藤野千夜「ベジタブルハイツ物語」

mike-cat2005-04-22



2003年10月の「彼女の部屋」以来の新作。
お待ち申しておりました、と思いながら、書店レジに向かう。
緑の表紙に、白い犬が描かれた黄色いオビ。
「自分にもなにか 取り柄があったらいいのに、なにかあったら−。
 芥川賞作家が描く、「目立たない」ひとびとのゆるやかで切実な日々。」
あれ? というちょいとした戸惑いも感じながら、本を開く。


藤野千夜といえば、
芥川賞受賞作「夏の約束 (講談社文庫)」や、大傑作「少年と少女のポルカ (講談社文庫)」のように、
いわゆる「フツーじゃない」ひとびとの、フツーな日々を描いた作品が特徴だった。
それは、作者自身が性同一障害(この障害、って言葉気にくわないが…)
だったりするところに由来するのかもしれないが、
その「フツーじゃない」状況だって、別にヘンでも、不思議でもない、
というテイストが、とても読んでいて気持ちのいい小説だったりもした。
その人が、「目立たない」ひとたちを描く。
なかなか興味深くもあり、それこそ不思議でもあった。


部屋名が「アボカド」「ブロッコリー」「キャロット」「ダイコン」という、
絶対に住みたくない名前の二階建てアパート、ベジタブルハイツをめぐる連作集。
背が高くて、なかなかのルックスだけど、煮え切らない兄タカシ。
そんな兄や、家族に不満が絶えないかつての児童劇団員、妹のさやか。
そして、こんなアパートに入居しちゃうような、〝ユルい〟住人たちが、
それぞれの人生をたらりんたらりんと生きていく。
なるほど、ゆるやかでいて、切実な話ばかりだ。


ただ、藤野千夜作品にしては何となく〝薄い〟。
もっと、濃いひとびとの物語に慣れていたからだろうか、
何となくキャラクター描写が、あっさりしているような気がする。
たとえば、最初の「アボカドの娘」。
区民センターの写真講座に通うかずみの悩み。
課題の写真を撮ってはみたが、どうもしっくりこない。
で、寝る前に思い悩む。
〝自分の取り柄がなにかなんてわからなかった。
 だいたいそういうことを考えるのがもう全然ダメな気がした。
 そういうことを考えていると、あたまの中にはどんどん黒いモヤがかかって来る。
 人をねたむ気持ちなら誰にも負けませんとか、
 そんなことを明るく自慢にできたらいいのにと少し思った。〟
ここらへん自体は、いかにも藤野千夜のテイスト。
内省的ではあるけど、とても独創的な思考回路を持つ登場人物が、描かれる。


ただ、この引用部分がはめ込まれているのが、短編の最後なのだ。
いままでの小説なら、たぶん冒頭あたりで出てくる文章。
これで物語世界に引きずり込まれ、さらに印象的な記述に出会う、というのが、
僕の藤野千夜作品を読むときのパターンだった。
それだけに、これだけで終わられると、どうにも、何となくもの足りない。


タカシとかにしても、浪人して、彼女にフラれて、ぐじぐじと思い悩む。
〝落第発表〟を見るのももう、つらくてしかたない。
〝だったら勉強しろ、というだけの話なのだけれど、
 なにしろ彼女にフラれたくらいで心に深く傷を負ったと、
 何カ月も自分を甘やかしているタカシなのだ。
 そうそうポジティブに気持ちの切り替えができるわけもない〟
で、彼女と一緒に行った店、彼女がパクった灰皿と一緒の灰皿…などなど
何かにつけて、彼女の思い出に結び付けて考える自分を分析する。
〝やっぱり鬱の傾向なのだろうか。
 最近書店で立ち読みしただけの「心の健康」の本に書いてあったまま
 タカシは思い、またため息をついた〟
これも、何となく藤野千夜らしさが出てる「ブロッコリーの日常」の一場面。
この部分はこの部分でとても印象的なんだが、
ほかの場面のさらさらした記述と比べると、かえって浮き上がった印象もある。


ほかの誰かが書いたような小説に、
藤野千夜の文章をところどころ挿入したような感じ、なのだろうか。
どうにも、藤野千夜作品を読んでいる気がしない。
かといって、「ルート225」みたいに、
ヤングアダルト向けに書いたわけでもないと思われる。
(ちなみに、新潮文庫で出たばかり。こちらはけっこう面白い)
小説宝石」の連載らしいが、いまいち対象読者をしぼり切れてないような、印象だ。


かといって、面白くないか、と言われると、それはまた別問題。
住人たちとタカシにさやかの兄妹の日常スケッチは、とても心地よい。
もちろん、タカシとさやかの愛犬シッポナちゃんもかわいい。
最終編「さよならベジタブル」に出てくる、恋人たち。
みずきとマツ君の〝アンケート〟の応酬は、かなり笑えて、かなり切ない。
そう、普通の小説としては、そこそこのレベルなのだ。
結局、問題はフェイヴァリット作家のひとり、藤野千夜に対する僕の期待度の高さ。
期待しすぎていただけに、何となくもの足りないのだ。
もちろん、これが、藤野千夜の中でも、
〝ちょっと毛色の変わった作品〟だ、ということなら、納得できるレベルではある。
ただ、今後の作品もこんな感じだと…。
そんな不安を微妙に残す作品だったかな、とは思う。
ホント、読者とかファンって、わがままだな、と自戒を覚えつつ、そう思ってみたのだった。