荻原浩の新刊「明日の記憶」

光文社刊 1500円



前作「僕たちの戦争」から二カ月ちょっと。
けっこうハイピッチな刊行ペースだ。ノッてるというコトなんだろう。


50歳を迎えた中堅広告会社の広告部長、佐伯。
ひとり娘の結婚を翌年に控えた、花嫁の父でもある。
きっかけは、ある日の制作会議。ディカプリオの名前が思い出せない。
その日を境に、人生が少しずつ消えていくのだった。
オビには「人ごとだと思っていたことが、我が身に起こってしまった」
〝人ごと〟。それは若年性アルツハイマーだ。
前作の戦争に続いて、重たいテーマを取り上げ、独特の軽妙なタッチで描いてみせる。
ううむ、すごいチャレンジャースピリットかも。


で、きょうは結論から書く。
読んでて辛いし、さまざまな問題を内包しているけど、
読み終わった瞬間かなりホロッときた。すごいかもしれない。
この題材で、これだけ読ませるストーリー展開。
それも、悲しみだけに終わらせていない。
もちろん、患者自身の苦しみを一人称で語る小説なので、
本当に苦しむ家族たちの心情は、患者自身が知り得る範囲でしかない。
だからこそ、〝地獄のような思い〟はさほど前面に出ていないのだが。
ただ、そうした瑕疵にも思える部分は、作者の一番伝えたい部分とは別なのだろう。
追い詰められた主人公が、ある意味で苦しみを乗り越えていくところは、心を打つ。


もちろん、患者本人の絶望感とか、苦しみは読む者の心をガタガタと揺れ動かす。
怖い。かなり怖い。
自分にも起こりうる事態だけに、ヘタなホラーなんか比べものにならない怖さだ。
まさに身につまされる。というところか。
心して読まないと、立ち直れなくなりそうだ。


物忘れが極端にひどくなった佐伯は、
メモを取り続けることで事態を収拾しようと試みる。
メメント」でもガイ・ピアース演じる主人公がやってたな。
あっちは入れ墨も込みだったけど。
未整理のメモでポケットを膨らませた佐伯の言葉が痛々しい。
「怖かったのだ。記憶を失ってしまうのが。
記憶の死は、肉体の死より具体的な恐怖だった」。


これ以外にも、印象的なシーンはめじろ押しだ。
夫の奇跡的回復を願って、念珠に手を出す妻の枝実子と、口論になる場面。
毎晩、夫の帰宅を待って夕食をともにする枝実子に、
佐伯が、毎晩待たなくてもいい旨を告げる。
激情し、夫に詰め寄る妻の言葉に、ふと気付く。
「一緒にいられる時間がたくさん残されているわけじゃない」。
寿命にかかわらず、すべての記憶が失われていけば、妻の顔さえわからなくなるのだ。


最後の心の支えは、娘、梨恵の結婚式だ。
できちゃった結婚なので、まだ見ぬ孫への思いも、佐伯を支える。
だが、病気の進行は患者の事情には構ってくれない。
その苦闘ぶりには、ひたすら涙、という感じだ。
一人称でのシニカルな語りも、次第にものがなしさを膨らましていく。
備忘録としてつけていた日記は、
次第に「アルジャーノンに花束を」の終盤のような色合いを強めていく。
耐えられるのか。いや、耐えなければいけないのかも知れない。
そこに描かれているのは、現実に、目の前に突きつけられかねない問題なのだ。
それどころか、実際にこうした問題を抱えている人間は、
この描写ですら「甘い」と一蹴する可能性もあるだろう。


それでも、読み終えた時にともる、一縷の希望。
感傷的に過ぎるかもしれないし、現実は想像を超える厳しさだろう。
だが、その希望を信じたくなる、せめてこうなりたい…。
そんな思いを抱かせ、小説は終わりを告げる。
「興味深い」という表現が不穏当であることは承知の上だが、あえていいたい。
生きること、とか、死ぬことにまで考えさせられる「興味深い」小説だった。