真保裕一「奇跡の人 (新潮文庫)」

mike-cat2005-05-10



感涙の名作、と聞きながら、長らく積ん読だった一冊。
何でだろう、と考えると、
〝奇跡の人〟というあまりにも普遍的なフレーズが、そそらなかったから。
どことなく、不安なんだよな、という思いがあったのだった。


で、読んでみると、予想やや的中。
意外と涙腺にこない。
本の雑誌」の北上次郎書評(氏は文庫解説も)とか、
もう絶賛状態だったのだが、僕的にはいまいち、ピンとこない。
ミステリー仕立ての小説の、
ナゾに関わるとこを語ってしまうのは反則だと承知の上だが、
その隠されていたナゾが、あまりにあっけないのだ。
けっこう遅々として進まない展開にじらされ、
明かされるのが……。
こちらの感性が麻痺してるのかもしれないが、
それくらい、そこまでして隠さなくても、と思ってしまう。


じゃあ、どんな話か、というと、
主人公は交通事故で瀕死の重傷を負い、8年間入院していた相馬克巳。
脳死判定まで受けながら、甦ったことから「奇跡の人」とも
現在31歳となる克巳は、すべての記憶を失ったまま。
看病を続けてきた母も膵臓がんで逝き、退院を余儀なくされた克巳は、
8年前の自分をまったく知らないまま、社会に放り出される。
やがて克巳は、かつての自分を取り戻すべく、旅立つのだった。


記憶喪失、という設定は意外とありふれているんだが、
この小説のオリジナリティは、その〝喪失ぶり〟にある。
ふつうの記憶喪失なら、
目覚めた瞬間「私は誰? ここはどこ?」なんだが、
克巳は、それすら言うことができなかった。
生活習慣はおろか、言葉すらまっさらな状態。
つまり、赤ん坊と同じ状態になってしまったのだ。
だから、8年間のリハビリは、赤ん坊からこどもへの成長期間。
退院する時の克巳は、中学校1年生程度の知識しかない、
こどものような状態だったりするのだ。


かなり興味深い設定だと思う。
人間の性格を規定するのは、環境要因なのか、遺伝要因なのか。
もちろん、相互が複雑に絡み合う、というのが正解だとは思うのだが、
どちらがより優位な要因か、というのは、
研究の中でもたぶん大きなテーマになってるはずだ。
そこで、かつての克巳と、新しい克巳がどう変わっていくか、とか、
どこらへんで変わり様のない克巳の〝本質〟が現れるのか、
掘り下げて、描写していったら、無限の広がりのあるテーマだろう。


で、僕はその部分が、小説を構成する横軸になるのかな、と思っていた。
ちなみに、自分の過去の事実を知るミステリーの部分が縦軸。
しかし、意外に僕が勝手に期待した〝横軸〟は膨らまない。
終盤、ある程度その部分がからんできたりするのだが、
その説明はほとんどなし。
かつての克巳が〝そうだったから〟というだけで、話は展開する。
潜在的な記憶、という説明なんだろうが、どうにも納得いかない。


こういう部分が一度引っ掛かり始めると、もういけない。
だいいち、脳そのものも確か加齢とともに成長するはずだし、
23歳で成長しきった克巳の脳が、
新たに赤ん坊と同様の学習ができるのかな、とか、
細かいところまで気になって仕方なくなる。
そして、そこに描かれたドラマがどうにも感情に響いてこなくなるのだ。
そして、最初にも書いた通り、明らかになる秘密が、容易に予想できる範囲内。
「へえ、そうなんだ」で終わる程度の衝撃しかない。
というわけで、どうにも盛り上がるというところまではいかないのだ。


もちろん、真保裕一ならではの語り口で、読ませ、はする。
あくまで、真保裕一の小説としてはもの足りない、ということなんだが、
設定だけでこっちが勝手に期待した分、落差は激しい。
見当違いな期待をしていただけなので、
普遍的な評価については言及しないが、個人的にはあくまで…。
これだけ書いておいて、人ぞれぞれ評価は違うんだな、
と、とてもどうでもいい結論に達する。
つくづく、難しいもんだ。ああ、消化不良…