宇江佐真理「さんだらぼっち―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)」

mike-cat2005-02-18



おなじみ、髪結い伊三次捕物余話の第4弾。
たいてい、シリーズも4作目にもなると、
ヘンに手慣れた感じになる小説が多いものだが、なかなかどうして。
安心して読めるけれど、ファンに甘えたような感覚はまったくない。
伊三次と、辰巳芸者(伊三次の女房におさまったが…)のお文、
そして同心の不破…
おなじみの人物たちは、さまざまな運命にもまれつつ、
市井の暮らしを、美しい音色で奏でていく。


ちなみに〝さんだらぼっち〟とは、
米俵の両端に当てる、藁のフタのことらしい。
桟俵法師が訛って、さんだらぼっち。
かつて江戸で流行った、疱瘡の治癒を願う疱瘡地蔵の代わりとか。
この不思議な語感が、子どもを喜ばせるのだが、
その後は読んでのお楽しみ、というか、そんな感じ。


伊三次とお文。晴れて(オビにはそうあるけど、火事で焼け出されたんだよね…)
夫婦になった二人にも、事件は待ってくれない。
母親による幼い子殺しにこころを傷めたお文は、
夜泣きの子どもを折檻する母親の姿にキレる。
お灸を奪い去って、顔に押しつけちゃうんだから、もう立派な傷害事件だ。
でも、気持ちは分からないでもない。


よく、電車とか公共の場で騒いでる子どもがいるが、
あれ、結局は親のしつけ。
ふだんからきちんとしてるかが、咄嗟に出るところだ。
もちろん、ほったらかしの親が一番癪にさわるが、
次に鬱陶しいのは、ヒステリー気味に子どもをしかりつける親。
逆効果だって、わかってんだろ? と注意したくなる。
ま、注意すると逆ギレされる世の中だから、気をつけないといけないけど。


事件は事件として、結局長屋を出ざるを得なくなるのだが、
伊三次は最初、お文の本当の気持ちを知らなかった。
その誤解が解けるまでの、じれったさがまた、
このシリーズならではの味だったりする。
読んでて辛い想いをしながらも、読み進める甲斐があるというものだ。


印象に残ったのは、「爪紅」の1シーンだ。
かつて関係のあったお喜和の髪を、伊三次が結う場面。
お喜和が吐息をもらし、うっとりしながらこう話す。
「どうしてかねえ、頭を触られると滅法気持ちがいい」
同感ですねぇ。僕も髪を触られると、ホントうっとりする。
美容院で髪を切ってもらう時とか、至福の時、とまではいかないが、
それこそ滅法気持ちがいい。


もちろん、それはセンス的に信頼できる美容師さんで、
もちろん、その手際もいい美容師さんに限るのだが。
初めてのトコとかだと、きちんと見てないとナニされるかわからないし。
でも、信頼できるトコだと、もうあっという間に眠くなる。
エステとか、男には(基本的に)縁がないが、こういう気分なんだろうな、と思う。
そう考えると、けっこう伊三次っていうのは官能的な仕事をしてるんだな、と、
いまさらながら考えてみたりもする。
いなせな辰巳芸者といい仲になってしまうのも当たり前、か?


そうそう、物語は、
伊三次が将来の独立に向け、居を構えたり、
何だか弟子らしいのができてしまったり、
二人の間に待望の子どもができたり、
周囲の人間との関係が変化していったり、
と、にぎやかな展開を残して、この巻を終わる。
この後、どんな展開を見せるのか、楽しみでもあり、
何だか、物語の大団円が近づいているみたいで、淋しくもあり。
どんなその後をたどるのだろうか?
そろそろ、ハードカバーで買っちゃってもいい頃かもしれない。