
この物語が、父の仕事仲間による、想像を絶する回想を通じ、
ネッドが少年から大人のオトコに成長する姿を描いている点では、少年と大人の対比は理解できる。
だが、ここで描かれているのは少年の純真、ではないはずだ。
ネッドが父の知らない一面に接する姿、
そして父の面影を追い求める姿は、思いがけず失われた父への執着ではあっても、純真とは言い難い。
サンディら父の仲間も、矢継ぎ早に話の続きを要求するネッドに対して、
純真さ、というより、若さゆえの傲慢という視点で、温かさを持ちつつもむしろ冷静に見ている気がしてならない。
そして、大人の叡智、だ。
ビュイックにまつわる信じ難い事態に戸惑いつつも、対処していく姿は、
ひたむきでありつつも、どこか牧歌的な雰囲気を漂わせる。
それを叡智=〝真実在や真理を捉(とら)えることのできる最高の認識能力〟(大辞林)
という言葉で表現するのは、あまり適当でないような気がしてならない。
で、天才キングの到達点、というのもどうだろう。
悪くないとは思うが、少なくとも最高傑作ではないし、
個人的にもキングの水準からすると、むしろ…のような気がしてならない。
で、ホラーじゃない、なんだが、ホラーでしょ、これ。
いわゆる奇妙な話、というくくりにしているのだろうが、これはれっきとしたホラーだ。
キングで車、というと「クリスティーン〈上巻〉 (新潮文庫)」「クリスティーン〈下巻〉 (新潮文庫)」となるだろう。
ただ、あれは車が感情を持ってしまって、暴走してしまうところにホラー要素があった。
この「回想のビュイック8」では、そのホラー要素のポイントが違う。
このビュイック8、形こそ車なのだが、それは似て非なる〝何か〟なのだ。
《ビュイック8》と書かれたその車は、
〝五四年型の一種。いや、はっきりと真実をいうなら、一九五四年型でもなんでもない。
ビュイックでもない、それどころか自動車ですらない。
むだに過ごした若かりし日々のみんなの口ぐせを借りるなら、“なにかほかのもの”だった。〟
例えれば、かつて故ナンシー関がやっていた、うろ覚えで書いた物まね絵だろうか。
今すぐ、何も見ずに記憶だけで、ドラえもんを書いてみる。
たぶん、どこかヘンな、似て非なるドラえもんもどきができるはずだ。
それと同じ。
この〝車〟、車検ステッカーとナンバープレートがないだけではない。
なぜかバッテリーケーブルも、ファンベルトもない。
キーは彫りがないブランクキーどころか、単なる鉄の板。
そう、車もどきなのだ。
そして、この車に近づいたものは、消えてしまったり、とんでもないことに巻き込まれたり。
また、この車はそのトランクから、ヘンなものを生み出したりもする。
その〝産物〟と、ある警官が出会ったときの描写だ。
〝ペンシルヴァニア州西部の森林でも、動物園でも、野生生物を紹介する雑誌でも。
ただひたすら異質だった。どこまでいっても異質そのもの。
気がつくとハディは、これまで見てきたホラー映画をあれこれ思いかえしていた。
しかし、いまガレージの壁が直角に接してつくる隅にうずくまっている生き物は、
数々の映画に出てきた怪物のどれとも似ていなかった。〟
これがホラーじゃなくて、何なのか。
たとえ物語の骨子が、ネッドの成長物語であっても、ホラー的要素は否定できない。
そして、絶妙な語りが呼ぶ深い結末、だ。
絶妙な語りについては、別に不満はない。
むしろ、これまでのキング同様、ディテイルにこそキングらしさがある。
個人的には、キングの作品(あくまで一般的なホラー作品)は、
テンポのいいストーリー展開で、物語全体の総和を楽しむというより、
物語の骨子自体はありふれてさえいるけど、その粘着質なまでに書き込まれた、
濃厚な場面描写そのものを楽しむところに本来的な楽しみがあると思っている。
それは「シャイニング」でも「ザ・スタンド」でも「IT」など数々の大傑作にも、通じる部分じゃないだろうか。
この小説に関していうなら、
必要以上とも思われるほど詳細に描かれる、
ビュイック(のようなもの)観察にこそ味があるのであり、ラストどうこうは、また別の問題じゃないか、と。
もちろん、「スタンド・バイ・ミー」「ショーシャンクの空に」などノンホラーの傑作群で味わう、
ラストの感動は格別といっていいし、それもキングの味わいであるとは思う。
でも、この作品に関していうなら、
ラストで言いたいことは頭では理解できる部分もあるし、
深みを持ったラストを描こうとしたことは理解できるのだ。
だが、こころに伝わってくるような感動は、不思議なくらい感じられない。
「ああ、たぶんこの部分でこうやって泣かせたいのだろうな」とはわかるのだが、
涙があふれてきて、とか、こころにズーンと響いてきたり、がない。
それは、そこまでの語りの饒舌さに酔ってしまい、
読むこちらに感動するキャパシティが残っていなかっただけなのかも知れないが、
そこまでの濃厚な描写と比べ、
ラストに至るまでの経緯は、少々唐突な印象があるし、何だか急ぎ足のような感触は、否めないのだ。
そんなわけで、悪くはないけど、どこかもの足りないこの作品。
で、ずいぶん前に戻るのだが、
〝天才キングの到達点〟ではないでしょ、というとこにつながるわけだ。
通過点、というか、何というか。
第一、まだ「暗黒の塔(ダーク・タワー)」だって、全貌が明らかになっていないのだから。
キング自身が遭った瀕死の交通事故から、待望の復活作であったり、
その事故そのものと重なる部分があったり、で、感慨深いものはあるけど、それはそれ。
だから、またもオビの話に戻ってしまうのだが、
〝この本はこんな方にお勧めです〟というくだりにも引っ掛かる部分が多いのだ。
〝「スタンド・バイ・ミー」が好き。
「グリーン・マイル」には感動した。
「アトランティスのこころ」は傑作!
「骨の袋」の愛の切なさに涙した。
キングなんて読んだことがない。
グチャグチャホラーは好きじゃない。
少年の純粋な気持ちにホロリと来る。
オトナの深い心遣いにはぐらりとくる。〟
最初にも書いた通り、オビにブツブツ言ってもしかたないんだが、
やっぱり、読んだ後「何だよ…」と思うオビはどうかと思う。
まあ、〝キング絶賛の本に面白い本なし〟というくらい、
ほかの作家の作品をけっこう無責任に(いや、本当に面白いと思ってるはずだが)
手放しでほめるキングだから、まあ自身の作品のオビだって、とは思うのだけれども…