戸梶圭太「嘘は止まらない」

mike-cat2005-07-29



東京ライオット」に続くセカンド・トカジ。そんな言い方ないか…
今回も(といっても刊行順は逆なんだが)、気持ちよいぐらいバカ大集合だ。
しかし、「東京ライオット」に登場するのが、
不快感を味わわせるタイプのバカ(それも安い)が数種類だったのに対し、
この作品には、いろいろなバカが登場する。
安いのもいるけど、香ばしいのもちゃんといる。
〝憎めない〟という表現が適当か、いまいち微妙だが、少なくとも不快感は感じない。
〝バカを描かせたらピカイチ〟(だったかな)の戸梶圭太の持ち味が出ているのだろう。


一部、気になる点はあった。
かなり無神経に〝クロ〟だのという表現が頻出している。
もちろん、確信犯的にやっていることだろうし、
それを気にする方がかえって差別的じゃないか、という議論もあると思うが、
読者層も広そうな作家だし、こうした差別的表現を〝あえて〟していることを、
まったく理解できない読者もいるのではないか、とちょいと不安にもなる。
しかし、そうした部分を一応了解の上で読む分には、
スピード感もあって、あっという間に読める(余白が多いせいもあるが)素直に楽しい作品だ。


安い詐欺師の須波西荻パチスロで時間を潰しつつ、次の詐欺の手口を練る。
そんな須波の前に現れたのが、ナゾのアフリカ系外国人、オベンバ。
パチスロをハシゴし、風俗街を並々ならぬ目つきでねめ回す、
その男の正体はなんと、中央アフリカの小国、ンゴラス大使館の大使だった。
須波はかつての詐欺仲間で、現在は結婚詐欺で食いつなぐ早乙女や、
そのまた仲間の娘で、美貌が売り物の沙理らを引き込み、
ンゴラス大使館とオベンバを利用した、大きなヤマを仕掛けるのだった。


ひとことでいうなら、バカ・コンゲーム
いわゆるだまし合い、といえば高度なテクニックを用いたカラクリがウリだが、
この作品の登場人物には、そんなことする気概も能力もない。
安直な手口をそのまんま実行するどころか、
その安直な手口ですら、欲得に目がくらんで失敗する。準備不足が不測の事態を呼び込む
そして計画はどんどん軌道から外れていくのである。
その迷走ぶりが、この小説の持ち味。
そのバカっぷりが、何とも脱力系の笑いを誘い出す。


計画がうまくいかないのも、無理はない。
だって、ゲームのプレイヤーがあまりにもバカすぎる。
発案者の須波からして、詐欺師に向いてないのに、この世界から足を洗えないタイプ。
何しろ、詐欺の進行中に、登場人物のオンナに目がくらみ、肉欲地獄に陥る。
それにもまったく懲りず、いいトシこいてふらふらと同じことを繰り返す、懲りない男だ。
オンナを手玉に取るはずの早乙女は、頭は切れる。
切れるんだけど、どこかズレている。
詐欺師に必要な冷静さ、というのもない。
だから、状況の変化にいちいち動揺し、短絡的な行動ですべてをぶち壊す。
これは沙理も同じく。
こちらは、頭も切れ、冷静だが、一回ツボに入ると思考停止になる。
たとえば、オベンバの顔写真を見た瞬間。
「だははははははははははは!」。これを喫茶店で延々と続ける。
というか、人の顔見てそこまで笑うなよ、という感じ。
やっぱりどこかがズレているのだ。


しかし、そんなの連中も、オベンバのダメダメぶりと比べればたいしたことはない。
こいつ、大使でありながら、その自覚はまったくない。
もともと、ひたすら援助目当てに日本と国交を結ぶ国の大使なのだが、
その目論みすら忘れ、ひたすら怠惰な毎日を送るだけだ。
真面目ひと筋の書記官マニトには迷惑のかけ通しだが、まったく気にしない。
むしろ、真面目でつまらない男、と斬り捨てる。養ってもらってるクセに、だ。
で、この男の日常は、パチスロとキャバクラめぐり。
それもカネがないから、キャバクラは店の前をなめ回すように見つめるだけだ。


おでかけの様子はこんな感じ。
〝行く先は勿論、吉祥寺駅である。
 オンナからフェロモンを吸収するためだ。でないとンゴラス男児の血が腐ってしまう。
 腐るとマニトのような四十前にしてくたびれたじじいになってしまう。
 日本のオンナとワグチャ(筆者注…ヒリヒリ語ナニのことらしい)したい。
 駐日大使として日本に来て五年も経つが、
 いまだに日本のオンナとワグチャどころかチュバもしていない。
 日本のただひとつ良いところはオンナの質なのに。
 日本のオンナはいい。肌が綺麗で、しかもどのオンナもいやらしい。
 小学生も中学生も高校生も大学生もOLも人妻も熟女も老婆も、
 そろいもそろってインランだ。
 インランはオベンバが日本に来て六番目ぐらいに覚えた言葉で、
 独特の響きが気に入っている〟
しかし、ひどい認識能力だな。
当たらずとも遠からずの部分はあるかもしれないが、日本滞在五年の成果がこれだ。
あげくに、インランが、六番目ぐらいに覚えた日本語。
外国人が最初に覚える日本語を「ガイジン」「バカ」「コンニチハ」あたりとして、
もう次の一群で、「インラン」を覚えていることになる。
どういう来日のしかただったのか、想像するだけで情けなくなる。


最初にも書いた通り、この架空の国、ンゴラスの大使の、このバカっぷりを、
アフリカ、もしくは発展途上国差別に受け取ってしまうと、不快感もあるのだが、
日本人の登場人物も負けず劣らずバカだらけなんで、
その描写も一種の洒落と受け取ってしまえば、受け流せなくもない。
ノンストップで崩壊していく、仕掛けを見ているだけでも、
とにかく笑える作品に仕上がっているし、単純に面白い。
それでいて、どこか切ないような滑稽さもにじませるあたり、
ただものではない小説、という気もする。
戸梶圭太、という眠れる宝箱に出会った感覚だ。
また、読んでみようかな、という気がむくむくとわき上がる。
(むくむく、と、わき上がるはつなげてよいのか、疑問も残るが)
さて、次は何を読もうか。また、書店に向ける足取りが軽くなりそうだ。