雫井脩介「火の粉 (幻冬舎文庫)」
「犯人に告ぐ」で週刊文春のミステリーベスト10、1位に輝き、まさに旬。
昨年秋くらいから長らく眠っていた文庫にようやく手を出した。
プロットがなかなかそそる。
冤罪事件の〝被害者〟武内が、無罪判決を下した元裁判官、梶間の隣家に越してくる。
どこか、何かがヘン…。過剰に親切を押し売りする武内。
次第にストーカーじみてくる武内の姿に、かつての判決への疑念が首をもたげる。
現実的ではないけど、けっこう怖い。
それに、無罪判決したのに結局被害に遭っちゃう当たり、一ひねりあっていいかも。
もちろん、冤罪とか死刑判決を取り扱い、何となく社会的なテーマも投げかけてる。
冒頭では、死刑判決の〝重さ〟に悩む、梶間の意見が紹介される。
この梶間、異常殺人事件の被告でもある武内に対しても、
死刑という決断に対しては慎重すぎるくらいの感覚で接する。
それはもちろん、冤罪という問題とリンクさせているからだったりするのだが、
結局は、その後、死刑判決確実な裁判を避けて退職しちゃったりする。
つまり、職責の重みに耐えきれないのだ。
だから、日本の刑法は加害者に甘すぎる、という意見にこう反論する。
「私は死刑廃止論社じゃありませんが、もっと増やせとも思わない。
死刑判決は裁判官にとっても重い決断です。それから冤罪の問題もあります。」
本来、冤罪の問題と刑罰の軽重は、切り離して考えるべき問題なはずだが、
この梶間はどうしても、その部分をリンクさせないと気が済まない。
その割に、
「現実問題、被害者が救われない社会になっているという指摘には、
頷く部分も多いわけですが、それは司法だけじゃなく社会全体の問題なんですね。
それと刑罰の問題は別に考えるべきだと思いますよ。」
社会が仇討ちを禁じている以上、被害者に代わっての制裁や、
次の被害者を出さないための社会づくりの一端を担っているのは司法だと思うんだけど…
こういう、一見社会的公正さを気取りながら、
実は自分への負担を避けることばかり考えている男は、
実際の問題が降りかかると、もうてんで役に立たない。
この小説の本当の怖さは、例の〝ストーカー〟武内が、
梶間の家庭に入り込んできて、梶間の妻や嫁に被害を及ぼすところ。
そこで梶間や、その息子が果たす役割は、
むしろ武内の思うがままに操られる、まさに木偶の坊だったりする。
まず、自分の母(いかにも、の鬼畜姑)の介護を、妻に任せっきりにして、
小姑みたいな姉(もちろん、介護は手伝わない)の横暴にも、一切口を出さない。
これだけで、この梶間という男に対する同情心は薄れ、
読者は奥さんが被害に遭わないことを祈るモードに入るのだが、
武内の標的は、その嫁さんとなる。
巧妙なわなを仕掛けられ、孤立していくお嫁さん。ホント、かわいそう。
そのダンナたる息子なんか、まったく役に立たない。
武内に違和感を感じるお嫁さんをバカよばわり。
揚げ句の果てに、いう言葉が
「お前、もう駄目だ」
「出てけ、まどか(娘…筆者注)も任せられないんじゃ、いる意味ないよ」。
おまえが出てけよ。
まず奥さんは子供世話係じゃないし、第一、おまえただのパラサイトだろ?
こんな感じで、梶間自身でなく、梶間の家族(それも女性)が追い込まれていくのが、
非常にこわさを際立たせる小説だったりする。
ついでに第二の悪役、姑と梶間の姉ともすごいけどね。
みんなの前で、遺産相続の話をうれしそうに話すんだが、
4,500万円ある財産のうち、介護全部を引き受けた梶間の奥さんに「3万円」と言い放つ。
あげたくなければ、奥さんだって別にいらないのに、
わざと〝3万円〟という値段をつけることで、侮蔑を加える。
ひゃあ、イヤらしい。ある意味、武内のストーキングを越える俗悪さが際立つ。
こんな悪意の〝火の粉〟を浴び、次第に追い詰められていく梶間が、
ようやく〝浮世離れした〟無責任な〝お公家さん根性〟を捨て、
現実に対峙する時、物語はクライマックスを迎える。
そして、迎える結末。何ともいえない後味を残す結末が待っている。
読み終えて、深いため息がもれる。
イヤな感じも残しつつ、ほっとする感触。いや、ホントこわい話だったな、と。