デイヴィッド・プロッツ「ジーニアス・ファクトリー」。

mike-cat2005-08-02



サブタイトルは〝ノーベル賞受賞者精子バンクの「奇妙な物語」〟
トンでもないストーリーだと思いきや、のノンフィクション。
内容の面白さに加え、読みやすさもなかなかだ。
ノンフィクション独特の重たさもないし、自信を持ってお勧めできる一冊だ。


1980年に設立された精子バンク、
「レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス」(胚選択の貯蔵庫、の意)の話だ。
当時の「ロサンゼルス・タイムズ」の見出しに
「世界でもっとも閉鎖的なメンズ・クラブ」と称されたこの精子バンクは、
ノーベル賞受賞者(それも科学部門)を精子ドナーに、
母親にはMensa(IQテストで人口の上位2%)の女性たちを配し、
優れた人類を生み出そうという、優生学的な試みから生まれた。
その仕掛け人は、
人類の遺伝的退行(平たく言うと、〝最近バカが増えた〟)
にアタマを悩ますレイシストの大富豪ロバート・K・グラハム。
当時でもすでに時代遅れとなっていた、
優生学的思想を前面に押し出したその〝奇行〟は、ナチの再来とも言われた。
接合型トランジスタの開発で、現在のコンピュータ全盛時代の到来に寄与した、
ノーベル賞受賞者ウィリアム・ショックリーが実際に、ドナーとして名乗り出たことで、
〝レポジトリー〜〟は、世間に一大センセーションを巻き起こした。
このノンフィクションは、気鋭のジャーナリストが、
その当時のセンセーションを詳細な資料をもとに再現し、
〝レポジトリー〜〟が生んだ〝天才児〟たちのその後を追ったルポだ。


人間というのは不思議なもので、
馬とか動物は交配を重ねて、より〝優秀〟で〝純粋〟な血を求めていく。
人間に関しては、優生学的な考え方は建前上禁忌とされる一方で、
「誰それはサラブレットの生まれ」的な言い方は、ごく普通に使われる。
いいのか、悪いのか、どっちなんだよ、ということになる。
実際、この優生学的な考えが問題になるのは、
その〝優秀〟〝純粋〟の基準がどこに置かれるか、が決められないから、ということだろう。
白人、アーリア人が優秀、というのはナチの思想だし、
(日本人を除く)アジア人はどこか劣っている、
というのは富国強兵時代から日本人が抱き始めた、キチガイ思想だ。


僕は基本的に、「黒人(アフリカ系)は体のバネが違う」というのも、あまり好きではない。
事実として、スポーツ選手には信じられないような身体能力を持つアフリカ系選手が多い。
しかし、それは何世代にもわたって、アメリカなどで奴隷として〝使われた〟結果でもあるし、
現代においても(特にアメリカなどで)人種的な区分と、社会的階層が合致し、
アフリカ系住民にとっての成功の道は、スポーツなどわずかな分野に限られる、という状況にも起因する。
さまざまな社会的要因が重なって、結果的に遺伝的要因につながった部分もあるから、
その事実を、単純に血に求めていくのは、著しい過ちだと思う。


ただ一方で、過酷な環境・労働条件にも耐え抜き、
生き抜いた奴隷層の子孫が現代アメリカのアフリカ系住民だ、と考えれば、
遺伝的な交配そのものの有効性というのは、決して否定できない面もある。
背の高いヒト同士、運動能力が高いヒト同士、
頭がいい(これも基準がまことに曖昧だが…)ヒト同士…
こういうヒト同士の結婚が、次世代において、
さらに飛び抜けた人材を生み出す〝可能性が高い〟ことは否定できないと思う。
もちろん、スポーツ選手でも、学者でも、専門的能力を要する分野においては、
子どもの頃から置かれた環境や、英才教育がものをいう場合も多いので、
遺伝子要因と社会的・環境的要因のどちらがどのくらい意味をなすのか、は説明できない。


これは、たとえば学歴なんかで考えれば、よりわかりやすい。
こどもの学歴というのは、親世代の学歴に左右されやすい、というのは常識だ。
だって、学歴というのは社会階層の再生産のための道具で、
親が金持ちで、教育に使えるカネが基本的にはものをいう。
だからといって、金持ちの息子(娘)がみんな学歴が高いか、というとまた違う。
受験の能力は、個人の性格(IQよりむしろこっちでしょ?)によるところが大きい。
コツコツ努力さえすれば、ある程度は挽回できる。
だから、学歴を生み出すのが、個人の能力か、社会的・環境的要因か、
この疑問に、一般的な答えとして割合を導き出すのは不可能だ。


話がだいぶ脱線したんだが、
優生学的思想は、それ自体にある程度の正当性を持っているともいえるが、
運用上の基準をどこに置くか、を議論し出すと、事実上破綻する、という話だ。
だって、人間の優劣って、確かに存在はするけど、
総合的な基準という形で判断するのは、不可能だ。
だから、人間的な部分も評価した、とかぬかすビューティー・コンテストは単なる偽善。
何をもって、総合的に優劣をつけることができるのか、説明しろ、という感じだ。
受験では学力、というあるひとつの基準を測るのと同じ、
美しさというひとつの基準だけにおいて、優劣を決めるだけでいいんじゃないか、と思う。


また、話が脱線したんだが、その運用が事実上不可能だ、という話を、
地でいったのがこの本で紹介される〝レポジトリー〜〟なのだ。
もっとも、この〝レポジトリー〜〟は、
実はノーベル賞受賞者もロクに集められなかったし、
だいたいがそのノーベル賞受賞者の功績が偉大だからって、
その遺伝子が優れているか、というのは別の問題。
その上、人種的な偏見や、ルーズな運営なども手伝って、
〝レポジトリー〜〟の理念(別に高邁じゃないが)は歪んでいくし、運営も次第に傾いていく。
結果的に〝天才児〟を生み出したか、というのは読んでのお楽しみ、と言いたいが、
まあここまで書けば、中身は知れたものだったりする。
しかし、この〝レポジトリー〜〟の失敗は、あくまで運用の失敗と見るのが一般的なようだ。


その後の精子バンクや卵子バンクの盛況ぶりを見るに、
詳細なマーケティングに基づいた精子or卵子選びは、もう常識の世界だし、
受精前の遺伝子操作によって、人生がすべて決まる近未来を描いた映画「ガタカ」だって、
決して架空の未来ではないような、〝状況の発展〟が目の前にはある。
この本で紹介される〝レポジトリー〜〟の失敗を笑い話としては片付けられない、
何とも言えない怖さも漂う、ノンフィクションだったりもするのだ。
おまけに、自分の遺伝子を持たない子供と、父親の関係だって、まことに微妙だ。
そこらへんのロールモデルというのは、もうできつつあるのだろうか…
いや、全然まとまりのないレビューになってるんだが、
ホントにいろいろ思いが尽きない話題が提供される本なのだ。


こういう話を読んで思い出すのは、
いつぞや米国の記事で読んだ、〝精子ドナーに希望するスター俳優ランク〟。
1位マット・デイモンだって…
猿じゃん、と思うのだが、やはり向こうではそういう評価ではないらしい。
イケ面(あくまでアメリカ人的には…)に、ハーバード大卒の頭脳、そして俳優の芸術性…
そんなもんかね? と不思議な気がしてならない。
そりゃ、トム・クルーズとかじゃ困るしね。
ジョージ・クルーニーとかでオンナったらしになっても困る。(オンナ好きは遺伝するの?)
そういえば、ロンドンブーツの番組で、同じ様なアンケート企画があった時、
亮くん(金髪の方)がかなりランク低かったのも思い出した。
そりゃ、アタマ悪そうだけど、性格はそんな悪そうじゃないし、
淳(元赤髪)よりはマシだと思うんだけど、なんて思った記憶も…


これ、オトコが卵子を選ぶ、という方向で考えた場合、誰が1位になるんだろうか。
普通の人気ランキングとはかなり様相が違ってくるはずだ。
たぶん、えっちな感じの女優さん全滅。
ジョディ・フォスターとか、そこらへんがグググとランクを上げるんだろうか。
(ジョディはセクシャリティの問題で、ランク低いかな?)
僕だったら?
とりあえず、ドリュー・バリモアとかはよしとくかな。ドラッグの影響ありそうだし。
レイチェル・ワイズとか、サンドラ・ブロックとかは単なる好みだし…
ううん、ジュリアン・ムーア、でどうだ!
どうだって、別にもらう必要もないし、もらえるわけがないんだが。


しかし、不妊治療に悩むヒトにとっては、冗談のタネでは済まされないのも確かだ。
スターの顔、とかいうのはともかく、
こどもの容姿は、悪いよりいいに越したことはないし、
こどものIQは、低いより高いに越したことはない。
背は高い方がいいし、何より健康であって欲しい。
差別的な発想、コンプレックス的発想も含め、
親の立場としては少しでもいい遺伝子を、という想いを、誰が否定できるのだろうか。
「普通の子に育ってくれれば…」というヒトもいるだろう。
しかし、その普通の子どもを産むためにでも、精子or卵子ドナーは「誰でもいい」とは言わないはずだ。
そう考えると、〝レポジトリー〜〟の目指す方向って、
100%見当違いでもないんだな、とあらためて考えさせられる。


つくづく答えの出ない問題。
だけど、遺伝子的にも凡人な僕としては、
ガタカ」でイーサン・ホーク演じる主人公が見せた、夢の実現にロマンを抱きたい。
そういえば、昨日観た「ロボッツ」にも通じるかもしれない。
ああ、また「ガタカ」観たくなった。もう持ってるけど、スーパービット版買おうかな…