ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転 -心霊小説傑作選- (創元推理文庫)」

mike-cat2005-04-15



古典ホラーの名作「ねじの回転」の新訳版だ。
何となくとっつきにくいストーリー展開に、
多忙な帰京も重なって、読むのにえらく時間がかかってしまった…


背表紙のスティーヴン・キングの賛辞が気にかかる。
〝この百年間に世に出た怪奇小説で傑作といえるのは、
 わたしにはジャクスンの「たたり」と、この「ねじの回転」の
 二作だけという気がする〟
ほお! と驚きつつ、そういえばキングの賛辞って、
ムチャクチャやたらと出てる割に、意外と当てにならない、
という事実を思い出してみたりする。
あげくに、〝その難解さばかりが喧伝されてきた〟名作らしい。
それはひょっとしなくても、ワケわかんない話じゃ…


果たしてその不安は、なかば的中、なかば外れ。
なるほど、ワケわかんないのも確かだが、面白い。
ワケわかんなさの方向性は違うが、
デービッド・リンチの映画観た感じとどこか似てるような気がする。
「何じゃ、そりゃ?」と思いつつも、物語に引き込まれていくのだ。
もちろん、とっつきにくいのは、
19世紀終盤という時代ならでは、の文化的背景が、
容易には理解できなかったり(先に解説を読んでおくとベターかも)
、というのもあるから、そこらへんは僕個人の素養の問題もあるのだろう。
でも、それを越えて、なぜこうなるの? みたいな不思議さが、
何ともいえない味わいを醸し出したりするのだ。


話の骨子自体は、そこまで複雑ではない。
時代は19世紀、
あるカントリーハウスに家庭教師として雇われた〝わたし〟は、
前任の家庭教師と小間使いの霊に取りつかれた少年少女と出会う。
ふたりはなぜ、死んだのか、何を求めているのか、
少年少女は、何を隠しているのか…
幽霊にまつわる謎は、解き明かされるどころか、深まるばかり…


仕掛けも単純だ。驚くような出来事は何も起こらない。
だが、何が怖いのか、分からない怖さ、というのもまた怖い。
幽霊が何をしてるかも、ろくにわからない。
少年少女も、取りつかれているのか、違うのか…
何しろ、〝わたし〟たちもそれを問いただしたりはしないから、
よけいに話は混迷する。
第一、語り手である〝わたし〟の行動も不可解そのもの。
そう、いわゆる〝信用できない語り手〟なのかも…
そうした不透明さが、読者を不安に陥れる。


まるで、暗闇にじわじわと引き込まれていく感覚だ。
たまにかすかな光が見えたように見えても、
それは新たな闇を作り出すだけ。
ずぶずぶと沈み込んだ闇からは、抜け出すことができない。
そして、ラスト。
ついに幽霊たちとの決着をつけた、と思った瞬間、
またも読者は闇に引き戻される。
こう書いていてもワケわかんなくなってくるぐらいだから、
読んでいると本当にわからない。


いわゆる議論の余地だらけの作品だけあって、
解釈には諸説が入り乱れているらしい。
そこらへんも、解説では触れられているので、
解説も込みで読むことをぜひにお勧めしたい。
性的欲求不満な〝わたし〟の妄想、という解釈もあるらしい。
けっこう身も蓋もないんだが、
なるほど、それもアリかも、と思わせるだけの不透明さを含んでいる。
解釈が分かれるのも、もしかすると、
単に作者が何も考えていないだけの部分まで、
勝手にファンが深読みしているだけ、
という古今東西でよくあるパターンかもしれない。


たぶん、この小説は
読む人それぞれの考え方や、気持ちを歪めて映す、
不思議な鏡でもあるんだろうと思う。
読み終えて覚える、不協和音のような感覚は、かなり独特。
なるほど、キングの賛辞も、伊達じゃないんだな、と実感したのだった。