ジョン・マリー「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」

mike-cat2005-03-11



すごいタイトル。
そのまんま学術書の類と勘違いして、手にも取らない人多いんじゃないだろか。
もちろん、文芸書コーナーにあればそういうことも少ないだろうけど。
でも、こういうのにそそられるタイプの人は、一撃だろう。
僕もその一人。タイトル、そして蝶のカバーだけでもう、買う気になってた。


その直感は当たっていたかというと、これがなかなかの的中だ。
文学的素養のない僕が言うのも何だが、
一編一編、非常に味わい深い短編集だ。
いや、現代文の授業みたいに、
ここにどういう暗喩があって、とか、主人公の行動はなにを表しているか、とかは
明快には説明できないんで、「どういいんだ!!」と、
問い詰められたら、多少言葉に詰まる。
だが、圧倒的なリアリズムを感じさせる過去の出来事と向き合う、
もしくはそれから逃避するひとびとを描いた7編は、
強烈に〝人生〟を感じさせる、コクがある。


たとえば、表題作の「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」の主人公は、
かつて世界的に知られた蝶マニアで、
最後はプリオンに脳を冒された祖父の幻影に取りつかれている。
祖父の教えは強烈だった。
「蝶は隠喩(メタファー)だよ。人生の。美しくて、無常で、はかなくて、不可解だ」。
たぶん、これは蝶に限らないとは思うんだが、
主人公はこの考え方を子どもながらに理解してしまう。
〝友人がベースボールカードや切手を集めるように、わたしは蝶を集めた−
 そのひとつひとつがわたしには人格(パーソナリティ)を持っているように見えた。
 あのもろくて不条理なまでに色彩豊かな虫には、
 胸を打たずにはいられない、何か不敵なものが感じられる。
 蝶には、この世を晴れやかにする以外にどんな目的があるのだろう〟


主人公はすべての解答を、蝶に求めていく。
だが、答えは出ない。
物理的な妻マーヤとの考え方の食い違いも、どう解消すればいいのか、
蝶は答えを出してくれない。
いら立つ妻が、蝶の標本を破壊すると、どこかで安堵感を覚えたりする。
だけど、けっきょく蝶からは逃げ出せない。
この短編で作者が言いたいことは? 僕にはよくわからない。
よくわからないんだが、主人公のこころの葛藤は伝わってくる。
そして、そのもどかしい感覚は、どこかで覚えがある。
主人公のように、劇的な人生は送っていないが、おぼろげに理解できる。


この短編、たとえば映画という形で、
思考はより抽象的に、ビジュアルはより具体的な形で示されたら、
よりクリアな形で理解できるかもしれない。
いや、もしかしたら、全然違う印象を覚えるかもしれない。
そういう意味では、さまざまな色彩を持つ、まさしく蝶のような一編だ。
よくわからないけど、魅せられてしまった、という感じ。


そして、ほかの6編にもそのテイストは共通する。
ゲリラの襲撃にあった、国境なき医師団の医師や、
コレラ患者の悲惨な実態を初めて目にする世界的なコレラ研究医…
そんなひとたちが、その極限の状況に触れ、人生を見つめ直す。
まあ、こう書くと当たり前っぽいかも。
しかし、頭で考えると当然だけど、
こうして小説で疑似体験すると、意味合いは全然変わってくる。
もちろん、疑似体験じゃ、意味合いは薄いんだが、
実際に圧倒的な現実に触れあう機会なんて、僕にはないし、ね。


読み終えると、とても疲れてる。
それは、やっぱり内容の重さというか、何というか。
おいしい料理だけど、コクがありすぎて、けっこうもたれる感じ。
元気のある時に、少しずつ読み進めるのがいい本だったかもしれない。
いまさらこんなこといっても仕方ないんだけど。
胃薬代わりになるような、軽めの本でも探そうっと。