ハーブ・チャップマン「カインの檻 (文春文庫)」

mike-cat2005-07-12



新人作家のデビュー作品らしい。
文春文庫は、年に何冊か、こういう〝無印〟の傑作を送り出すんだが、
これもその一冊。600ページを越える厚さも、まったく問題ない。
間違いのない、傑作だ。
オビには「永遠の仔」「模倣犯」と並ぶ、とあるが、
あんな半端な模倣サイコ・サスペンスとは比較にならない、深い余韻を残す。
サイコ・サスペンスという一大ジャンルを築き上げた「羊たちの沈黙 (新潮文庫)」に、
プロット的な重複はあるのだが、これはむしろオマージュととってもいいかもしれない。
〝檻の中に閉じ込められた、連続猟奇殺人犯〟
というプロットを使って、またひと味違う、恐怖のドラマを描き上げている。


サウスカロライナで起こった、連続誘拐殺人。
被害者は、異常な手口で陵辱され、殺されていた。
<サルーダ・ウッドの殺人鬼>と名付けられた犯人を追って、
FBIのプロファイラー(心理分析官)ジョン・キーナン、
SLED(サウスカロライナ州司法執行本部)の捜査官、
ウィル・パクストン、マーティン・スティスが、捜査の網を張る。
犯人の周到な手口に苦しみながらも、キーナンたちは次第に犯人を追いつめていく。
そして、大きな犠牲を払いながらも、ようやく犯人逮捕にたどり着いたキーナンたち。
だが、悪夢は、まだ終わっていなかった。


いわゆる、異常な手口だとか、事件の背景にあるもの、
こうした部分については、そこまで意外性はない、というと語弊はあるが、
これまでもこうしたサイコ・サスペンスで描かれていた異常性と比べ、
劣ることもないが、特別な新鮮味というものはない。
というか、そういう残虐性に新鮮味なんて、本来必要ないのだが。


この小説のメインテーマはむしろ、その犯人の、救いがたい心の闇や、
それを追うキーナンやパクストン、そしてその周囲のヒトたちの心の葛藤だ。
捜査官自身のドラマといえば、「羊たちの沈黙」のクラリススターリングともダブる。
だが、この小説では、キーナンやスティス、パクストン、
そして後半登場する韜晦担当の牧師、ジョー・カメロンら、
多くの登場人物のこころにスポットを当て、より多層なドラマを描き出す。


たとえば、キーナンだ。
少年時代に、交通事故で父を失った。
父自身の酒酔い運転で、対向車の少女とその母親を巻き添えにして。
その父の死にまつわる当時の記憶と、その後の経験で、
人生に対して、どうしてもあと一歩が踏み出せない。
さらに、〝ある事件〟をきっかけに、常に自責の念を抱えるようになってしまう。
だから、この犯人追跡や、その後の展開においても、つねにこころの中に葛藤を抱く。
その葛藤がもとで、つまらない反発を招いてみたり、失敗をしてみたり。
実際の事件でこれをやられたら、たまらない面もあるが、
あくまでドラマとして見るなら、まことに人間くさい捜査官となる。


このキーナンに反発するスティスもまた、こころに葛藤を抱く人間だ。
恵まれない少年時代から、自分を救ってくれた保安官の恩人の教えを、
自らの行動規範とし、自らの激しい気性を、厳しく律するたたき上げ捜査官。
だが、FBIのエリート捜査官に対しては、反骨心を最初からあらわにする。
キーナンがプロファイリングを披露すると、
あからさまなジョークでキーナンを揶揄し、会議を混ぜ返す。
「よく考えてほしい。だれかを誘拐するか、殺したいと思ったとき、
 あなたなら最初どんな人間を選ぶだろう」
「おれの貴重な時間をムダづかいするやつだろうな」
〝ムダづかいするやつ〟。
つまり、大所高所からのプロファイリングとやらで、現場の捜査を混乱させるヤツ、ということだ。


この二人に限らず、ちょっとした場面で出てくる、
まさにちょい役ともいえるような人物にも、きちんと語るべき人生の意味づけを説明し、
その背景にあるものを含めて、その人物の行動を描き上げる。
誰もが事件に関わっていく中で、苦しみ、傷つきながらも、
自らの心の葛藤と正面から向き合い、何らかの道を見つけていく。
それは、とても多いな犠牲を払いながら、の苦しい戦い。
テーマのひとつである〝赦し〟や〝救済〟ももちろんあるのだが、
それすらもとてもビターな味わいで、読者のこころに刻印を残す。
オビにある〝感動〟という生易しい言葉で片付けるのは、正直、違和感すらある。
だが、そこにはきれいごとではない、複雑なドラマがある。
少年犯罪の元カウンセラーという、ある意味最前線で悲劇を見つめ続けた作者だからこそ、
描き上げることができたのかもしれない、深遠なドラマだ。


だからこそ、その対極にある、
犯人のこころの闇が、不気味な色合いを発しながら浮かび上がる。
人を極限まで陵辱し、もて遊び、なぶり殺しておきながら
「死刑は殺人に過ぎない」という主張を平然と展開する、この犯人の異常性だ。
その犯人の抱えるこころの闇も描き、〝最初から怪物ではなかった〟という部分を強調しながらも
その〝こころの闇〟と実際の事件の間をつなぐ、犯人の異常なエゴや、身勝手な論理も描く。
連続猟奇殺人犯という、怪物の描写も、バランスよく描くことで、
単なるセンセーショナルな猟奇事件を描いたサスペンス、に終わらせない、深みがもたらされている。


正直、読み終えて残るのは、虚無感や、ある種の切なさだ。
残虐描写に関しては、読むに耐えない部分もある。
しかし、それを差し引いても、伝わってくる物語のパワーは、やはり圧倒的だ。
物語のテンポもいいし、訳もとても読みやすい。
「もう、サイコ・サスペンスは食傷気味…」という人にも、自信を持って勧められる一冊だ。
ちなみにタイトルの〝カイン〟は、〝カインとアベル〟のカインだそうだ。
人間の原罪でもある、殺人の象徴。
この、こころの奥底に迫ってくるような問い掛けに、どう答えるか。
ここらあたりも、まことに悩み深き余韻を残す、奥深い小説だったりもするのだ。