藤堂志津子「情夫」

mike-cat2005-09-02



40代、50代女性のこころの揺らめきをとらえた連作集。
40を超えても〝現役〟を続けるおんなたちが、とても艶っぽい。
40代というと近年、黒木瞳がそこら中でブイブイいわせてるのが目立つ。
その様子たるや、まさしくブイブイ、という擬音がふさわしい。
「40代のいいオンナ」ランクではどうもぶっちぎりの1位だとか。
昔、僕も「いいな」と思ってたことは否定しないが、
最近の「わたし、いいオンナでしょ」的な自意識過剰ぶりは、ちょっときつい。


完全に周囲を見下したような、優越感まるだしの視線は、やや見苦しいし、
アンチエイジングも別に悪くないが、
明らかに過剰なカネをつぎ込んで若さにしがみついている様は、かなり痛い。
いいオンナを磨くことと、必要以上に加齢に逆らうことは、
むしろ矛盾した努力じゃないか、という気がしてならない。
年相応という言葉を、あまり乱暴に使うのも憚られるが、
若く見えることにすべての価値を持っていくような在り方には、疑問を感じてしまう。


というわけで、前段が長くなったが、
この作品で出てくるのは、そんな黒木瞳系とは一線を画したような〝いいオンナ〟たち。
主人公の職業は、売れない小説家だったり、いわゆるOLだったり…。
売れている売れていない、はまったく別として、作者自身も多少投影された主人公たちだ。


表題作の「情夫」は、二十歳から二十五年来のつきあいを続いた悦郎との話。
〝たいがいが年に三、四回会えばいいほうで、
 どちらかの身辺があわただしくなったりすると、一、二年のブランクがはさまれるのはざらだった。
 その関係は、結局のところ、口当たりのいい言い方をすれば、友だち、
 もっとあけすけで露骨な表現をするなら、情夫、つまりは、そう言うしかない。〟


資産家の息子で、どこか投げやりな悦郎の、最大の特長はアレの巧さ。
〝私〟は一度はそれに溺れ、その後もつかず離れずを続けるのだ。
〝私〟は家庭持ちの男と修羅場を演じ、悦郎も結婚と離婚を繰り返す。
たまに会っては身体を重ね、愚痴を言い合う二人の、不思議な関係が、どこか曖昧で心地いい。


その関係に終止符が打たれるとき、〝私〟は思う。
〝四十五歳になっていた私は、そのとき、長く引きずっていた青春というものが、
 ようやく幕を閉じたのを痛感した。
 哀しくもなく、淋しくもないのに、やはり、涙がこぼれた。〟
ひしひしと迫ってくる、独特の余韻にしばし浸ってしまう、味わい深い作品だ。


「おとうと」は、ブラコン&シスコンの姉弟との出会いを綴った作品。
正直、家族の呪縛から離れられない部分は、かなりきついのだが、
部分部分の描写は、さすが藤堂志津子、と唸らせるものがある。
たとえば、出会いの時期はこうなる。
〝季節は晩春と初夏が重なり合う、短くも、はかない時期で、
 街のそこかしこからは、花や緑のにおいが、思いがけない芳香を放っては、
 道行くひとびとをなごませていた。
 新芽と、咲き誇った花々の腐臭がまじりあった、一種独特なかぐわしさだ〟
咲き誇った花の腐臭、というあたりが、すごくリアルで、伝わってくる表現だ。
そんな刺激的な季節に、鬱陶しい姉弟に出会うのも何だが、それはそれで、また面白い。


「ランチ・タイム」にも、鬱陶しいヒトは出てくるのだが、
こちらは年に5、6回ペースでランチをともにする短大時代の友人との話。
30数年来のつきあいに、突如闖入してきた、酒癖の悪い友人が、ふたりの関係にさざ波を立てる。
いわゆるイヤな話でもあるのだが、目を離せないドラマが、そこにはある。


「男遊び」は、ある日思い立って、20歳以上歳の離れた若いオトコと食事に出た話。
オトコの見せる稚拙な駆け引きのようなものが、うざったくもリアルだ。
ちょっとしたことをきっかけに、オトコの態度が豹変する場面だ。
〝その顔つきには、さっきまでのおどおどした自信のなさは見られず、
 自分の表情のひとつひとつが相手のこころに投げかける効果を計算しているような
 野暮ったい自意識とナルシシズムが、はっきりとあらわれていた。〟
〝オトナの女〟の観察眼の鋭さにひたすら感心しながら、楽しめる一編といえそうだ。


エスコート」も「男遊び」に近しいテイストの一編。
こちらは、ア×ウ×イっぽいのにはまって、生活苦に陥った知り合いの若いオトコとの話。
ホームヘルパーのようなバイトを頼んでいるのだが、
こちらのオトコもふとしたことをきっかけに、態度が豹変する。
ある意味、オトコの愚かさを突きつけられているようで、けっこう身につまされる作品だ。


本自体はさほど厚くないのに、読み終えるとけっこう疲れがくる。
それはやはり、ひたすら濃ゆい感情描写に起因するのだろうか。
オトコが書くような、独り善がりな情愛小説とは違い、
独特な爛れた倦怠感と、それぞれの恋愛のスタイルが堪能できる、深い一冊だった。
満足感と、心地よい疲労感を抱えながら、本を閉じたのだった。