絲山秋子「逃亡くそたわけ」

mike-cat2005-03-02



マイフェイヴァリット作家の一人。待ってましたの新刊だ。
ただ、出版予告でタイトルを見て、かなりびっくりしてたのだが、
阿部真理子デザインの表紙も見てこれまたびっくり。
表紙の色、ちょっと趣味悪いな…と、やや引き気味になってしまった。
しかし、オビはそそる。「逃げるのに、理由なんていらない。」
不安と期待が絡み合いながらの、読み始めとなった。


主人公わたしは、躁病で福岡ドーム近くの病院に入院する21歳。
悩まされている幻聴は〝亜麻布二十エレは上衣一着に値する。〟
何が何だか、聞いているわたしにすら分からない。
〝意味はわからない。だけどこれが聞こえるとあたしは調子が悪くなるのだ。
 焦燥が強くなるのだ。衝動が高まるのだ。
 夜の峠をブレーキの壊れた自転車で下っていくみたいに、
 真っ暗な鼓動に支配されてしまうのだ。〟
これが物語の冒頭。
いきなり、ヘビーな出だしに戸惑っていると、
それに慣れる間もなく、話はいきなり展開する。


病棟の別名はプリズン。もちろん、不自由そのものだ。
〝どうしようどうしよう夏が終わってしまう。
 二十一歳の夏は一度しか来ないのにどうしよう。
 この狂った頭の中には逆巻く濁流があって、
 いてもたってもいられないのだった。
 プリズンで夏を終わらせるのだけは嫌だった。〟
だから、逃げちゃう♪ この軽さ、たまらなくいい。
そのノリで、何と一気に九州縦断の逃避行。
そう、独特のノリのロードノベルだったのだ。


福岡、鹿児島に計6年間住んだことある僕にとっては、
たまらない味わいがある。
いきなり逃げた先が西新だ。住んでたトコ。
とれたての野菜や花、魚を売ってるリヤカー部隊だとか、
昭和通りだ、西新パレスだ、と懐かしい地名がズラリ…
なっつかしいな、なんて思いながらも読んでしまった。
ああ、でも、地名になじみがなくても、
物語の味わいを損ねることはないと思うので、ご安心を。


逃避行のお供は、名古屋出身、自称東京出身を騙る〝なごやん〟。
なごやんのイケてない車で、二人は逃避行を重ねる。
ちなみになごやん、ホントはポルシェに乗りたいのだ。
で、こんなことをのたもうてみたりする。
「オタクじゃないと思うけど、ポルシェのない世界なんて想像もできない」。
乗ってないのに、何で想像できないんだよ(笑)
こんな感じのユルいなごやんと、
躁病で突然焦り出す〝わたし〟のコンビネーションはなかなかだ。


なごやんの話を続けると、
なごやんは東京出身を名乗るくらいだから、言葉は標準語。
ちなみに僕は標準語、という言い方はあんまり好きじゃないけどね。
「なして名古屋弁で喋らんと?」と尋ねると、ウィトゲンシュタインを引用する。
「『人間の精神は言語によって規定される』って知らない?
 俺は自分の精神を名古屋弁に規定されたくないんだ」
このウィトゲンシュタインの言葉は知らなかったが、これは納得。
確かに、喋る言葉を変えると、人格もちょいと変わった気がする。
拙い英語で喋っていると、なるほど自分がバカのような気がしてくるし。
常にミャーミャー言ってるような(ホントにそうかは知らないが)、
とんでもないイメージのある名古屋弁じゃ、無理ないかも…


そんなわけで、名古屋から逃げてきたなごやんと、
一緒に逃げ続けることで、逃げることの意味について、
〝わたし〟はいろいろと想いを馳せることになる。
何から逃げているのか、どこへ逃げるのか、
そしてその中で、どうやって生きていくのか…


たどり着いた指宿で、知林ケ島という砂洲で地続きとなる島へ渡る二人。
あり得ないはずの、ラベンダーの香りが一瞬漂う。
その瞬間、〝わたし〟は何かを悟る。
〝「帰ろう」
 初めて、あたしはその言葉を口にした。なごやんは口を結んだまま頷いた。〟
途中を読んでいないと、なかなかわからないんだが、
この場面が、とてもロードノベルのハイライトっぽくて、ジンとくる。
おぼろげな感情の動きが積み重なるばかりだった、
何てコトのない逃避行が、ここで一気に答えとなる。
もちろん、何をつかんだか、の明快な答えはない。
だが、あてどのない旅の持つ不思議な力が、
とても読んでいる人間のこころに伝わってくるシーンだ。


もっとラディカルな展開であっていいかな、とも思う。
大傑作「海の仙人」「袋小路の男」と比べると、
すっとぼけた感じの味わいは、ややもすると及ばない。
絲山秋子にしては、ちょいと普通なのかな、という気はする。
だが、やはり面白い、ということだけは保証できる。
もしかしたら、何度も読み込んでいくと、もっと味わいがわかる小説なのかも。
もちろん、〝亜麻布二十エレは上衣一着に値する。〟
が頭から離れなくなったりしないよう、気をつけなければ、ならないんだが…