山本一力「だいこん」

mike-cat2005-02-21



10代で店を構えた飯炊きの名人、つばきが切り盛りする、
一膳飯屋〝だいこん〟の繁盛記だ。
食べ物を扱う時代小説、といえば最近のまさにストライクゾーンど真ん中。
この本に、いままで気づかなかったのが悔やまれる、
というほど、前に出た本ではないんで、別にいいんだが。


この物語の中核をなすのは、やはりつばきの才覚と、真っすぐな気性。
その二つが織りなすサクセスストーリーが、醍醐味だったりする。
その才覚は、幼い時分からさまざまなところで発揮される。
そば屋で立ち働く母の姿を見て、その姿に憧れながらも、
〝土間を埋めた客のすべてに目が行き届かない〟様子を明確に見て取る。
〝蕎麦湯を欲しがっている客。薬味が欲しそうな客。
 食べ終わって煙草盆を探している客。
 客がなにを欲しがっているかを、つばきは感じ取っていた。〟
これが3、4歳の頃のことだから、
物語としては、一つ間違えば鼻白むレベルの才覚だ。


だが、その真っすぐな気性を描くエピソードの豊かさが、
その鼻白むほどの才覚を、うまく説明づける。
腕のいい職人でありながら、酒と博打で身を持ち崩す父、安治。
その父と、気持ちの弱い母に悩まされながらも、
逃げることなく事態に立ち向かい、両親を支えていく。
まあ、ここらへんも〝そんな子、いるかい〟となっちゃうと、
ノっていけないけど、真っすぐな気性に免じて許しちゃう。


飯炊きについても同じ。
9歳ぐらいのつばきが、炊き出しの手伝いをした際、
年配のおしまから飯炊きの基本を習う。
作業自体、難しいことはないが、カンが大事な仕事だ。
〝おしまが示すとぎかたと、それにまつわる話を、
 つばきはぴたりとわきにくっついて覚えようとした〟
だから、おしまも自然と力が入る。
〝おしまはつばきの振る舞いに気をよくしたらしい。
 賄い所に戻ったあとも、米の炊き方と蒸らし方をつきっきりでつばきに教えた〟
なるほど、納得という感じだ。
その後も、さまざまな人間を惹きつけていくのは、
つばきの才覚と、気性だ。
だから、けっこう単純なサクセスストーリーにも関わらず、
どんどん気持ちが入っていく。そう、心地よく乗れるのだ。


もちろん、前半は安治のこさえた借金に苦しみ、
後半になると、年ごろの娘らしい恋と、生きがいでもあるお店のことで葛藤に陥る。
みずからの損な性分にも、たまに息苦しさも覚えるのだが、
そこらへんもなかなか惹きつけられる要素のひとつだ。
ま、切ない部分も確かにあるんだが。


どんなに店が繁盛しても、さらに上を目指す姿勢に変わりはないが、
お店で出す料理に関しては、もちろん妥協はない。それは値段も込み。
うまいものを適正価格で出して、きちんと儲けを出す。
とても誠実な態度が、貫かれるから、とても潔い。
裕福な商家のおかみさんとの触れないの中でも、
やはり本当に裕福な人間にしか出せないセンスをきちんとくみ取る。
そこにひがみなどはない。素直にその様子を見つめるだけの、度量がある。


そう、読者もつばきに魅せられ続けるのが、この小説の味わいだ。
つばきの店を応援したくてしかたなくなるから、
多少ご都合主義のサクセスストーリーが、むしろ楽しい。
そうあってくれないと、何だか居心地が悪いのだ。
才能のある人間が誠実にことをなす。それが報われる。
こんな単純な話をうまく転がすパワーが、
つばきというキャラクターには満ちている。


そうそう、もちろん一膳飯屋なんで、食べ物の話も見逃せない。
いわしの煮付け、だいこんと昆布の煮物…
つくづく、時代小説には美味しいイワシの話が欠かせない。
そして、大根も。僕にとっても大好物のこの二つが、
美味しいご飯とともに供されるのだから、小説を読んでいるだけでたまらなくなる。
ああ、料理したい…。
このところ料理から離れているので、なおさら思いは募る。
小説が面白いのは大歓迎だけど、ホント、困ったモンだ。