こうの史代「夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)」

mike-cat2005-03-23



待ち合わせの前に寄った書店で見かけ、購入する。
何度か書評や書店店頭などで目にして、気にはなっていた。
しかし、こころの準備というモノがあるので、
どうしようかな、と迷っていた。結局、何となく買ってしまって、
何となく読み始めてるんだから、何なんだ、って感じなんだけど。


しかし、重いぞ。どよよん、と重くなる。
ヒロシマの話だ。そう、カタカナで書くからには、原爆だ。
被爆から10年後のヒロシマを描いた「夕凪の街」など、
重い重いテーマを、一市民のくらしレベルから描いている。
読み始めて数ページで、のどの奥が詰まり始める。
はだしのゲン」のような、目を背けたくなるような描写があるわけではないが、
抑えた口調で、静かに訴えかけるような哀しみが、胸を打つ。


主人公皆実は、10年前のピカドンで父と姉を失った。
家族を捜して街の中をさまよい、そこで目にした光景が、
こころに決定的な傷を残す。今でいうPTSDだ。
誰かが〝自分たちを皆殺しにしようとした〟という事実。
地獄そのものの光景。そして、家族を、それまでの生活のすべてを奪われた。
これだけでも、人間が背負い込むには十分過ぎる傷になる。
さらに、皆実の善良さが逆にその傷を根の深いものにする。
苦しむ人たちに何もしてあげられなかった、
死にゆく人たちを見殺しにした、との意識が、皆実を苦しめる。
わたしは生きていていいんだろうか、という罪悪感だ。
だから、普通の幸せからも目を背ける。
〝あのこと〟を語り合うことなく、
〝普通に〟暮らしている周囲には、違和感すら覚えるのだ。


でも、その事実を受け止め、
そんな自分を〝許してくれる〟存在に出会うことで、
皆実の傷は癒やされる。
〝許される〟も何も、責められる筋合いはないのだが、
こういう形の傷を負った人は、
何らかの贖罪や許しの形を取ることで、負担を軽減できることもある。
読んでいるこちらが「ああ、よかった」と、安心したところで、
この作者は、こちらの期待をあっさりと裏切る。
未読の方のためにも、詳しくは書かないが(十分ネタバレではあるけど)
まあ哀しすぎて、涙すら安直に流すことができなかった。
そう、この作者は、皆実のこころの傷を知り、
罪悪感を背負った読者に、贖罪の機会を与えないのだ。
安直な〝許し〟を与えないことで、
この作品は読者のこころにどろりと重い、澱を残す。
それが、この作品を名作たらしめている、と思う。
涙と感動を〝楽しむ〟作品には終わらせない、重さがあると思う。


こういう作品を読んだ時、常に感じる問題がある。
この重さを、自分個人ではどこまで〝まともに〟受け止めるべきか、だ。
もちろん、その重さのままに受け止めるべき、ではある。
それはある意味理想だ。
しかし、そのまま受け止めて、耐えうるだけの強さは持ち合わせていない。
これは、たとえば原爆問題だけに留まらない。
こう書くとたぶん、「同列に扱うな」と指摘されるだろうことを、承知の上で書くと、
僕にとっては動物虐待、ペット虐待も、
〝まともに〟受け止めたら生きていけないくらいの重い事実だ。
それこそ、本当に何の罪もない犬や猫、その他の動物が、
不当に苦しめられている、傷つけられていることを考えただけで、
もう苦しくって、胸が締めつけられ、のどの奥が詰まる。
しかし、どうにもならない部分はあるので
(というか、何とかできる部分はあまりに少ない…)、
折り合いをつけるしかない。だが、その折り合いが、難しい。
ある意味、目をつぶる、忘れる、頭の中から追い出す。
卑怯だとはわかっていても、そうせざるを得ない。


考えてみれば、耳を塞いではいけないけど、目を背けてはいけない、
だけど、どうにもならないことはあまりにも多い。
ライアン・ゴズリング主演の「16歳の合衆国」のコピーだったか、
「世の中には、哀しみが満ちあふれている」のだ。
逃げてばかりでは、どうしようもないけど、
どれもまともに受け止めていたら、哀しみにとらわれて、抜け出せなくなる。
つくづく、生きていくのは難しい。


知らぬが仏、とはよくいったものである。
知らないでいれば、罪悪感も感じない、痛みも感じない。
しかし、こんな仏にはなりたくない。
だから、この「夕凪の街 桜の国」のような、きっつくて重い本は読みたい。
読んだら読んだで、苦しむのはわかってるけど、
痛みを少しでも理解し、自分の可能な範囲だけでも、〝正しく〟生きる。
でも、この〝できる範囲〟や〝正しい〟ってのが欺瞞に過ぎないのもわかってて、
それもまた、とても悩ましい。
だけども、また二重三重に気持ちをごまかして、それを忘れてみせる。
いつまでも、答えが出ない、そして答えを出さないまま引き延ばし続ける。
それもまた、受け止めつつやっていくしかないのが、本当に難しい。
で、前の段落に戻る。生きていくのは、やっぱり大変なんだ、と。
それをまた、考えさせるだけのものが、この本にはあった。
そんな本を読めただけでも、きょうはよしとしたい。
それすらも、本当は欺瞞に過ぎないと、わかってはいるのだけど…