町田康「権現の踊り子」

mike-cat2005-06-24



きょうで沖縄とお別れ。
3日間、何もしてないように見えるが、そうでもない。
〝ほとんど〟何もしていない程度だ。
一応、沖縄料理も食べたしね。ということで無理矢理納得する。
しかし、いまに始まったことじゃないが、
国際通りの白痴観光地化ぶりは、年々ひどくなる。
修学旅行生目当ての小銭狙いばかりしてると、
まともな客が寄りつかなくなると思うけど…
ただでさえ、海外行った方が結局安く上がるというこの時代なんだから、
少し考えないと、取り返しつかなくなるはずだ。


で、本に戻る。
表題作が、川端康成文学賞を受賞した短編集。
辻原登枯葉の中の青い炎」の時にも書いたが、
絲山秋子袋小路の男」、堀江敏幸「スタンス・ドット」(「 雪沼とその周辺」収録)、
車谷長吉武蔵丸 (新潮文庫)」などなど、僕のストライクゾーン文学賞
大きな期待を胸に、本を開く。
アタリ♪ やっぱり町田康の本は面白い、たまらない。


表題作「権現の踊り子」は、アパートの共同流しで物語が始まる。
吹き出物だらけの額を見るべく、鏡を見つめていると、偽管理人のおばはんから声がかかる。
「何を鏡に見いってるのよ」。
ここらへんから、早くも世界が〝ぐにゃり〟と音を立てて歪み始める。
「いい男だと思ってるんじゃない?」などと住民に言い触らされたら、大変なのだ。
〝住民に、あいつはばかのナルシストだ、と侮られる。
 侮られるということは、なにをやってもよい、と思われる、ということで、
 外出中にチェーンを切られ部屋のなかのものを持ち出されたり、
 通りがかりに腹を殴られたり、食い物を取られたりする。
 まあそうなれば敢然、闘うより他なにのだけれどもしかし多勢に無勢で
 被害を零にするというのは先ず無理なのである。〟
いったい、どんなアパートに住んでいるんだ? そんな疑問が湧いた頃には、
もう、町田康ワールドにすっかり浸ってしまっているのだ。


ここから、物語は〝俺〟が〝権現の市〟を訪ねる流れとなる。
なぜか「敗北のイメージ」にまとわりつかれた権現。
そこでバンドが演奏している。ドラマーの目はコイン投入口そっくり。
奏でる音楽も、敗北感にまみれている。
まるで、傷痍軍人が奏でる、悲しいアコーディオンのごとく。
ここからの〝俺の〟思考が面白い。ヘンすぎる。
〝圧倒的な敗北感に足止めされて動けないでいると、
 どうもドラマーが俺に気がついたようで、
 首をかしげてコイン投入口の目で俺の方を見た。
 俺はまずいとおもった。ばれたのだ。
 このままではどんな目にあわされるか知れたものではない。
 例えば、彼らの音楽の敗北感がどんどん大きくなって俺は心に傷痍を負い、
 二度といまのような生活に戻れなくなるとか。〟


前述のアパートの場面でも感じていた、このむやみな不安。
この不安をきっかけにした、むやみに暴走する思考。
そして、思考の末の、何だかよくわからない対応…
歪んだ世界にますます取り込まれていく〝俺〟が、どこか滑稽だ。
その〝俺〟とともに、読んでいる僕自身も、
一種異様な焦燥や独特の徒労感、そして戸惑いを共感し、ふにゃふにゃと笑う。
何だろう、この不思議な感覚は、とまたも町田康ワールドに魅せられていくのだ。


「工夫の減さん」は、〝こだわる〟ことにこだわって生きる、減さんの話。
この減さん、食道楽なんだが
〝高価な料理を食べ歩くなどという高級なものではなく、
 町の食堂やラーメン屋などの安手の料理を食べては難しい顔をしてこれを批評する〟のだ。
何かズレてる。
まず、食道楽にも関わらず、必要以上に安手の料理にこだわるのもヘンなのだが、
減さんの場合は、それが過ぎて〝大好きなエスニックフードは高いため〟、
その興味とこだわりは、自分で作って食べる方に向かう。
で、スパイスなどに凝りまくるのだが、
〝肝心の肉や魚、或いはその料理にとって特徴的な野菜などを、
 高価である、ということを理由に他のもので代用してしまう或いは省略してしまう〟。
で、結果は「なになにを作ろうと思って大失敗しちゃったよ」。


こういう、何の得にもならない〝こだわり〟に喜々とする減さん。
工夫すれば、工夫するほど、窮地に陥っていく減さん。
〝博奕で身を滅ぼしたとか女でしくじったというのは聞いたことがある。
 しかし工夫で身を滅ぼしたというのは聞いたことがない。
 けれども減さんを見ているとそんな言葉が浮かぶ〟
その減さんに、〝俺〟は、どこか苛立ちを覚えるのだ。
これまた、何とも表現しがたい〝滑稽さ〟。
おかしく、哀しく、ヘンな減さんが描かれていくのが、これまた絶妙だ。


そして「ふくみ笑い」。
みんなが〝俺〟を、ふくみ笑ってる。妄想か、それとも…
まずは、ふくみ笑いに対する、熱い想いを引用する。ちょいと長いが。
〝笑い、といって、いろいろな笑いがある。
 〜いずれも笑いという語に相応しいというか、いずれもポジティヴな抜けがある。
 〜嘲笑いなどというのも若干、負の要素が混ざってはいるものの、
  そのビターな味が逆に愛敬になっているような部分がある。
 それにひきかえふくみ笑いというのは何と気色の悪い笑いであろうか。
 ふくみ、という語がすでに気色が悪い。
 ふくみのある言葉、
 なんていうがそこにはやはり意趣遺恨というか腹になにかあるというか〜〟
とまあ、こんな感じでふくみ笑いに向けた、
実にネガティヴな感情が訥々と語られている。


これだけ、ふくみ笑いが嫌いな〝俺〟をみんながふくみ笑いするんだから、もう大変だ。
それも最近、やたらと売り切れ気味のバナナを、スーパー店員が嘘をついて売ってくれない。
あとで振り返ると、店員がふくみ笑いをしている…
仕事先に行くと、受付のニイちゃんに嘘をつかれる。
ふと振り返ると、ニイちゃんがふくみ笑いをしている…
不条理な世界に紛れ込んだ〝俺〟の苦闘ぶりが、またおかしい。
何だか世界もヘンだし、〝俺〟もヘン。
またも、ぐにゃりぐにゃりとぐねり曲がった世界に浸って楽しめる一編なのだ。


あとは最後の短編「逆水戸」がひたすら笑える。
率直なパロディ版水戸黄門
昔よく、「水戸黄門ってさあ、実際いたらさあ…」みたいな感じで、
友達と面白がって指摘しまくった物語の〝穴〟をほじくり倒したような傑作だ。
まあ、この作品だけ、確かにちょいとテイストが変わる。
この味わい深い短編集を、お笑いで締めくくるのもよし、とする。


最後は、腰くだけ気味に笑い飛ばして、本を閉じる。
ものすごい満足感。
オビの「文学で踊れ! 腰抜けども輝け!」がとても伝わってくる。
いいなあ、町田康。また読まなくちゃ! と、さらなる決意を固めたのだった。
って、別に決意しなくていいから、読んどきゃいいじゃん、って話なんだが。