小川内初枝「けもの道」

mike-cat2004-11-12



高級金魚として知られる、らんちゅうの写真のカバーが目を引いた。
で、タイトルが「けもの道」。何だかよくわからない。
オビには「どんどん子供に還ってやる。だって、それが気持ちいいんだから。」
不思議だな、なんて思って手に取ってみた。


本は中編2本の構成。まずは表題作の「けもの道」。
父の連れ子で兄の俊雄、母の連れ子で2つ年下の妹、多磨美。
子供の頃からの恋人でもあり、腐れ縁の二人。
倦怠感たっぷりの関係がだらだらと続いている。
そんな毎日に変化をもたらすべく、大阪から和歌山の温泉へドライブに出かける二人。
これまでの二人の軌跡のフラッシュバックを交えながら、だれた旅は続いていく。


なるほど、〝けもの道〟ということですか。
小説の世界なんで、いいんでしょう。第一、血もつながっていないし。
確かに、二人の関係がついに両親にばれた時、
家族は崩壊するのだが、それでも二人はあんまり気にしていたりしない。
「もし仮に、私たちが本当に血の繋がった兄妹なら、それはそれで、
 禁忌の蜜の味がするのかもしれない。だが、そうではないからこそ、
 私たちの間には、倦怠も馴れ合いも生まれている。
 私たちはごく普通のカップルなのだ。」。そうね、僕もそう思うかも。


それよりも、気になるのはこの敏雄のダメっぷりだ。
旅行をせがむと、突然予約を取ってくるのがひたすらしょぼい温泉。
まさに温泉の素入れました、みたいなお湯でもぜんぜん平気なのだ。
途中の食堂では、釜飯の素を使ったとしか思えない釜飯に舌鼓を打つ。
兄妹の情事がばれ、母に妹が追い出されるのを見ても、別に助けない。
ああ、ダメなヤツ。なんだが、多磨美は不思議と怒るでもない。
「敏雄は流されているようでいて、
 その実、とうとうとたゆたっている大河のようなものなのだ」。そうですか…
「敏雄のいる風景が私の居場所」という感覚は素敵だけど、
このオトコはやめたほうがいいんじゃ、なんて思いながら、笑って読んでいた。


物語は終盤、山の中の「けもの道」から迷い出た場面でクライマックスを迎える。
多磨美の取った行動が、敏雄の愛情(と劣情)を再びかき立てる。
ま、決して声を大にしてロマンチック、とはいえない。
だが、不思議とキュンとくる。いいんだろか、ちょっと倒錯の世界。
だけど、いい。何がいい、のか具体的にはどうにも表現しがたい。
だが、忘れ得ぬ物語、そんな気がする小説だった。


もう1本は「二十年の電話」。
母の友人でありながら、母の憧れの人でもある安田。
不仲の父を放り出し、娘の涼子を連れて、安田と会う母。
しかし、いつしか3人の関係は変化し、気付けば安田と関係を持ってしまう涼子。
母を介在し、爛れた関係を続ける二人に、ある日変化が訪れる。


なるほど、こちらも〝けもの道〟っぽいかも。
もともと、涼子にとって安田は何とも思っていないオトコだ。
しかし、安田はしつこくつきまとい、
涼子は次第にあきらめるように体を許すようになる。
しかし、涼子は決して、何もなしに安田と体を重ねることはない。
必ず、母に電話をさせる。安田と母の電話の様子を眺めながら、服を脱ぐ。
そう、二人の関係には、必ず母の存在はなぜか不可欠なのだ。


これも倒錯してるな、まったく、と思う。
むしろ、「けもの道」よりも、けものっぽい?
さらにまた、この安田のしょぼさも、何だかかなりトホホ、って感じ。
だが、このトホホ感が不思議と倒錯感に拍車をかける。
つくづく人間の欲望って、複雑なもんだな、と感心してしまった。


胸を張ってお勧めするには、かなり微妙な一冊。
しかし、2編ともその余韻は、かなり深い。
何だかな、と思いつつ気になる、おもしろい本だった、とは思う。
しかし、ついていけない人も多そう。正直、間口の狭いのかも知れない。
別に、僕が受容度の高い人間とは、全然思わないんだけどね。