平安寿子「くうねるところすむところ」

mike-cat2005-05-31



主役は2人の女だ。
梨央は30歳、独身。求人広告誌の副編集長。
仕事は、ひとつの壁にぶち当たり、不倫関係にある編集長との関係も、もはや倦怠期。
ドタキャンのおかげで、ひとり過ごした30歳の誕生日、
酔った勢いで工事現場の足場に登り、足がすくんだ梨央に、運命の出会いが訪れる。
白馬の王子様よろしく登場したオトコは、鳶職の親方、徹男。
徹男に、そしてガテンな仕事に魅せられた梨央は、建設業界へ飛び込んでいく。


郷子は45歳。小規模な建設会社の社長1年生。
フィリピーナと遁走した婿養子の夫の後を継いで、ど素人ながら、社長に就任。
お年頃のひとり娘、早知子には
「ママの単純さって、暴力的よね」といわれるほどの、直情型人間だ。
社長に就任した郷子を待ち受けていたのは、リストラに、企業合併…
お気楽に見えた社長業だったが、頭を悩ます問題は尽きることがなく…。


そんな2人の悪戦苦闘ぶりを、
平安寿子お得意の軽妙なタッチで描いていく、いってみれば建築系エンタテイメント。
あのリフォーム番組「劇的ビフォアアフター」(こんなタイトルだったか?)顔負けの、
家、そして家造りへの熱い思いもこめられていて、これもまた楽しい。
大傑作「グッドラックららばい」や、「もっと、わたしを」に比べると、
カタルシスに欠ける感は微妙にあったりもするが、それでもやはりこの作家の小説は楽しい。
気づくと、読むの夢中、気づくと、物語の世界にすっかりはまっている。


梨央、郷子のキャラクター描写は当然、絶妙だ。
欠点だらけだけど、思わず応援せずにはいられない。
パワフルだけど、読者が感情をシンクロできる程度には怠惰だし、人間くさいズルさもある。
梨央は衝動的に建設業界に飛び込んだが、けっこう計画的にコトを進める。
郷子は仕方なしにこの業界に放り込まれたが、決断はつねに衝動的。
そんなふたりの適度なルーズさがまた、魅力的だ。


そんな絶妙の人物描写は、ほかの登場人物たちでも、然りだ。
梨央の不倫相手、五郎も適当に安っぽい。
元新聞記者で、自分のアタマのよさが、常に自慢。
で、決めぜりふが
「妻との仲は冷え切っている。愛しているのは梨央だ。
 だけど、愛人とは呼ばないよ。梨央は俺の恋人だ」。
思わず、そういうオトコはやめなさい…、とため息まじりに説教したくなるタイプ。
それでも、意外にいいところもあったりして、という実はすごくタチの悪いオトコだ。


そんな五郎に見切りをつけるきっかけとなるのが、徹男との出会い。
これが典型的なガテン男。黒澤映画の「姿三四郎」の主人公そっくり。
〝えらの張ったほとんど四角形の顔。がっちりした首と肩幅。
 五分刈りの堅そうな髪は一本残らず天を向き、風にそよぐ気配もない〟
まるで天然記念物か絶滅危機種のような、徹男に、梨央の目はくぎ付けになる。
しかし、この徹男にも過去があったりして、意外に一筋縄ではいかない。
それどころか、恋愛では意外にぐじぐじしたオトコだったりもする。
距離を縮めたいけど、徹男が張りめぐらす壁は、微妙に堅固。
そうこうしてるうちに、建築の仕事そのものに魅せられていく梨央が、とにもかくにも面白い。


そんな徹男の周辺事情その他もろもろを、
梨央に吹き込む会社の古株事務職、時江もどこかヘンだ。
業界のことを説明する時に必ず口にする、このひと言。
「とくに、この世界はね。古いから」
もう、まさに狙いすましたひと言だ。
〝この言葉を口にする時、時江は決まって誇らしげににんまりする。
 まるで、樹齢何百年の古木をほめる庭師のように。〟
この、確信犯的な偏愛がなかなか面白いんだが、
単に、徹男への傾向と対策が知りたい梨央にとっては、たまったもんじゃない。


一方、郷子が苦戦するのは、オトコよりも、この業界そのものだ。
成り行きで飛び込んだものの、それでも頑張ろうと決意した郷子の決意は、いきなりくじける。
信じられないほどの、トラブルの連続。
〝現場で職人が喧嘩をした。足場から落ちた。騒音を何とかしろと近所のじじいがどなりこんできた。
 工事が終わったのに支払わない客がいる。
 東南アジアを襲ったモンスーンの影響で資材の輸入がストップした。
 取引銀行の上層部に政変が起きて、会社に好意的な担当者が辞めそうだ。
 現場から、社内から、どこからも文句が出なかった日がないのだ。ただの一日も!〟


それだけじゃない。
リストラをしようとすれば、恨みつらみはすべて自分に向けられる。
番頭格の専務は、こういうことではまったく役に立たない。
財務状況だって、よろしくないどころか、むしろ全然。
税理士から、タコが自分の足を食べて、生き長らえてる状況、と言われる始末だ。
でも、誰もそんな苦労は理解してくれない。
もちろん、ひとり娘の早知子ですら、だ。
だから、合併話に揺れ、ひとりストレスをため込む。


だけど、こんな2人の人生がリンクする時、事態は少しずつ変わっていく。
どうしても見えなかった方向性が見え始め、停滞していた状況が、動きだす。
人生って、けっこう大変。でも、楽しくすることだってできるはず。
そんな感覚が、説教くささを伴わずに伝わってくる。
そこには、人生訓っぽくないポジティヴが展開するのだ。
むろん、おとぎ話の世界ではあると思う。
でも、そこには微妙なリアリティも織り込んであって
(というか、建築関係は素人目にもリアルだと思う。)また、とにかく読ませる。
やっぱり、平安寿子はすごい、とあらためて感心するばかりだ。


まさに一気読み、の275ページ。
今回も読んでよかった、と満足感に浸る。
ひいきの作家だから、は抜きの評価でも、面白い。
平安寿子ビギナーにも、安心してお勧めできる一冊。
未読の方、ぜひにお読みいただければ、と思う次第だ。