両国で「亀戸餃子」

本店は10コ500円、両国店は5コ2



前日は、渋谷のブラッセリーVIRONで、
http://allabout.co.jp/gourmet/bread/closeup/CU20030710/
野ウサギやアイナメ、舞豚などをいただいたので、今夜はB級グルメで決めにいく。
千葉方面から戻ることもあって、気持ちはもう、亀戸餃子一本だった。
http://gourmet.yahoo.co.jp/gourmet/restaurant/Kanto/Tokyo/guide/0304/M0013001869.html


しかし、亀戸の本店には過去、休業日や売り切れにて敗退した、苦い記憶がある。
餃子モードの気持ちをくじけさせると、僕ったらかわいそう、と、
自分かわいさを尊重し、最初から両国の支店に向かう。


支店には、ラーメンだのタンメンだの、チャーシューだの、豊富なメニューが揃っている。
もちろん、「俺はギョーザ以外、一切口にする気はないぜ」という向きには、
ご不満も残ろうが、僕的には全然OK。
だって、ギョーザおいしければいいんじゃないかな、と。
もちろん、メニューは餃子のみで勝負するお店は、
餃子の味を追求するため、というテーマはあるんだろうけど、
そこまで複雑な作業を要する料理じゃないから、あんまり頑固にやりすぎなくてもねぇ…
ただ、ここの場合、本店と支店でスタンスが違うのは、なかなか興味深いかも。


そんなご託は抜きにして、まずは餃子を軽くいただく。
酢漬けのキューリなんかも一緒にいただくと、モア・ベターよ byおばちゃま。かなり古いな…
野菜中心のジューシーな餡、パリパリとむちむちのコントラストが光る皮。
やっぱり、餃子っていいなあ、とあらためて感動する。
それでいて、このお店のよさは、〝普段着〟のおいしさだと思う。
たぶん、純粋に味だけ追求していけば、もっと材料費をかけて違う形でも作れるとは思うけど、
〝一皿5コ250円〟でこの味を提供し続けることにこそ、
人生の真実があるのかな、と。何だ、人生の真実って。


中国では餃子って、元来お祝いの席とかで食べる特別な料理と聞いたけど、
(ちなみに天津では、異常な安さで異常なほど山盛りに出され、往生した記憶が…)
日本では、やはり庶民の味。
一庶民として、この味、このありがたみがわからなくなったら、おしまいだな、と思ったりもする。


ちなみに、バラエティ餃子の新宿「百餃園」には先日行ったけど、ここには人生の真実はなかった。
いや、僕的には、ね。あくまで。
http://www.elle.co.jp/atable/data/rguide/show.php?id=274
(↑ このELLEのサイトでハズレはけっこう珍しいんだけど)
とにかく、ふつうの餃子からして高い。(一番シンプルなので、10コ630円とか…)
これでおいしければ、それはひとつのチョイスにもなりうるけど、これがおいしくない。


餡は肉っぽさが目立ち、野菜とのバランスが取れていないし、皮は油っぽく、焼きムラ多し。
何しろ、ハネつき、を誇っているクセに、このハネがパリパリしていない。
比較的コアタイムで、混み合っていた、というのは言い訳にならない。
日本では基本となる焼き餃子がこれだから、ほかはいわずとしれたもの。
ちなみに、スープ餃子には餃子1コですぜ、おっかさん!
おいら、こんなにミジメな思い、生まれてから一度もないっすよ。
感情的になってきたので、少し冷静に。
でも、接客についても疑問符がつくお店なので、もし行かれるなら、覚悟して行ってください。


で、亀戸餃子に戻る。
ひたすら餃子、餃子もよかったけど、野菜炒めとか、塩ラーメンも食べちゃう。
塩ラーメンは、まあ普通。しかし、名物でも何でもないんで、しょうがないかな。
野菜炒めはシャキシャキしていて、いかにも中華料理屋さんの味って感じ。
この油通し感と、強火でシャッキリが、なかなか家庭では出せない。
というか、これを家庭でやると台所のお掃除がムチャクチャたるいんで、いいんだけど。


最後のギョーザを頬張り、うっとりしながら咀嚼する。
ふと見回すと、19時すぎに入店した時は、空いていた店内が、満杯に近くなっていた。
もともと、空いているお店に入ると、後から混み始めるのはちょっと自慢。
「ふふふ、またもお客を呼んでしまったぜ」と、食後の満足感に、自己満足も加えてみる。
ただ単に入店時間が早かっただけ、ということは、とりあえず考慮に入れない。
こういう自分勝手な思考回路が、幸せの秘訣。
でも、いいの。ギョーザがおいしかったことこそが、大事なことだから。