シネリーブル梅田で「おわらない物語 アビバの場合」
いくら主人公の名前がアビバだからって、
わざわざ邦題でアビバをつけるのはどうなんだろう。
確かに原題は〝PALINDROMES〟(回文)。これじゃわからない、というのは理解できる。
ならば、「終わらない物語」だけでも、十分意味は通じるだろう。
加藤茶の顔を思い浮かべるようなサブタイトルをつける意味は、どこにあるのか。
確かにアイキャッチャー代わりにはなるので、
ソロンズ映画に興味のないヒトにも、アピールできる部分はあるだろうとは思う。
しかし、結局ソロンズの映画は、
観るヒトは観るし、観ないヒトは観ない、そういうジャンルにあるような気がするのだが…
それはともかく、東京から大幅に遅れての公開、それもレイトショーのみ。
あらためて、映画事情の違いに愕然としてしまう。
まあ、そりゃソロンズの映画がそんなに多くの需要あるとも思わないけど。
ソロンズといえば前作「ストーリーテリング」と「ハピネス」は観たけど、
この作品と多少のリンクを持つ「ウェルカム・ドールハウス」は未見だった。
予習しなきゃ、なんて思いながら結局未見のまま、この作品に臨む。
〝したたかないじめられっ子〟だった「ウェルカム〜」の主役ドーンが、
レイプによって身籠もり、その遺伝子を残したくがないため自殺、
その葬式が執り行われるという場面で、物語は幕を開ける。
わたしはあんな風に死にたくない。
たくさんの子どもを産んで、常に誰かを愛する人生でありたい。
12歳のアビバの素直な心境だ。
そんなアビバはある日、友人の息子ジュダとセックスし、その子を身籠もる。
うろたえ、怒り狂う両親は、どうしても産みたいというアビバを脅しつけ中絶処置を行う。
〝念願〟の子どもを奪われたアビバは、途方に暮れたように旅に出るのだった。
物語は、そんなアビバとさまざまなヒトの出逢いを通して、
小児性愛や家族の価値、そして中絶問題などさまざまな問題に疑問を投げかける。
ありとあらゆるタブーを破り、苦く、ダークな笑いを提供してきた前作までと違い、
比較的ストレートな構成で、さほど茶化すことなく、問題提起が行われる。
ただひとつ、アビバを演じる女優(もしくは俳優)がころころと切り替わる以外は、だ。
幼いアビバを演じるのは、嫌悪感を覚えるほどの巻き舌でしゃべる黒人少女。
その後は白人、ユダヤ系(に見える)、巨体の黒人女性、少年が次々と同じアビバを演じる。
しまいには何と、ジェニファー・ジェイソン・リーも登場する。
パンフレットによるとソロンズは、容姿や人種、年齢や性別によって、
アビバのキャラクターを固定観念でとらわれたくない、との狙いがあったという。
なるほど、トロいほどに純粋なアビバの行動様式は、どんな女優(俳優)が演じているときでも変わらない。
確かにかなり奇抜ではあるが、まず奇抜さありき、の手法でないことは、十分に理解できる。
物語の大きなテーマとなるのは、子どもを産むか、産まないか、の命題。
それはそのまま中絶の是非を問う部分でもあるし、
こんな世の中に子どもを送り出すことは、果たしてどうなのか、という部分でもある。
ソロンズの答えは、明快とは言い難い。
哀しくシビアでもあり、希望を捨てないしたたかさでもある。
たとえば、中絶反対派にとっては、いのちの大切さという大義名分がある。
確かにそうなのだが、望まれない子どもの行く末、
そして女性にばかり負担が押しつけられる社会事情を考えれば、
それがいかに乱暴な〝正論〟か、という問題に行き着いてしまう。
映画の中では、反対派は病院の前でデモ行進し、事情あって病院を訪れる親子に罪悪感を植えつける。
望まれずに産まれた子どもたちが、生きる喜びを見つける、
サンシャイン・ホームという施設も登場するのだが、これもどこか胡散臭い描写になっている。
実際、その経営者はかなり強烈なキリスト教右派になるのだろうか。中絶医の暗殺を企てる。
かといって、安易な堕胎に免罪符を与えるわけでもない。
アビバに中絶を説く母親は、かつての自分の堕胎経験を述懐する。
「いまの暮らしを守るため、しかたのない選択だったの」という説明。
守った〝暮らし〟の例が、何ともわびしく、痛々しい。
インシンクのコンサート、ベン&ジェリー(アイスクリーム)のバリュー・パック…
貧困層に近しいこの両親にとって、堕胎とはアイスの量の多少と同等のレベルの問題なのだ。
母親を演じたエレン・バーキンのきっついまでの好演がまた、観るものにその強烈な〝痛さ〟を印象づける。
ああ、あのアル・パチーノを惑わした「シー・オブ・ラブ」での艶っぽさは何処へ…
それはともかく、
この映画の、痛いまでにアメリカの現実をえぐる視点は、ただただすさまじい。
それがダークな笑いによる痛烈な皮肉ではなく、ストレートな映像で示されることで、
観ている方も否応なくその問題について、考えさせられることになる。
しかも、わかりやすい答えは用意されない。
さまざまな矛盾を孕んだ現実が、カリカチュアライズされた形で示されるだけだ。
その問題提起はラスト、旅を終えたアビバのひと言で幕を閉じる。
さまざまな事件を乗り越え、というか、事件の中で流され続けたアビバが、
もう一度原点に立ち返った時、口にした「こんどこそ、赤ちゃんが産める気がする」。
これを、尽きることのない希望と読み取るか、それとも哀しい皮肉と受け止めるか…
それは観る側に委ねられているのだろう、と思う。
どんな時でも、映画は観る側のこころを写す鏡となるが、この映画は特にその傾向が強い。
残念ながら、僕は哀しい皮肉としてしか受け止められなかった。
この映画そのものの価値を認めつつも、ソロンズのメッセージは僕には哀しく響く。
能天気なオプティミストを自認していたつもりだったのだが、むむむ…
そんなこんなで、悩み尽きぬ映画ではあったのだった。