乾くるみ「イニシエーション・ラブ (ミステリー・リーグ)」。

mike-cat2005-08-21

80’sのナンバーに彩られた、〝僕〟とマユの甘酸っぱい恋、
そして、そこに隠された、仰天の恋愛ミステリ。
読み終えてひとこと「やられた…」。


というのは、ちょっと見栄張って書いてしまった。
実は〝やられた〟にも関わらず、その瞬間が全然認識できなかったのだ。
何しろ、驚愕のラスト2行、何と読み飛ばしてしまった。
次のページめくったら、奥付でやんの。
「あれれん… これで終わり?」と思って、
最後の2行をもう一度読み返し、とりあえず〝何かをやられた〟ことに気づく。
しかし、まだ目の前に示された解答が、理解できない。
つくづくミステリ・センスの欠如を嘆きながら、パラパラめくり返していく。
そしてようやく、読んでいて引っ掛かっていた〝伏線らしきモノ〟が段々につながっていく。
で、はたと気づいたわけだ。「ああ、そうだったのか」と。
〝信頼できない語り手〟と〝時系列〟がキーワードだったことは、
何となく読んでいて気付いていたつもりだが、
まさかそうだったとは、と遅ればせながら感心し、無事人並みに〝やられた〟に至った。


この小説をもっとも楽しめるレベルのミステリ・レベルの人だと、
読んでいるウチに、その伏線が張られた部分に着目し、
その伏線を頭に入れながら、推理を働かせるのだろう。
そして、途中「もしかしたら…」とカラクリに気付き、最後2行で「よし♪」となる。
もしくは、おぼろげに疑っていたオチが、最後の2行で形になり「ほお」と感心する。
もしかしたら、上級者だと後半途中くらいでニヤリと笑ってしまって、
「ここはこういう矛盾があるんだけど…」とか、なってしまうのかもしれない。
しかし、僕は残念ながら、
「これがたぶん、伏線なんだろうな」と思いつつ、最後までそれがうまくリンクさせられなかった。
書評などでご推奨の〝二度読み〟はしなかったけど、
パラパラめくり返してみると、ひたすらよく練られた伏線に感心するほかない。
ううむ、つくづく悔しい。


Aサイドで描かれる〝僕〟とマユの出逢い。
Bサイドで描かれる〝僕〟とマユの別れ。
どちらも80年代のどこか浮ついて、ダブついた様子を映し出すような、
身勝手で幼稚で、小っ恥ずかしくって、安っぽい恋愛が、
確信犯的に描かれていく様は、この作家の人の悪さというか、何というか。
しかし、その「ホットドッグ・プレス」(より、さらにダサめ)な恋愛模様の端々に点在する、
「何かヘンだな…」感をきっちり読み込んでいくと、また違う感慨が揺り起こされるのだろう。
ただ、伏線に目をつぶったり、僕みたいに読み違うと、
これがまことにくすぐったいばかりで、その上ヘンな方向に推理が働く。
ちなみに、ヘンな裏読みから、イニシエーション=通過儀礼の意味も、
オウムだったかどこだったか新興宗教のアレと勘違いしてしまった。ああ、恥ずかしい。


もちろん、本自体は面白かったんだが、
バカ探知ゲートでピコピコ鳴ってしまったような気がして、複雑な想いも。
ううん、せっかくの傑作もブ×に真×、ネ×に小×だったのだろうか…
ひたすら無念を覚えながら、本を書架に戻すのだった。