三浦しをん「桃色トワイライト」

mike-cat2005-08-10



ボイルドエッグス・オンラインの週1エッセイをまとめた最新刊。
http://www.boiledeggs.com/
しかし、すごい表紙だな。
そりゃ、妄想が暴走する乙女によるエッセイとは了解している。
だが、〝桃色〟と〝トワイライト〟のタイトルに、
松苗あけみ画・真っピンクの〝乙女〟全開イラストは、
もうまるまる、といっていい少女マンガの世界だ。
ホ○漫ファンなのになぜ、とか野暮を言うつもりもないんだが、
30ウン歳・男性の読者もいるのだよ。
まあ、ミッフィーとか平気で買ってる(ひとりじゃ買わないが)やつが、
何を言うとるのかね、と反論されたらグウの音も出ないのだが。


ちなみに、タイトルの秘密についても本の中で触れられてる。
少女マンガの、不思議なタイトルについて、書かれた一節だ。
実名だと「ときめきトゥナイト」とか、「魔天道ソナタ」とか、
勝手に考えたのだと「ひかえめレモン」とか、「恋色メタモルフォーゼ」とか
〝それらしい単語を適当にいろいろ組み合わせてみて、
 「うん、これだ!」と編集者のオジサンが一人で悦に入って決めたようなタイトル。
 たしかに「それらしい」んだけど、よく考えてみるとさっぱり意味がわからないタイトル〟
について、考察を重ねている。
で、そういうタイトルを目録から見つける遊びのすえ、
発見した逸品が「ゆびさきミルクティー」だ。


聴いた途端、何となく想像することはあるのだが、
やっぱり三浦しをんは、そのまんまの妄想を、ストーリー仕立てで展開する。
もちろん、どう考えてもあり得ない系だったりするところが、
いかにも三浦しをん的世界だったりするんだけど、これがまたおかしい。
で、そんな少女漫画タイトルの法則に基づいてつけたタイトルが、これだ。


まあ、実際読んでみると、
第3章のサブタイトル「人格ランドスライド」の方がより適当かも、とは思う。
新選組!」「仮面ライダークウガ」に刺激され、オダギリジョーに恋い焦がれ、
人格がどんどんとランドスライド(地滑り)を起こしていく…
もちろん、あの表紙に〝ランドスライド〟じゃ、かなりミスマッチなんだが、
それもミスマッチの妙、というやつで乗り切ってくれてもよかったかな、と。
しかし、それじゃ松苗あけみに顔向けできないか…


で、本の中身。
連載当時から毎週楽しみに読んでいた作品なので、既読のものばかりだ。
しかし、こうやってまとめて読んでみると、
これはこれでまた、違う楽しみというのが感じられる。
ああ、こうやって妄想が炸裂し続けてるんだな、と感慨もひとしおだ。
小説のテイストと共通の嗜好は感じさせつつも、爆発の方向がまったく違う。
たとえば、オダギリジョーについて語る一節だ。
もちろん、今回は本の半分くらいがオダ○ョー関連なので、そのさらに一部分。


佐藤浩市との京都不倫旅行を夢見る友人(既婚)と、
オダギリジョー×佐藤浩市について語る場面だ。
〝オダ○ョーは朝からサンマを食うだろう〟と勝手に想像するのだ。
「サンマを焼いて、ちゃんと大根下ろしも作って、それを朝からツルリと食べる感じなんだよ」
対して、佐藤浩市はこうだ。
「骨も残さずにアジのひらきを頭からかじる感じなの」
わかるような、わからんような。
しかし、アジのひらきの骨は残すだろ。いくら佐藤浩市が、あんな感じだからって…


もしくは新規考案した「物陰カフェ」の一節。
ホ○漫好きを公言する作者は、
カフェスタイルのエプロンをつけて立ち働く従業員たち(いい男)を、遠巻きに眺める〟
カフェを所望してみたりする。
従業員と客との会話は禁止、お触りももちろん厳禁(お触りは現金、という店はありそう…)。
従業員は、客の妄想をかき立てるように、さまざまな行動で〝ほのめかす〟
ここ、肝心だそうだ。
〝やりすぎてはだめよ。
 乙女心は微妙なものだから、あまりあからさまにされすぎると鼻白んでしまうわ〟
いや、これも理屈はまったく正しいんだが、
いうやって力こぶ込めて語られると、やっぱり笑ってしまう。
こうした妄想の数々が、小説という、ある種制約を持った表現の中で発揮されると、
三浦しをんの小説ができあがるのだな、と、ヘンな感心をしてしまったりするのだ。


ほかにも、
「わたしがいまつき合いたい相手は〝てっちゃん〟」(焼き肉と違うよ、鉄道オタク)
と宣言する一節なんかは、もう笑いが止まらない。
かつて〝バランスの取れたひと〟とつき合いたいと思っていた作者が、
〝一芸に秀でたひと〟とつき合ってみたい、に変容し、
なぜだか〝てっちゃん〟に至るまで、
そして〝てっちゃん〟とつき合うことのメリットを暑く、じゃなく熱く語る。
(しかし、暑苦しさがトレードマークのてっちゃんだから、暑く、の方が正確かな?)
実際つき合ってみて、そんな風に思えるか、という問題はさておき、
この炸裂ぶり、やはり三浦しをんの妄想エンジン、パワー全開で回ってる。


一冊読み終えると、そのパワーに圧倒され、
疲れてしまうのも確かなんだが、この濃ゆいエッセイ、やはりクセになる。
既刊もまた、読み返してみようかな、と思わせるその味わい、
やはりこの作者ただものじゃないな、とあらためて思ってみたりもするのだった。