山本一力「損料屋喜八郎始末控え (文春文庫)」

mike-cat2005-02-16



沖縄をようやく後にする。
今回の滞在は本当に大ハズレ。
次回は滞在先をきちんとこだわろうと決意する。


で、やっぱり気分が時代小説。
直木賞作家のデビュー作だ。
あの「あかね空」の味わい再び、を追い求め、
書店事情の悪い沖縄で何とか発見。


で、損料屋って何? ってトコなんだが、
〝夏の蚊帳、冬の炬燵から鍋、釜、布団までを賃貸しするのが損料屋だ。
 所帯道具にも事欠く連中相手の小商いは、
 威勢の失せた年寄りの生業だというのが通り相場だった〟という。
でも、喜八郎は
〝紺木綿の胸元を崩して着た喜八郎は年若く、目にも掠れ声にも力があった。
 細面の両目は深く窪んでおり、瞳は獲物に飛びかかる猫のように鋭い〟とある。
そう、案の定、損料屋は仮の姿だったりする。


喜八郎は米方掛筆頭の与力、秋山久蔵のもとで同心をしていた。
で、けっこうな剣客でもあったのだが、
秋山の上役に当たる奉行の失策の尻ぬぐいもあって、武家から足を洗う。
その際、札差(米の現金化などを扱う金融屋)、先代米屋と、秋山久蔵との手配で、
損料屋として生計を立てることになった喜八郎は、
ある時は秋山の手下として、陰ながらフィクサー的な仕事をしてみたり、
どうにも頼りない米屋の跡継ぎを見守ったり、というのが、もうひとつの顔になる。


事件の始まりは、失態を重ねて廃業の危機に陥った米屋を救うところから始まる。
この事件をきっかけに、
大物札差屋、伊勢屋や、悪徳笠倉屋の陰謀に巻き込まれたりして、
ストーリーは幅広く、展開していく。
聞き慣れない世界の話なんで、序盤とっつきにくいが、
なかなかどうして、次第に物語の世界に引き込まれていく。
特に、当時の御家人の苦しい内情や、
いつの時代も金貸しは儲かるんだな、みたいなことが見えてくると、また味わいもひとしおだ。


まあ、その一方で損料屋としての稼業の方は、あんまり描かれることはない。
もうちょっと、ここらへんも描いてくれたりすると、
もっと喜八郎の人柄とか、市井の人々の暮らし、
みたいな部分も見えてきていいのだけど、などと勝手な希望も抱いてみたりする。


ただ、損料屋に絡まない部分では、祭りや祝言などの、
生き生きとした場面も描かれており、こちらはかなり読ませる。
特に、イワシとサンマをマイベスト5食材に挙げる僕的には、
「いわし祝言」のラストが、とても印象的だった。
〝「浜から届いたばかりの、祝い酒の肴だよ」
 真っ赤な熾火で。いわしの丸焼きが始まった。
 脂が落ちて、凄まじい煙が立ち昇った。
 しちりんが二十個。一度に焼かれるいわしが六十尾。
 風がなくて煙が逃げない。船着場がいわしを焼く煙に包まれた。〟
うう、読んでいるだけでよだれが止まらなくなる。


こういうくすぐる表現は、
やはりこの時代への想いがなければなかなかできるものじゃないと思う。
先日の宮部みゆき天狗風 霊験お初捕物控(二) (講談社文庫)」でも思ったけど、
やっぱり食べ物の描写はすごく大事。
僕的には、とても想いが伝わってくる、重要な要素だ。
いわし好きだから、というだけでなく、この場面は胸に染みた。
この〝いわし祝言〟までの経緯も、泣かせるし、読ませるからだ。
それを最後にいわしの煙で昇華させる、この手法。やはりすごい作家だと思う。


ストーリー全体を見渡しても、
序盤の米屋救済が、最後まで尾を引く形で、秋山久蔵を、喜八郎を振り回す。
その転がし方たるや、前述の通り、見事としかいいようがない。
また浸ってしまった。
しばらく、時代小説の世界から抜け出せないかもしれない。