ドン・ウィンズロウ「ウォータースライドをのぼれ (創元推理文庫)」

mike-cat2005-08-04



前作「高く孤独な道を行け (創元推理文庫)」から実に6年ぶりの刊行となる、
ストリート・キッズ (創元推理文庫)」シリーズの第4弾。
6年も経ったら、基本の設定以外、全部が全部忘れてしまった。


主人公ニール・ケアリーは、ロードアイランドの銀行家イーサン・キタリッジが、
非公式な仕事に使っている、機関〝朋友会〟所属の探偵。
育ての父兼上司のグレアムの指令で動く、いわばエージェントだ。
無理難題を押しつけるグレアムへの憤りと恩義、愛情がないまぜになった感情が、
繊細さを押し隠すニール独特のシニカルな減らず口の形で表現されるのが、味でもあった。


で、今回の事件は「ポリー・ゲート」と呼ばれたセックス・スキャンダル。
レイプで訴えられたのは、
人気ケーブル局ファミリー・ケーブル・ネットワークの人気番組、
〝ジャックとキャンディのファミリー・アワー〟のホスト役、ジャック・ランディス
妻キャンディとともに、創り上げたこの番組は〝アメリカ的健全さの塊のような番組〟。
つまり、セックス・スキャンダルは致命傷だったりする。


訴え出たのは、ジャックのタイピスト、ポリー・パジェット。
古くさい表現方法でいうなら、〝お色気ムンムンの頭空っぽ女〟風のオネエさんだ。
人前で、ひとことでも喋らせたらもう、「ああ、これは女が悪い」的に見られるのは確実。
もちろん、法廷はおろか、マスコミの取材にも耐えきれない。
ケーブル局とジャックが絡む投資の関係で、ポリー側についたキタリッジは、
ポリーを隠匿し、〝淑女〟に育てるべく、ニールに指令を下した。
ワイドショーからタブロイド・マガジンまで、ゲスなメディアが舌なめずりしそうなネタだけに、
さまざまな方面からの損得勘定が絡み合い、ポリーにいくつもの追っ手がかかる。
ニールは果たして逃げ切れるのか…


ジャックの妻ランディから、投資家、マフィア、果てはハードコアのポルノ雑誌まで…
複雑に、コミカルに絡み合うポリー・チェイスが、テンポよく描かれる。
もう少しストイックで繊細なイメージも強かった前作までと違い、
どこかヒップで、笑えるコメディ小説に仕上がっている。
ニールの減らず口はもちろん健在なのだが、
繊細さの裏返しっぽい口調は影をひそめ、よりストレートにシニカルな(矛盾してる?)口調になっている。
このウィンズロウの作品でいうと、
このニール・ケアリー・シリーズよりも「ボビーZの気怠く優雅な人生 (角川文庫)」に近い感じか。
解説にもある通り、カール・ハイアセンのタッチ、というのがより正確かもしれない。


とはいえ、そのシニカルなテイストには、やはりニヤリとしてしまう。
たとえば、雇い主との〝不適切な関係〟に及んだポリーの紹介。
〝ポリーの言によれば、事務所内で事に及んだことも数回あったという。
 それ自体は特に驚愕すべき内容とは言えない。
 一時間に二十ワードをタイプして、国家公務員並みの安定した地位を保証されたタイピストは、
 ポリー・パジェットが最初ではないろうし、
 机に向かってする仕事より机の上でする仕事のほうが多いタイピストも、彼女が最後ではないだろう。
 ポリー・パジェットが異彩を放つのは、レイプされたと訴え手だその事実ゆえだった。〟
突き詰めると、いろいろ問題もある表現ではあるけど、やはり笑わずにはいられない。


で、そのポリーの山出しぶりといえば、もう凄まじい。
たとえば、ネヴァダのど田舎にある、ニールの家に匿われた時の話しっぷりだ。
「ごっち、すかしてんじゃん、こぬ家」
「ふんと、どっちからも遠かっち。走っちゃん、走っちゃん、道ばたにショピンセンタもなんもなぁ。
 ねっ、あちしトイレ行きてー。おしょんしょん、ちびりそ」
翻訳家の苦労が忍ばれる。原文、どんな風に書かれているのだろうか。


レイプ疑惑に対する説明もとてつもない。
そりゃ、〝教育〟が必要になるのも、思わずうなずけてしまう。
「あひゃーーー。けど、あちし、やっすい尻軽女に見らっちる気ぃすんよ。
 けーさつもきっと、『こりゃ、女のほうからせがんだな』っち思たっちゃ。
 けど、ちゃうん。
 あちし、もー終わりにしよっち、ジャックにゆった。
 そったら、ジャック、最後に一回だけっちゅって、あちし、だめちゅって、
 けど、ジャック、女のだめはだめじゃないちゅって、押し倒っち、しぽしぽしちゃん。
 これレープやんね?」
それよりあなた、〝しぽしぽ〟という表現は…、と絶句する。
そりゃ、確かにレイプなんだが、何だかワケわかんなくなってしまう。


しかし、こういうの読んで感じるのは、
自分がアメリカ行った時とか、こんな言葉しゃべってるんだろうな、という不安だ。
何しろ、高校までの英語の成績は、地の底を這いずり回り続けた。
発音は比較的いい、とほめられはするが、
それはほかにほめるところがないから、というのは承知の上。
ボキャブラリーは少ないし、時制とか、文法とか、保証付きでムチャクチャだ。
さすがに〝おしょんしょん〟(原文はピー、よりも下品なんだろうか?)とかは言わないが、
似たようなこと喋ってるかもしれないかと思うと、恥ずかしい限りだったりする。


題材が題材なだけに、笑ってばっかりはいられないのだが、
思わずビル・クリントンを思い起こさせるエピソードは、やはり面白い。
それもこの小説、解説によると、
モニカ・ルインスキー事件が発覚するよりも〝先に〟発表された作品だという。
好感度の名のもとに、メディアが主張をクルクルと変更し、
そのメディアを操作すべく、さまざまな策略が張りめぐらされるあたりは、
こうした事態を予見していたウィンズロウの先見性を伺わせるとともに、独特のセンスを感じさせる。
ああ、もちろんそういうスタイリッシュさよりも、
いい意味でチャカチャカしたにぎやかさが一番だから、素直に楽しめる面もある。
僕に限らず、もう何が何だか覚えていないヒトも多いかと思うが、
ちょっと思い起こして読んでみて欲しいな、と思う、楽しい1冊だった。