こうの史代「夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)」
待ち合わせの前に寄った書店で見かけ、購入する。
何度か書評や書店店頭などで目にして、気にはなっていた。
しかし、こころの準備というモノがあるので、
どうしようかな、と迷っていた。結局、何となく買ってしまって、
何となく読み始めてるんだから、何なんだ、って感じなんだけど。
しかし、重いぞ。どよよん、と重くなる。
ヒロシマの話だ。そう、カタカナで書くからには、原爆だ。
被爆から10年後のヒロシマを描いた「夕凪の街」など、
重い重いテーマを、一市民のくらしレベルから描いている。
読み始めて数ページで、のどの奥が詰まり始める。
「はだしのゲン」のような、目を背けたくなるような描写があるわけではないが、
抑えた口調で、静かに訴えかけるような哀しみが、胸を打つ。
主人公皆実は、10年前のピカドンで父と姉を失った。
家族を捜して街の中をさまよい、そこで目にした光景が、
こころに決定的な傷を残す。今でいうPTSDだ。
誰かが〝自分たちを皆殺しにしようとした〟という事実。
地獄そのものの光景。そして、家族を、それまでの生活のすべてを奪われた。
これだけでも、人間が背負い込むには十分過ぎる傷になる。
さらに、皆実の善良さが逆にその傷を根の深いものにする。
苦しむ人たちに何もしてあげられなかった、
死にゆく人たちを見殺しにした、との意識が、皆実を苦しめる。
わたしは生きていていいんだろうか、という罪悪感だ。
だから、普通の幸せからも目を背ける。
〝あのこと〟を語り合うことなく、
〝普通に〟暮らしている周囲には、違和感すら覚えるのだ。
でも、その事実を受け止め、
そんな自分を〝許してくれる〟存在に出会うことで、
皆実の傷は癒やされる。
〝許される〟も何も、責められる筋合いはないのだが、
こういう形の傷を負った人は、
何らかの贖罪や許しの形を取ることで、負担を軽減できることもある。
読んでいるこちらが「ああ、よかった」と、安心したところで、
この作者は、こちらの期待をあっさりと裏切る。
未読の方のためにも、詳しくは書かないが(十分ネタバレではあるけど)
まあ哀しすぎて、涙すら安直に流すことができなかった。
そう、この作者は、皆実のこころの傷を知り、
罪悪感を背負った読者に、贖罪の機会を与えないのだ。
安直な〝許し〟を与えないことで、
この作品は読者のこころにどろりと重い、澱を残す。
それが、この作品を名作たらしめている、と思う。
涙と感動を〝楽しむ〟作品には終わらせない、重さがあると思う。
こういう作品を読んだ時、常に感じる問題がある。
この重さを、自分個人ではどこまで〝まともに〟受け止めるべきか、だ。
もちろん、その重さのままに受け止めるべき、ではある。
それはある意味理想だ。
しかし、そのまま受け止めて、耐えうるだけの強さは持ち合わせていない。
これは、たとえば原爆問題だけに留まらない。
こう書くとたぶん、「同列に扱うな」と指摘されるだろうことを、承知の上で書くと、
僕にとっては動物虐待、ペット虐待も、
〝まともに〟受け止めたら生きていけないくらいの重い事実だ。
それこそ、本当に何の罪もない犬や猫、その他の動物が、
不当に苦しめられている、傷つけられていることを考えただけで、
もう苦しくって、胸が締めつけられ、のどの奥が詰まる。
しかし、どうにもならない部分はあるので
(というか、何とかできる部分はあまりに少ない…)、
折り合いをつけるしかない。だが、その折り合いが、難しい。
ある意味、目をつぶる、忘れる、頭の中から追い出す。
卑怯だとはわかっていても、そうせざるを得ない。
考えてみれば、耳を塞いではいけないけど、目を背けてはいけない、
だけど、どうにもならないことはあまりにも多い。
ライアン・ゴズリング主演の「16歳の合衆国」のコピーだったか、
「世の中には、哀しみが満ちあふれている」のだ。
逃げてばかりでは、どうしようもないけど、
どれもまともに受け止めていたら、哀しみにとらわれて、抜け出せなくなる。
つくづく、生きていくのは難しい。
知らぬが仏、とはよくいったものである。
知らないでいれば、罪悪感も感じない、痛みも感じない。
しかし、こんな仏にはなりたくない。
だから、この「夕凪の街 桜の国」のような、きっつくて重い本は読みたい。
読んだら読んだで、苦しむのはわかってるけど、
痛みを少しでも理解し、自分の可能な範囲だけでも、〝正しく〟生きる。
でも、この〝できる範囲〟や〝正しい〟ってのが欺瞞に過ぎないのもわかってて、
それもまた、とても悩ましい。
だけども、また二重三重に気持ちをごまかして、それを忘れてみせる。
いつまでも、答えが出ない、そして答えを出さないまま引き延ばし続ける。
それもまた、受け止めつつやっていくしかないのが、本当に難しい。
で、前の段落に戻る。生きていくのは、やっぱり大変なんだ、と。
それをまた、考えさせるだけのものが、この本にはあった。
そんな本を読めただけでも、きょうはよしとしたい。
それすらも、本当は欺瞞に過ぎないと、わかってはいるのだけど…