道頓堀松竹角座で「アイランド」

mike-cat2005-07-28



ジェリー・ブラッカイマーの製作と思っていたら、違うらしい。
ブラッカイマー御用達の監督といえばこの人、
マイケル・ベイ(「ザ・ロック」「アルマゲドン」「バッド・ボーイズ」)が、
今回は製作も兼ねてたりする。
決別したのかな、この二人? と冒頭のクレジットでよぶんなことを考える。
実際、観てみると映画の雰囲気などなど、別に変化なし。
違いは、儲かるのがブラッカイマーか、ベイか、の違いくらいかも。
そうそう、興行成績が振るわないのは、やっぱりプロデューサーの手腕もあるのかしら。


そんなことはまったくどうでもいいのだが、
この映画、予告の時点であまりにもネタバレがひどかったのが印象的だ。
いや、予告を観て内容が何となくわかる、ならともかく、
予告でストーリー全部を、まんべんなく網羅したあげく、
映画の秘密(別に大した秘密でもないが)も、何のためらいもなく見せてしまっていた。
それでも、楽しませる自信があるのか、
それとも、劇場に足さえ運ばせれば、観客が楽しむかどうかなんてどうでもいいのか。
まあ、間違いなく後者なんだろうけど、あまりに配慮に欠けてたと思う。
で、もし予告をあまり観てなくて、これから観に行く方には、
このブログもネタバレになってしまうので、ご注意を。


時代は近未来。
舞台は、汚染された世界から隔離された施設。
〝住民〟は白いユニフォームを着せられ、健康面や行動を徹底的に管理される。
互いの身体接触の禁止なども含め、それはまるで収容所。
なかば軟禁された彼らの唯一の希望は、「アイランド」への切符だ。
抽選に当たったものだけが行ける、汚染とは無縁の島。
しかし、「アイランド」には、秘密があったのだった。
日々膨らむ疑問と、悪夢に悩まされるリンカーン・6・エコー=ユアン・マクレガー
そんな折、友人のジョーダン・2・デルタ=スカーレット・ヨハンソンが、
「アイランド」行きの切符を手にするのだが…


で、簡潔にいうと、
施設は臓器移植のドナーや、代理母としてのクローンを育成する施設で、
アイランド行きに当選する、ということは、切り刻まれて、殺されるということ。
いわば、虚飾の〝ドナドナ〟だ。だいぶ違うか…
で、このクローンをめぐっては突っ込みどころが満載だ。
ある意味、マイケル・ベイジェリー・ブラッカイマー名物でもあるのだが、
細かい点まで指折り数えていったら、両手でも足りない。


まず、何で臓器移植用のクローンを、ほぼふつうの人間として育成するのか。
これは作品中で無理矢理説明しているが、植物人間だと臓器不全になるらしい。
それ、説明自体無理矢理過ぎるし、実際意識のない人に対する差別じゃないの?
で、クローンは受注者に似せて作るのだが、これが年齢まで一緒。
倫理的な問題はどうせ関係ないのだから、なぜもっと若い年代のクローンにしないのか。
その上、生活習慣病的な肥満体型まで似せてみたりする。
明らかにドナーとして不適当だろう。
見るからに脂肪肝ってひとの肝臓もらっても、レシピエントは全然健康にならない。


クローンのできるまでの年数も、かなりいいかげんなのだが、
〝作りたて〟のクローンは、生活能力のない赤ん坊状態で、現れる。
これがほかのクローンと混ざって生活するのだが、これでクローンがなぜ疑問を持たないのか。
で、12種類ぐらいのおぼろげな人工記憶が植えつけられているのだが、
なぜか、オリジナルの記憶が、脳みその奥底に潜んでたりする。
コピーの仕方がどうなのか、明確な説明もないので、
「そういうクローン技術なのだ」と開き直られたらどうにもならないのだが、
ふつう後天的な記憶は残らないだろ、クローンに。


で、クローンの管理も徹底してるとこと緩いトコが都合よく使い分けられる。
立ち入り禁止エリアに入れるカードを、お手軽に貸したりする。
そのくせ、ばれた時の動揺ぶりを見ると、何を考えているのやら…
施設から脱出したらしたで、なぜか教えられてもいない生活スキルを修得してる。
もちろん、「なにも知らない」ことによる食い違いをギャグにしてるトコもあるんだが、
よく考えると全然スジが通らないトコはたくさん。
オリジナルとコピーの「おれが本物だ」論争の決着は、あまりに安易だし、
信じられないような危機を乗りこえたのに、なぜかほとんどケガもしない。


ついでに、セックスについては一切の知識を与えられていないのに、
ふたりはなぜか、ごくふつうにコトに及ぶ。
人間って、まったくの無知な状態で、その行為に本能的に行きつけるのか、
それはそれで興味深い話題とは思うが、
あまりに野性味に欠けたナニぶりなため、これまた疑問符。
名前を見ただけで悪役と特定できるショーン・ビーン演じるメリックも、
行動に不可解な点がやたらと多く、単に自滅していくさまもまことに微妙だったりする。


とまあ、この設定をきちんと練り上げて、
もっと哲学的な作りをすれば、それはそれで深い映画ができるのだろうが、
マイケル・ベイはそんなこといっさい考えてないはずだ。
考えてるかもしれないが、「クローンだって人間だ」ぐらいの、
大前提のトコで思考が停止しているらしい。
いままであげつらった欠点とか、そういうのは全部無視して、
ひたすら爆発とチェイスに明け暮れる無思考型アクションに仕上げている。
じゃあ、それがいけないのか、というと全然そんなことはない。
というか、それこそマイケル・ベイに望むことなので、別に構わない。


明らかにパクリと思われる箇所もたくさんあったりするのだが、
それもマイケル・ベイに対して、指摘する方が野暮というものだろう。
この人は、ありふれてるけど、観ている間は退屈させない映画を作るのが持ち味。
で、実際のとこ途切れることのないアクションで、
そう退屈させずに136分を過ごすことができるのだから、まあいいのだ。
クローンを取り上げたなら「シックス・デイ」、
人間のアイデンティティを取り上げたなら「トータル・リコール」の方が、
より洒落がきつくてよかった気もするけど、そちらも別にいいかな。


「バット・ボーイズ」と、まるまるおんなじカー・アクションを観てると、
別にこのプロットでなくても、似たような映画は作れる気はする。
もちろん、もっとまともな監督に、同じプロットで
もっと地味に作ってもらっても面白いとも思うが、これはこれでまあ一興だ。
クローン問題を真面目に考えたりすると、
ちょっとどころかかなりきつい面もある映画だが、
あくまでそれも〝単なる舞台設定〟と割り切ってしまえば、けっこう楽しめる、お手軽な一本。
まあ、ヒマがあったら観ても悪くない程度には、娯楽度は高いんじゃないだろか。
けなしてるようにしか読めない? まあ、バカにしてるのも確かではあるのだけど…