桐野夏生「魂萌え !」

mike-cat2005-04-30



何だかシブい表紙だな、と思っていたら、読んでみてすぐに納得。
59歳未亡人の〝自分探し〟といったらいいのだろうか。
夫の死でいきなり世の中の荒波に放り出された敏子が、
〝痛い〟経験を積み重ねがら、次第に強く生きる術をつかんでいく。
シニア世代の抱える切実さをにじませながらも、
次第に本当の自分を見つけていく敏子には、痛快な感覚を覚える。


序盤はもう、読んでいるだけできっつい物語だ。
元会社人間の夫・隆之と、従順ながらも無個性な妻・敏子は、
惰性のような、なれ合いのような、どこにでもありそうな熟年夫婦。
しかし、隆之の突然の死をきっかけに、すべてが変わる。
突然の出来事を受け容れる間もなく、
突然明るみに出た夫の秘密、そして相続問題が、敏子を混乱に陥れる。


風呂場で倒れた当日、隆之はそば打ちから帰ってきたはずだった。
だが、弔問に訪れたそば打ち仲間から、そうではないことを告げられる。
長い間愛人との逢瀬を重ねていたばかりか、それ以上の秘密を抱えていた。
青天の霹靂。
ありとあらゆる疑念がわき起こり、夫の死に対するせめてもの慰めも打ち砕かれる。
欺かれた怒りと、不思議な対抗心…。
図々しくも弔問に訪れた愛人を見送ると、やり場のない感情が巻き起こる。
〝呆然としている。
 生きていてこれまで感じたことのない、深く激しい怒りが沸き起こっていた。
 骨壺の中身を部屋中に撒き散らしてやりたいような気分だった。〟
でも、この時点での敏子にできることは、
隆之の墓を山奥の霊園に押し込めるぐらい。
気弱(だと思っている)敏子は、悔しさも怒りも、呑み込むだけだ。


そんな母に、子供たちまでいけしゃあしゃあと付け込む。
渡米して8年来、結婚・孫の誕生でもろくに連絡しなかった息子・彰之が、
突然、遺産相続と同居を申し出る。
それも、押し付けがましく、面倒見てやる、とばかりに、
わずか2週間後には家族も連れて帰国する、といい放つ。
そして敏子に、法定相続に向けた、手続きをこんこんと説明する。
〝彰之は、いつの間にかシステム手帳を広げ、チェック項目に印を入れていた。
 あらかじめ、調べ上げていたのだろうか〟
でも、敏子はとことん人がいい。すぐに考え直す。
〝そこまで考えた敏子は、自分を恥じて頭を振った。
 実の息子に対して、何を考えているのだろう。〟
しかし、その想いを断ち切るように、彰之は事務的にことを進める。
〝敏子は命令口調で次々とことを運んでいく彰之に
 大きな不満を持ったが、頷かざるを得なかった。〟


この後も、敏子の受難は続く。
敏子の弱さにいら立ちを覚えつつも、身勝手な周囲に苛立ち、怒りは頂点に達する。
で、小説の見どころはそこから、なのだ。
打たれっぱなし、やられっぱなし、言われっぱなし、だった敏子が、
次第に〝弱いだけの奥さん〟を脱却し〝ものいうオンナ〟に成長する。
もちろん、敏子が持っていた本質的な強さが、
ようやく開花しただけともいえるのだが、やはり、喝采ものだ。
バアさんデビュー?、という感じの突拍子もない部分はあるが、
鬱屈した感情をため込んだ老後より、
みっともなくても(迷惑さえかけなければ)好きなことして、楽しく暮らす方がいい。
冷静な分析能力と、行動する勇気を身に着けていく59歳に、
もう感情移入しまくってしまうのだ。


で、クライマックス。
そんなの書くなよ、とも思うが、これが痛快なので書いてしまう。
不倫相手の昭子が、嫌がらせ半分に生前の夫の言葉を伝える。
隆之は、昭子に対し、敏子のことを
「結婚当初に買った、時代遅れだけど、
 取り替えるのも面倒臭いから、そこに置いて使っている家具」と語ったという。
ホント、この愛人の育ちの悪さと性格の悪さは、相当のものだが、
強くなった敏子は、もう負けたりしない。平然と言い返す。
「じゃ、取り替えればいいのに。あなたに取り替えれば良かったのに、何でしなかったの」
昭子が問い返す。「奥さんは取り替えられたかったの?」
敏子の返答はこれ。
「別に。でも取り替えたいなら、取り替えればいいのよ。
 面倒だったんでしょう、関口も。
 あなたのような、新しいんだか古いんだかわからない家具に取り替えるのが。
 きっとたいして変わりないと思ったのよ」
攻撃的であることを全肯定する気はないが、この場面では最高にカッコいい。
マナー違反を繰り返す昭子を、痛烈なひと言で叩き切るのだ。


そして、ようやく一連の〝騒動〟を乗り越えた敏子の
達観した言葉と、一抹の切なさを含んだ情景描写が、またいい。
〝これからは、今までしたことのない経験を沢山しよう。
 すると、体がぶるっと震えた。
 欲張りな願いには付いていけそうもない、と体の方が怯んだようにも思えた〟
読み終えると、敏子の老後に、幸あれ、と願わずにはいられないのだ。


もちろん、いままで書いたことは、この小説の一面、縦軸にすぎない。
横軸は、日本の熟年夫婦、そして若い世代にとっての将来への、問題提起。
たとえば、夫がいなければ、〝何もわからない〟弱い敏子。
一方で、世間一般には、妻が死んだら〝何もできない〟無能な夫はいくらでもいる。
こうした夫婦の相互依存性の高さ。
人間としての自立ができていない人たちが、現実社会にどれだけいるのだろう。
敏子のように、配偶者の死で変われる、自立できる人って、実際いるのだろうか?
そんな暗い側面も、どことなくにおわせるあたりは、
やはり桐野夏生の本質的な〝人の悪さ〟なのかもしれない。


また、オカネがすべてものをいう老齢化社会の悲惨な行く末、
とかは自分にとっても切実な問題だ。
先日も豪華老人ホームみたいなのの特集をテレビでやっていた。
豊かな老後、にはカネがかかる。かかる、なんてもんじゃない。
恵比寿の高級シニアマンションは、入居費用3100万円、毎月26万円…
そんなオカネ、どこをどうやったってひねくり出せない。
敏子や、その周囲の熟年さんたちは、比較的裕福だ。
それでも、ひとつ間違えば、の危ういムードはそこかしこに漂う。
考え出せば、不安はとめどなく湧いて出る。
若くて貧乏は我慢できても、歳取っての貧乏は、あまりに苦しすぎる。
それを何となく想像させるあたりも、非常に恐ろしい小説だったりする。
ううむ、深い、かもしれない。


ま、そんな中で気になった部分、ひとつ。
次第に解き放たれていく敏子が、お出かけ中、身だしなみを悩む場面。
〝敏子はビルの洗面所に入り、鏡の前でネックレスを外したり、付けたりを繰り返した。
 小さな子供を連れた若い母親が横で手を洗っているので、
 どうでしょう、と思わず聞いてみたいほどだった。
 勿論、その勇気はない。しかし、装飾品を欠いた首許は淋しく、
 服に合わないネックレスでも付けていた方がいい気がして、
 敏子はラピスラズリのネックレスをやはり付けることにした。
 そして、どうして自分はこんなに自信がないのだろう、と自分が嫌になるのだった。
 これまでは、出かける時に隆之の目があったから、
 何となく安心していたのだと気付き、
 老人の一人暮らしとは、自信喪失との戦いでもある、と溜息をもらした。〟


この人、強くなっていく過程においても、とても繊細な人なんだな、と感じる。
もちろん、まだ強くなりきっていないことの裏返しではあるのだが、
これだけ〝ちゃんと考えている〟人って、若い世代でもそんなにいるのだろうか。
大阪なんか歩いてると特にそうだけど、
鏡を一回でも見たことあるの? と思うような人ばかり。
自信喪失するような繊細な人、世の中では少数派じゃないか、と。
そんなことを考えると、〝繊細でいて、本質的には強い〟敏子は、
いそうでいないキャラクターじゃないか、と少し興醒めしてみたり…
あくまでおとぎ話なんだよな、と割り切りたくないだけに、
ちょっと残念だったりしたのだった。ああ、身勝手、身勝手…