大道珠貴「素敵」

mike-cat2005-01-13



オビはなかなかいい感じ。
「愛しているのか。愛していないのか。
 それでも、ずっとこのまま続いていく。」
いかにも大道珠貴らしい、投げやりっぽさがにじむ。
不仲の姉妹、母娘、夫婦のそれぞれの〝愛〟の形を描いた5編。
「これ、愛じゃねぇよ…」みたいなものもひっくるめて、淡々と描き出す。
芥川賞受賞作の「しょっぱいドライブ」とか
銀の皿に金の林檎を」みたいな、乾いた感じが独特だ。
しょっぱいドライブ 銀の皿に金の林檎を
でも、その二作と比べて、どちらかといえば〝痛い〟感じは否めない。
どちらかといえば、最近文庫化された「背く子 (講談社文庫)」みたいな、
読んでいて体をよじりたくなるような、息苦しさも伝わってくる。
「世の中、こんなもんだよね」というメッセージなんだろか…。
あきらめちゃった感が、より強く感じられるのだ。


表題作「素敵」でも、仲がいいんだか、悪いんだか、
よくわからない夫婦の会話が、何だか不思議に息苦しい。
「何回、今までの人生で交わしてきた会話だろう。ああ言えば、こう言う。
 でも妻は、もうっ、お父さん、何度でもおんなじこと言って、なんて非難はしない。
 何度同じことを言ってもいい、と正造は思うのだった。
 〝もう、その話はきいた〟−子供らは反抗するとき、そう言った。
 くそ生意気な。何度言ってもいいやんか。
 おれたち夫婦は何度でも言っていい、と正造は思った。」
確かに、人生って単純なことの反復なんだよな、なんて納得する。
しかし、その反復をどこかでうまく、心地よさに転化させられるか、どうか、だと思う。
この正造のように、だらだらとした感じでなく、
あきらめや、無気力でもない形での反復にできるか、が幸せのカギなのかな、と。


書いてるうちにワケわかんなくなってきたので、ほかの話題。
イケてない彼との、何となくな関係を描く「一泊」。
これがまた、とことん受動的で、いいかげんで、投げやりだ。
しかし、こちらは何となく味がある。
恋のきっかけは、何となく。
でも「どうも、レンアイのとっかかりは、見たいものだけ見て、
 見たくないものはあっさりなかったことにしてしまう」。
で、「〝あー、また今回も失敗〟と感じ始めたころ、
 〝実はさいしょっからうすうす気づいてたんだよな、無理だってこと〟
  というような後悔の仕方をしてしまう」んだそうだ。
いや、なかなかのダメダメぶりで。
でも、こういう恋愛ダメダメぶりは、なかなかほほ笑ましいな、なんても思う。
ま、あくまで好みの問題ではあったりするんだけど。


で、こうした何となくな作品が続く中、ちょっと気になった点ひとつ。
高校生の恋愛模様を描いた「カバくん」の中での主人公のセリフ。
「あんたのタイプはどういうの」
「顔がいい人やね。志垣太郎とか、谷隼人とかさ」。
おい、待て…。この小説、序盤で〝タッキー〟とか出てくるのに、時代が…。
それも、そのままこの会話は流されてしまう。
そんな…。気になって、読み続けられないよ。
志垣太郎も、谷隼人も、確かにいい男かもしれんが、
パッと出てきて、そのまま流せるような人物じゃないだろ。
せめて、それに反応する場面を書いてくれって感じ。
わざとやってるんだろうけど、どうにも気になった点ひとつ。でした。


とまあ、つらつらと書いていて気づいたこと。
この作者にしては、この本、面白くなかったな、と。
次回に期待、って感じだろうか、個人的には。
意外と、一般には評判よかったりして。別に関係ないけどね。