三崎亜記「となり町戦争」

ボリュームはやや軽め



小説すばる新人賞
のどかな街の風景写真を使ったカバーが印象的だ。
オビの説明には
「ある日届いた〝となり町〟との戦争の知らせ。
 僕は町役場から敵地偵察を任ぜられた。だが音も光も気配も感じられず、
 戦時下の実感を持てないまま。それでも戦争は着実に進んでいた−−。
 シュールかつ繊細に〝わたしたち〟が戦争を否定できるかを問う衝撃作」。
なかなか、そそる設定だったりする。
まあ、後段の理屈っぽいのはともかく、
粛々と進む〝となり町〟との戦争って?、と興味がわく題材だ。


この〝戦争〟がなかなかくせ者でいい。いいっていうのもヘンな言い草だが。
好戦ムードに沸き上がり、生々しい戦争が身近に迫ったりするわけではない。
町の第何時5カ年計画とかに盛り込まれた、町の事業としての戦争が、
音もなく、目に見えることもなくただ、淡々と進んでいく。
何しろ、開戦予定日だけでなく、終戦予定日までが町の広報だよりの隅にこっそり書いてある。
そして、〝今月の人口の動き〟の中に、転入、転出と並んで死亡(うち戦死何名)とかが、
数少ない、戦争を物語る数字とかだったりする。


だが、この〝戦争〟を文学的な概念としてとらえることができないのが、怖い。
いまの戦争って、そんなものでしょ。
アメリカのイラク戦争だって、まさに開戦時にアメリカにしばらく滞在してたけど、
ニュース見たって、あんまり現実感ないし、
町の中はたまに国旗立てて走ってる車が目に入るくらい。
あとは映画館の予告にまじって、アーミーの募集してたり。
この国はいま、戦争してるんだな、という感覚はまったく感じられない。
いいとこ、空港に行けば、セキュリティチェックでようやく、って感じ。


だから、この小説で描かれる〝現実感のない戦争〟って、けっこうリアルに迫ってくる。
戦争の意義として、
自治体行政の運営のありかたを視野に入れ、10年後、50年後を考えて…
みたいな説明も、小説ではお笑い草にもなるけど、
こんなの実際にブッシュとかがしゃらしゃらとしゃべっていることとあんまり変わりない。
こういう状況で、戦争否定できるか、という問いを投げかけられたら、
やっぱり即答できないだろうな、と思う。


まあ、そんな感じの重めのテーマを、小説として成り立たせているのが、
いかにも役所仕事的な〝戦争〟の描写だ。
住民説明会で流れ弾で割れた窓ガラスの補償とかを聞かれ、
いかにも役所的な、細かいけど、結局ナンなんだ、みたいな回答があったりする。
任務割当表とかも挿入されていて、これがまた細かくて、無意味そうな感じ。
夫婦に偽装して、敵地へ潜入すると、
性的欲求処理も任務のひとつとして、組み入れられたりする。
色っぽいシチュエーションも、何だか機械的で、
静謐で、ヘンに秩序立てられた戦時一任務なんだな、と感じさせられる。
まあ、こればっかりは実際、こうはいかないんだろうけど。


戦争オタクが出てきたり、傭兵崩れが出てきたり、戦争に一家言持つ輩が現れたり、
と、細かい舞台装置が積み重ねられていくけど、
銃声はまったく響かないまま、戦争は終わりを告げる。
どこかに確実に死者は存在するけど、戦争の実感は感じられないまま。
数少ない実感は、潜入任務で夫婦として一緒に暮らした、地味メ美女との関係だけ。
見えない戦争の空恐ろしい感触と、美女への切ない想いを残して、小説は終わる。
どこかぎこちなさも残るけど、印象深い小説だった。
この小説を傑作とは呼べないけど、
少なくとも、この作家の次回作は読んでみたいな。
そう思わせる魅力が、そこかしこからあふれるような本だったと思う。