島田雅彦「退廃姉妹」

mike-cat2005-08-24



レトロチックなオレンジ色の表紙。オビがないのも雰囲気でてる。
で、裏表紙にこう。
進駐軍の兵士たちに身を投げ出す行動的な妹。
 特攻帰りの男のすべてを受け入れる理知的な姉。
 過酷な戦後を生きる美しき姉妹の愛と運命は?
 戦後60年の日本人に島田雅彦が贈る大型ロマン!」
さらに、表表紙はこう。
「これからは私たちがアメリカ人の心を占領するのです」
おっ、そそるねってことで、お初の作家に挑戦してみた。


東京大空襲を逃れた、映画監督の重役の家に生まれた姉妹。
姉の有紀子は生真面目にして理知的、妹の久美子は奔放にして行動的な対称的な二人。
戦後、父は占領軍のための慰安施設を作るべく奔走するが、
ある事件をきっかけに戦犯として収監されることとなる。
打ちのめされるような出来事が続く中、
有紀子は出征前に言葉をかわしただけの後藤との恋にこころの救いを求め、
久美子はアメリカ人相手の娼婦として、逆に占領軍を翻弄することで、生きる目的を見つけていく…


印象的なのは、
〝撃ちてしやまん〟〝一億火の玉だ〟の大号令がかかる、終戦間近の東京の様子だ。
案外、白けたものなのだ。
もちろん、学校の教師とか新聞、そして姉妹の父が作る戦意高揚映画は、煽るだけ煽る。
だけど、どこか民衆は懐疑的だ。
〝誰も本気で「一億玉砕」などとは思ってない〟
でも、それは口に出せない。
栄養失調から体調を崩し、医者を訪れても、言われるのは
〝−掌にクスリと書いて、それを舐めれば治る。〟
状況は著しく悪い。
〝ここ二年で、姉妹は目に見えてやせ衰えた。
 生理も止まってしまうほど銃後の女たちは弱っていた。
 それでも戦争に勝つつもりでないと、白い目で見られた。〟
もちろん、小説とは承知の上だが、何だかとても正確に当時の状況を再現しているような気がしてならない。


戦争が終わると、状況は一変する。
〝悲愴な顔で生徒たちを煽っていた国語の先生も健在だった。
 夏休みのあいだに脳みそを入れ替えたのだろう。
 よく生き延びてくれた。これからは君たちの時代だ、なんて空々しいエールを送ってくれた。
 その直後にこうもいった。
 −夏休み前に先生がいったことはすべて忘れて、これからのことだけを考えなさい。
  先生が何をいっていたか聞かれても、知りませんと応えること〟
つまりは、最後のひと言がいいたかったわけだが、
恥も外聞もない変わり身と、身もふたもない保身に走るその姿、
人間の卑しさの最たる部分が出ているようで、まことにリアルな描写となっている。


小説では触れられていないが、実際、新聞なんかの〝転向〟ぶりもすごかったらしい。
先日の朝日新聞だったか、
言論統制があって、新聞も戦争の片棒を担いだ〟と、
しかたがなかったかのような物言いをしていた社説を読んだけど、ホント恥を知れ、と思う。


で、こうした世の中のあられもない〝転向ぶり〟の最たるものが、
〝玉砕〟を訴えていたはずのヒトたちが、
次の日には〝国体護持〟の名の下に、占領軍のための慰安施設を作り、
そこに、食うや食わずの戦争未亡人らを言葉巧みに騙して送り込む。
姉妹の父は、娘たちを守るため、と自分を言い聞かし、女衒として女を騙す。
それどころか、ひょんなきっかけから、処女の娘を〝ちょうだい〟してしまう。


こうした恥知らずな真似は、日本全国津々浦々、
そこら中で行われていたのだろうな、ということは、想像に難くない。
でも、そうやって日本人は生き抜いてきた、といわれればそうかも知れないが、
それに対し、〝したたか〟という表現は決して使いたくない。


まあ、ここらへんを語り出すと長くなるので、これはコレで置いておく。
というわけで、そんな日本の戦後を生きた姉妹の話。
状況に振り回されるばかりだった姉妹が、
試行錯誤を繰り返していく中で、自分たちの生き方を模索していく姿が描かれるんだが、
物語のテンポはまことにスムーズに進んでいく。
姉妹の行く末をハラハラしつつ、見守っていくことになる。


小説としては、まずまずよくできた小説なんだと思う。
だが、どこかもの足りないな、というのが率直な感想だ。
展開そのものは、けっこう刺激的な展開を見せながらも、あまりこころに伝わってこない。
オトコたちの戦中戦後の〝転向〟ぶりに比べ、いまいち姉妹が弱い。
したたか、というなら、とことんしたたかに戦後を生き抜いて欲しいし、
人間の原罪だとか、そういうレベルにまで立ち入った、業の深さを感じさせるぐらいであって欲しい。
もちろん、この小説で描かれるできごとを、軽々しく見ているつもりはない。
でも、さまざまな記録から伝え聞く戦後の弱肉強食の世界において、
姉妹の行動は終始、どこかライトでカジュアルなのだ。


たとえば、久美子が仲間とともに運営する、米軍兵士相手の娼館。
ヤクザへの見かじめ料とか何とか、そんな話題も出てくるが、とてもイージーに経営が成り立っている。
たとえば、有紀子がこころを捧げる特攻帰りのオトコ。
平気で「俺の不幸が移るぞ」「いいんです、うつしてください」みたいな会話を展開する。
もちろん、そういうクサさも味かとは思うのだが、どこか安いメロドラマ風に思えてしかたない。


もっとドロドロを期待して読み始めてしまったのが運の尽きだったらしい。
とんでもない状況においても、けっこう簡単に生きる道を見つけていく姉妹に、けっこう拍子抜け。
読みやすさも、逆に物語を軽く感じさせる材料になってしまい、読み終えると物足りなさばかりが残る。
もっと不幸になって、もっと苦境に陥ることを望んでいた、というワケでもないんだが、
この時代を描いた、数ある小説と比べ、お手軽感がどうしても鼻についてしまった。


たぶん、作者はそこらへんも承知の上で、
あえてこういうセンを狙って書いているはずだから、批判が的外れなことも、承知している。
よって、もの足りない、というのはあくまで個人的な感想。
一般的にはよく書けた小説なんだと思う。
だから、それをもの足りないという自分は、もしかして人非人
ううむ、なかなか悩ましい。
複雑な想いを残す一冊になってしまったのだった。