宇江佐真理「さんだらぼっち―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)」
おなじみ、髪結い伊三次捕物余話の第4弾。
たいてい、シリーズも4作目にもなると、
ヘンに手慣れた感じになる小説が多いものだが、なかなかどうして。
安心して読めるけれど、ファンに甘えたような感覚はまったくない。
伊三次と、辰巳芸者(伊三次の女房におさまったが…)のお文、
そして同心の不破…
おなじみの人物たちは、さまざまな運命にもまれつつ、
市井の暮らしを、美しい音色で奏でていく。
ちなみに〝さんだらぼっち〟とは、
米俵の両端に当てる、藁のフタのことらしい。
桟俵法師が訛って、さんだらぼっち。
かつて江戸で流行った、疱瘡の治癒を願う疱瘡地蔵の代わりとか。
この不思議な語感が、子どもを喜ばせるのだが、
その後は読んでのお楽しみ、というか、そんな感じ。
伊三次とお文。晴れて(オビにはそうあるけど、火事で焼け出されたんだよね…)
夫婦になった二人にも、事件は待ってくれない。
母親による幼い子殺しにこころを傷めたお文は、
夜泣きの子どもを折檻する母親の姿にキレる。
お灸を奪い去って、顔に押しつけちゃうんだから、もう立派な傷害事件だ。
でも、気持ちは分からないでもない。
よく、電車とか公共の場で騒いでる子どもがいるが、
あれ、結局は親のしつけ。
ふだんからきちんとしてるかが、咄嗟に出るところだ。
もちろん、ほったらかしの親が一番癪にさわるが、
次に鬱陶しいのは、ヒステリー気味に子どもをしかりつける親。
逆効果だって、わかってんだろ? と注意したくなる。
ま、注意すると逆ギレされる世の中だから、気をつけないといけないけど。
事件は事件として、結局長屋を出ざるを得なくなるのだが、
伊三次は最初、お文の本当の気持ちを知らなかった。
その誤解が解けるまでの、じれったさがまた、
このシリーズならではの味だったりする。
読んでて辛い想いをしながらも、読み進める甲斐があるというものだ。
印象に残ったのは、「爪紅」の1シーンだ。
かつて関係のあったお喜和の髪を、伊三次が結う場面。
お喜和が吐息をもらし、うっとりしながらこう話す。
「どうしてかねえ、頭を触られると滅法気持ちがいい」
同感ですねぇ。僕も髪を触られると、ホントうっとりする。
美容院で髪を切ってもらう時とか、至福の時、とまではいかないが、
それこそ滅法気持ちがいい。
もちろん、それはセンス的に信頼できる美容師さんで、
もちろん、その手際もいい美容師さんに限るのだが。
初めてのトコとかだと、きちんと見てないとナニされるかわからないし。
でも、信頼できるトコだと、もうあっという間に眠くなる。
エステとか、男には(基本的に)縁がないが、こういう気分なんだろうな、と思う。
そう考えると、けっこう伊三次っていうのは官能的な仕事をしてるんだな、と、
いまさらながら考えてみたりもする。
いなせな辰巳芸者といい仲になってしまうのも当たり前、か?
そうそう、物語は、
伊三次が将来の独立に向け、居を構えたり、
何だか弟子らしいのができてしまったり、
二人の間に待望の子どもができたり、
周囲の人間との関係が変化していったり、
と、にぎやかな展開を残して、この巻を終わる。
この後、どんな展開を見せるのか、楽しみでもあり、
何だか、物語の大団円が近づいているみたいで、淋しくもあり。
どんなその後をたどるのだろうか?
そろそろ、ハードカバーで買っちゃってもいい頃かもしれない。