ロバート・J・ソウヤー「ターミナル・エクスペリメント (ハヤカワSF)」

mike-cat2005-09-01



生物医学工学の権威ピーター・ホブソンは、
これまでにない高精度の脳スキャナーの開発中、思わぬ発見に至る。
人間が死ぬ瞬間、〝魂〟と思われる電気の波が、
脳の中から離れていくさまだった。
〝魂の存在〟の発見に騒然とする世界。宗教的、哲学的な議論が噴出する中、
一方でホブソンは、スキャナーを応用した高精度AI(人工知能)発明に成功する。
コンピューターの世界に、自らの複製を創り上げたホブソンは、
いくつかの属性を削除した別バージョンの自分のコピーを作成し、シュミレーションを行う。
だが、ある日、かねてから「消してやりたい」とすら思っていた人物が殺され、
ホブソンに容疑がかかる。
犯人は、コンピューターの中の自分? ホブソンは同僚とともに、謎に挑む。


話の縦軸は、典型的なフーダニットのミステリーだ。
殺人事件の犯人は誰だ。どんな動機があって、事に及んだのか。
それぞれの容疑者の背景や思想などから想像し、推理する。
ただ、その容疑者たち、そしてその背景がこの小説のカギでもある。
容疑者は、ヴァーチャル・リアリティの中に再現された自分たち。
ひとりは、そっくりそのままデータで再現された自分〝コントロール〟、
ひとりは、限りある生命、という概念を削除された、不死の自分〝アンブロトス〟、
ひとりは、身体の感覚などを削除された、魂の自分〝スピリット〟…


どんな属性が、そのひとの人格を決めるのか。
そして、その人格は、どういう理由で行動に至るのか。
哲学的ともいえるアプローチからの推理は、
たとえば、不死の属性を持つアンブロトスが犯人じゃないか、という推理。
犯罪学者による定説をもとに、議論が展開する。
「コールバーグは、犯罪者は、同じ年齢で同じ知能程度の非犯罪者と比べると、
 道徳論理のレベルが低くなる傾向にあることを発見した。
 アンブロトスはいちばん下の第一レベルに固定されているかもしれない
 −処罰をまぬがれるというやつだ」
「不死というのは永遠に生きるということだが、永遠に牢獄で過ごす可能性もあるということだ。
 終身刑というのは、アンブロトスにとっては恐るべき刑罰になる」
「自分が永遠に生きられるとわかっていたら、
 何世紀も胸を痛めるような犯罪でも平気でおかそうという気になるじゃないか」
「人生が永遠に続くとわかっている不死のバージョンのわたしにとっては、
 それを実行するなんてとても耐えられないんじゃないか」


どれもなるほど、概念の世界でしかないが、
人類がいままで達したことのない領域での思考領域だから、あくまで哲学的だ。
だからといって、別に難解ではない。
「もし〜だったら?」の仮定の下での、高度な遊びが最大限に展開されている。
もちろん、ミステリ仕立てなので、一応の解答は当然示されるわけで、
それに対して納得のいかない読者もいるのかもしれないが、
それはそれ、ひとつの解釈として楽しめばいいかな、という感じ。
自分なりの思考というか、推理とかで、この仮定を突き詰めていけば、別の楽しみ方もできるはずだ。
なるほど、いかにもソウヤーらしい、自由度のある楽しみが提供されている。


一方、こうした本筋の面白さもさることながら、
この〝魂の発見〟によって派生するさまざまな社会への影響も面白い。
ネットニュース・ダイジェストという項目で、
これらの事件やニュースが章間などに挿入されるのだが、
その気になれば、これだけでも1本小説が書けそうなネタの宝庫になっている。
たとえば、宗教的な問題。魂の存在をめぐって、数々の宗教、そして宗派が対立する。
たとえば、妊娠中絶の問題。魂は〝何週目で宿るか〟が判明することで、またも議論が噴出する。
たとえば、動物の魂の問題。人類に最も近い類人猿、チンパンジーには魂があるのか。もしあるとしたら…
当然、魂があるなら、死後の世界はあるのか、という疑問も当然湧く。
ホブソンでも、別にそんなことまではわからないのだが、宗教家を始めとする世間の追求は鋭い。
テレビ討論などに引っ張り出されたホブソンが、集中砲火を浴びるさまも、まことに興味深い。


ちょっとこれは…、と思ったのがひとつある。
小説の序盤で登場する、高精度のベビーモニターをヒントに作られた商品だ。
それは、ヒトの眠りの状態を表すモニター。
〝白色は、その人物が起きていることを意味する。
 赤色は、その人物が軽い睡眠状態にあり、物音や振動で確実に眠りを妨げられてしまうことを意味する。
 黄色は、その人物が中間の催眠状態にあり、
 ちゃんと気を遣いさえすれば、パートナーがベッドから起きてバスルームに行ったり、
 咳をしたりしても、眠りを邪魔されたりはしないことを意味する。
 緑色は、その人物が深い睡眠状態にあり、
 パートナーがベッドの中でリンボーダンスをしても、おそらくは目を覚まさないだろうということを意味する。〟
これじゃ、たぬき寝入りができないじゃないの。


携帯電話でも、ポケベルでも、同じなのだが、
こうした便利な商品が、結局は〝誰のために便利〟な商品なのか。
そりゃ、管理者のとっては便利であっても、管理される側にとっては、過剰な人間疎外でしかない。
テクノロジーの発展って、結局ひとを幸せにしているのか、
それとも、技術が発展しても幸せになれないのは、人間の側の問題なのか…
つくづく、質のよいSFというのは、いろいろと考えさせられるものだな、とひたすら感心なのだった。