朱川湊人「かたみ歌」

mike-cat2005-08-22



直木賞受賞後第一作。受賞作の「花まんま」同様、
昭和の時代への郷愁に、切なさとやるせなさの味つけが効いた作品集だ。
ただ、短編集「花まんま」の舞台は万博の時代の大阪だったが、
こちらは時代こそ同じ頃ながら、東京は下町、都電沿線の「アカシア商店街」が舞台。
太平洋戦争中の東京大空襲を逃れ、戦前からの街並みを残す商店街だ。
オビにある、
「つらい時、悲しい時、どこからか聞こえてくる あの歌声が、いつも私の支えだった」は、
当時でもすでに懐メロだった「アカシアの雨がやむとき」が、
延々とリフレインされる商店街の様子からきている一節だ。


七つの短編からなる連作は、いずれも生と死にまつわる奇妙な物語ばかり。
狂言回しを演じるのは、古書店「幸子書房」の店主。
芥川龍之介さながらの風貌で、どこか浮世離れしたその人物が語るには、
何でも町はずれにある小さなお寺、覚智寺には、あの世とこの世を結ぶ境界線があるのだとか。
だから、この町は不思議な話には事欠かないのだという。
各短編の登場人物たちは、この古書店主と出逢い、
時には奇妙な巡り合わせ、時には奇跡ともいえる邂逅に、自分なりの理由を見つけていく。


冒頭の「紫陽花のころ」は、
歳上の世話女房に養われている作家志望の男が巻き込まれた不思議な事件。
正直、オトコの青臭さは鼻につくし、オチはかなり反則っぽいけど、
事件を通して当時の時代をうまく説明することで、
連作の導入編として格好の短編にはなっているんではないかと思う。


小児ぜんそくの子供に宛てた怪文書事件を描いた「夏の落とし文」も、
時代を感じさせる一節が、とても印象深い。
〝その頃は今では考えられないほど、世界に子供が溢れていた。
 あちらこちらに学校があり、私たちが通っている区立第三小学校から
 さして離れていない距離に、区立第八小学校があった。
 たいして広くもない国道を境に学区域が分かれており、
 近所に学校が二つあれば、反目し合うのは当然だった。
 それぞれの学校の生徒が公園などで出会うと、よくつまらないトラブルが起こったものだ〟
だが、そんな時代ではあったが、子供の世界は輝いていた。
新しい出来事と、新鮮な驚きに満ちた濃密な時間。
〝子供の頃は時間の流れが遅かった。
 何かの本で読んだことだが、十歳の少年の一日は、六十歳の人間の六倍の感覚なのだという。
 根拠はよくわからないが、まったくその通りだと思う〟
描かれる事件そのものは、切なくてやるせないのだが、
リアルタイムであの時代を生きていなくても感じる、この懐かしさの感覚は、
先に挙げた一節がうまく説明してくれていると思う。


「栞の恋」は、古書店の本に挟んだ、栞による文通の話。
こちらも使い古された手法とは思うが、どこか心をつかんで離さない魅力が感じられる。
「おんなごころ」は、アカシア商店街の小さなスナック「かすみ草」が舞台。
ろくでもないオトコに振り回される豊子と、その娘の受難を描いた、やるせない作品だ。
ここで描かれる〝おんなごころ〟には、旧来の価値観に飼い慣らされた女の哀しさが漂う。
男のために、耐える女。あくまで一方通行の都合のいい〝こころ〟。
それでも、それが美徳であった時代があったことを思うと、これがまたやるせないのだ。


「ひかり猫」は、孤独な魂がひとときの癒やしを求めてさまようお話。
猫がらみなので、涙なしではとても読めない。
ただ、儚くはあるけど、どこか救いもあって、〝いいお話〟には仕上がっていると思う。
「でも、やっぱりな…」と感じずにいられないのは、
あくまで僕の個人的な事情ということにしておく。


「朱鷺色の兆」は、死を告げるサインが見えてしまう中古レコード屋の独白だ。
大型スーパー出店、そして地上げと時代の波にもまれた、
アカシア商店街のその後も描かれ、これまた切なさが募る一編。
ほんのり淡いピンク=朱鷺色。それは、鳥が飛ぶのに絶対必要な風切り羽の色のこと。
〝そいつが抜けた鳥は、もう飛べなくなっちまう−鳥にとっちゃ死んだも同じなんだよ〟
そんな羽が見えてしまった時、その人は運命の神様に身を委ねることになる…
話自体は、うまくまとめたな、という感じもあるが、これはこれでなかなか悪くない一編だ。


そして最後の「枯葉の天使」では、
早逝の女流詩人による作品集をめぐり、出版社勤務の夫を持つ久美子と古書店主が邂逅する。
そこには、連作の最後を締めくくるにふさわしい、グッとくるストーリーが展開される。
もちろん、あたたかいだけではない、ホラーチックなテイストも効いていて、
いかにも(というほど、すべてを読んだわけではないが…)朱川湊人っぽくもある。


まだ作家デビューからさほど年月を経てないにも関わらず、
ちょっと安定感が出すぎている点が気になるのと、
今後の作品もこの線でひたすら書き続けられると食傷気味にならないか、
といったあたりが、心配ではあるけど、やはりモノは悪くない。読んで損のない一冊。
読み終えると「花まんま」同様の、懐かしさを伴うセンチメンタルな読後感が残った。