梅田ナビオTOHOプレックスで「アルフィー」

mike-cat2005-07-13



マイケル・ケインが主演した、1966年のオリジナル版は観ていない。
よって、予備知識ほぼなし。ごく単純なプロットだけだ。
ジュード・ロウが、いわゆる〝色男〟(これも死語の世界、だな)を演じる。
あとの予備知識は、監督のチャールズ・シャイアが
「花嫁のパパ」「ファミリー・ゲーム/双子の天使」など、
いくつかのリメイク作品の監督、脚本を手掛けてきたヒト、ということだけ。


しかし、正直言って「花嫁のパパ」で、よかったのはマーティン・ショートぐらい。
記憶としては、あまり〝花嫁の父〟の心情をうまく描いていた、という記憶はない。
過去に観た他作品も、正直面白いとは言えなかったことを考えると、観る前から期待感は…。
しかし、ジュード・ロウ主演というだけでなく、
共演にマリサ・トメイスーザン・サランドンと聞いて、観ないわけにもいかない。
ロウが、カルい感じで身勝手なニイちゃんを演じてくれたら…
その部分にひたすら期待をかけて、劇場に向かった。


で、どうだったかというと、かなり期待は裏切られた。
ジュード・ロウそのものは、よかった。でも、それはジュード・ロウの素材のよさ、だけ。
特に前半では、プロモーション・クリップ的なノリで、さまざまな女性の間をフラフラする。
一人称での語りも、まずまず軽妙で、好感が持てる〝軽いニイちゃん〟だ。
独身だけじゃなく、シングル・マザーに人妻まで、あらゆる方向に手を出すが、決して深入りしない。
自分の家には、決して女性を連れ込まない。
父の唯一の教えは「どんな美人でも、それに飽きた男がいることを忘れるな」。
こういうオトコに、真剣に入れ込んでしまった女性はある意味不幸だが、
単なる遊び相手としては、決して悪くないはずだ。
そして、アルフィー自身もそれをあからさまにアピールしているタイプ。
「本当の愛を知らない」と非難するのは、かなりお門違いのはずだ。


はずなのだが、この映画は堂々とそれを非難する。
真剣な愛を裏切り続けたアルフィーを後半、どん底に突き落とす。
その手のひらの返しようといったら、もう容赦がない。
前半、ヒーロー的にアルフィーを描写していた責任を、すっかり忘れ、
〝本当の愛〟から見放され、みじめに嘆くアルフィーを意地悪く見つめる。
じゃあ、〝本当の愛〟って何なの、という疑問には、
通り一遍の答えで、お茶を濁すだけ。
何を持って、〝本当の愛〟をつかんだと言えるのか、人それぞれだ。
アルフィーの生き方を、
ガチガチの保守的な価値観で否定する部分が、ものすごく凡庸で、反動的に感じられる。


ちょっと、結末までネタバレになるので、この後ご注意。
例えばこれが、〝本当の愛〟に目覚めたアルフィーが、
ガールフレンドたちの誰かと、ハッピーエンドを迎えるのなら、それはそれで構わないのだ。
それが安直なハリウッド・エンディングであっても、少なくとも描写の矛盾はない。
NYの岸壁をひとりトボトボとよろめき歩くアルフィーの姿、
という皮肉めいた結末で終わりたかったなら、それに準じたストーリー展開をして欲しかった。
もっと、ロウを徹底的なエゴイストに描けばいい。
そして、もっとコメディタッチを強くすることで、後半の転落にも爽快感を持たせる。
そうすれば、〝本当の愛〟に真摯に向かい合え、という映画のテーマにも矛盾しない。


だが、この映画の描写は、はっきりいってダメだ。断言していい。
前半で、アルフィーに対する中途半端な親近感を持たせ、
後半に入ると、これまた中途半端に断罪する。
これでは、どこに感情移入していいやら、観ているものとしては、迷うばかり。
終わった後に感じるのは、
「何だよ、そんなにアルフィーばっかりが悪いの?
 ガールフレンドたちだって、アルフィーとそういうつき合いしかしなかったでしょ?」
ものすごい、後味の悪さ。
むしろ、〝本当の愛〟に目覚めて、改心したアルフィーだが、
きれいな女性を見た途端、いきなりナンパに走ったりするような、
いわゆるホラーでよく使う結末、とかなら、まだある意味爽快感が感じられたはずだ。


その上、映画序盤から気障りだった、
監督の自意識過剰が、エンドクレジットでついに炸裂する。
いきなり〝監督・脚本、チャールズ・シャイア〟のクレジットに、自分の写真だ。
何を勘違いしているんだ、このオッサン! と怒鳴りたくなる。
序盤でも、必要以上の細かいカット割りで「ゲイジュツカ気取りかい?」と鼻白んだ記憶も蘇り、
映画そのものの印象は、もう最悪の状態にまで落ち込む。
「観なくてもよかったな…」


役者の力や、ニューヨークの風景もあって、見るに堪えない、とまではいわない。
だが、ジュード・ロウのプロモ・ムービーと割り切ったとしても、ぬぐい切れない不快感。
まずは、チャールズ・シャイアの映画は二度と観ない、という決心は固まる。
そしていま、思うことは、
「この映画、なかったことにしてもう少しまともな監督にリ・リメイクして欲しい」
役者も全部同じでいい。少なくとも、もっと面白い映画が作れるはずだ。
素材そのものが悪くないだけに、下手くそな料理人を見る思い。
それが、いい気になって名シェフ気取りしているのを見て、不快感を募らせる。
うーむ。これだけ「アタマにくる」映画も久しぶりかもしれない。
せっかくのジュード・ロウがなぁ…、とつぶやきつつ、映画館を後にしたのだった。