三羽省吾「厭世フレーバー」
本日よりまたもナゴヤ…
だから、題名に〝厭世〟の一語が入る本を選んだわけでもない。
単に前日、出先で読む本がなくなったため、緊急措置で買った本。
ちなみにオビの「俺がかわりに殺してやろうか」は、かなり内容にそぐわない。
JAROに訴え出てもいいくらいの、売らんかな、の惹句だ。
冒頭のあたりは、微妙にそういった感じもあるが、
全体のテイストは、むしろもっとほにゃほにゃしたテイストが目立つ。
文藝春秋らしからぬ、反則っぽい気もするが、まあそれはいいだろう。
祖父に父母、長男・長女に二男という6人世帯から、父・ムネユキが突如姿を消した。
リストラによる失職と、失踪。
しかし、もともと放浪癖もあり、世をはかなんで、ではないらしい。
問題は残された家族だ。
母は酒浸り、長男は突然家長の責任に目覚め、
真面目一辺倒だった姉は、毎晩のように帰宅が遅くなる。
二男はそんな状況に拗ね、好きだった陸上からも離れようとする。
そして、ボケ気味だった祖父の症状は、悪化の一途をたどる…
再婚、連れ子、出生の秘密…。
いくつかの秘密を抱えた家族の形が、すこしずつ変わっていく。
そんな残された家族5人、ひとりひとりを主人公にすえた、連作集だ。
14歳のケイを主人公にすえた冒頭の一編が、どうにもとっつきにくい。
まあ、現実の中学生男子に〝事の道理〟を説いたって、
ある程度部分的なとらえ方しかできないから、怒ったってしかたないのだが、
とにかく子どもっぽいのだ。中学生でこれは、ちょっとないだろう、というくらい。
拗ねる、という漢字が、「手」ヘンに「幼」と書く理由がよくわかる。
〝俺は父さんが選んだ行動については特に感想は持ち合わせていない。
父さんの失職と失踪によってウチの経済状況がどうなっているかも、詳しくは知らない。
この先ウチがどうなるのかってことも、分からない。
まぁハッキリ言って、そんなことに興味はないんだ。
ただ、どうしようもなくムカつく。父さんじゃなく、残された家族に対してだ。
そりゃ、誰にも何も告げずにいなくなったことは随分と無責任だと思うよ。
けど俺的には、その後の家族のリアクションの方が嫌な感じなんだ。
家族の誰もが、あの出来事をきっかけに本性を現したみたいで、
それらのことごとくが醜悪で、とにかくムカつくんだ。〟
中学生でこういう状況に追い込まれたことには同情したい。
しかし、この反応は、あまりにチャイルディッシュだろう。
中学生にもなれば、おぼろげに経済状況のことだって想像はつくのに、
分からない、興味はない、と思考から切り離す身勝手さ。
状況を招いた原因たる父でなく、
いますぐ怒りをぶつけられる残された家族に対して怒り狂うお手軽さ。
家族の誰もが、本性を現した、と怒る自分が、
〝幼さ〟という本性を剥き出しにしてることに気付かない、思考不足。
そういう感覚を抱くこと自体は、誰だってあるだろう。
しかし、一度自分の身に立ち返って、冷静に分析できなければ、
小学校低学年の子どもと何ら変わらない。
確かに、こういう中学生ぐらいのコっているだろうとは思う。
いや、高校生や大学生、いいオトナになってもこういうヤツはいる。
いいオトナでこれだと、ある意味珍種でもあるから、物語になるんだが、
中学生あたりだと、単にウザったいガキでしかない。
これを主人公にすえた短編を、
いきなり読まされる方としては、かなりげんなり感は高まってしまう。
しかし、なのだ。
全然感情移入できない「十四歳」に続く「十七歳」ですこし感触が変わる。
カナは、常にいいコを装うことで、世の中をスムーズに渡ってきた。
だが、父の失踪を機に、カナの中で何かが変わる。
苛立ちとも何とも言えない感情を処理しきれず、迷走を続けるカナ。
「女子高生」という記号で、値段に換算される世代は、
アイデンティティ探しにも常に「¥マーク」がちらつく。
カナが周囲の同じ世代を見る目は、とても冷たい。
〝バカ系は自分の身体を思い通りに動かせることに興奮してるガキで、
オタク系は自分の心を思い通りに操れないことに鬱々としているガキ。
普通系の子にも、どちらかに傾きそうなのを躊躇してる予備軍も少なくない。
そう、オッサン連中の成人病みたいなもの。
私はおかげさまで健康体。
どちらにも属さず、傾向もない純粋普通系。
自分の身体や心に興奮も鬱々もしない、声を上げない多数派だ。〟
そう、この世代に必ずいる、シニカルでしらけた感覚の持ち主だ。
そして、周囲の〝ガキ〟みたいにはしゃげない自分が、
何となく気に入ってるし、でも何となく気に入らない。
つまることろはこのカナも、一種の〝ガキ〟なんだが、
一連の迷走を経て、それに気付いていく過程が描かれるのだ。
ある意味、全編を通じてテーマは同じなんだが、
ちょっと露悪的な青臭さが目立つ「十四歳」に比べ、
この「十七歳」以降は、エピソードのクサさ、強引さは目立つものの、
ここ一番での場面での感情描写や、エピソードの挿入が抜群にうまい。
たとえば、迷走を続けたカナが、その最後にたどり着くある〝生き物〟との出逢い。
「二十七歳」で、必要以上の責任感に目覚めた隆一が出逢った、ある男の〝生き方〟。
この若い世代の変化と、成長の軌跡が、
親世代の回想とリンクし、何とも言えない味わいを生み出す。
「四十二歳」で、倦怠感に包まれた薫や、
「七十三歳」で、ボケが進行する新造の回想で語られる、家族の歴史と秘密は、時に強引な感もある。
だが、それに目をつぶって素直に受け容れると、これがなかなか悪くない。
で、家族のひとりひとりが変わっていく中で、
ムネユキの不在が、かえってムネユキの存在感を引き立たたせていく。
バラバラだった家族が、ムネユキの不在を機に、
以前とは違うつながりを持っていく様が、連作を通じて、ゆっくりと描かれていくのだ。
むろん、傑作とはいえない。
これまで書いてきた通り、展開にかなり強引さも目立つし、
冒頭「十四歳」のとっつきにくさと露悪趣味は、正直最後まで読んでもピンと来ない。
だが、中盤からグイグイと引き込まれる物語のパワーは感じられるし、
読み終えた後のふわふわした感触は、捨てがたい魅力を持っている。
この作品がデビュー作「太陽がイッパイいっぱい」に続く第2作。
これから、がちょっと気になる作家に遭遇した、という感じだろうか。