荻原浩の新刊「明日の記憶」
前作「僕たちの戦争」から二カ月ちょっと。
けっこうハイピッチな刊行ペースだ。ノッてるというコトなんだろう。
50歳を迎えた中堅広告会社の広告部長、佐伯。
ひとり娘の結婚を翌年に控えた、花嫁の父でもある。
きっかけは、ある日の制作会議。ディカプリオの名前が思い出せない。
その日を境に、人生が少しずつ消えていくのだった。
オビには「人ごとだと思っていたことが、我が身に起こってしまった」
〝人ごと〟。それは若年性アルツハイマーだ。
前作の戦争に続いて、重たいテーマを取り上げ、独特の軽妙なタッチで描いてみせる。
ううむ、すごいチャレンジャースピリットかも。
で、きょうは結論から書く。
読んでて辛いし、さまざまな問題を内包しているけど、
読み終わった瞬間かなりホロッときた。すごいかもしれない。
この題材で、これだけ読ませるストーリー展開。
それも、悲しみだけに終わらせていない。
もちろん、患者自身の苦しみを一人称で語る小説なので、
本当に苦しむ家族たちの心情は、患者自身が知り得る範囲でしかない。
だからこそ、〝地獄のような思い〟はさほど前面に出ていないのだが。
ただ、そうした瑕疵にも思える部分は、作者の一番伝えたい部分とは別なのだろう。
追い詰められた主人公が、ある意味で苦しみを乗り越えていくところは、心を打つ。
もちろん、患者本人の絶望感とか、苦しみは読む者の心をガタガタと揺れ動かす。
怖い。かなり怖い。
自分にも起こりうる事態だけに、ヘタなホラーなんか比べものにならない怖さだ。
まさに身につまされる。というところか。
心して読まないと、立ち直れなくなりそうだ。
物忘れが極端にひどくなった佐伯は、
メモを取り続けることで事態を収拾しようと試みる。
「メメント」でもガイ・ピアース演じる主人公がやってたな。
あっちは入れ墨も込みだったけど。
未整理のメモでポケットを膨らませた佐伯の言葉が痛々しい。
「怖かったのだ。記憶を失ってしまうのが。
記憶の死は、肉体の死より具体的な恐怖だった」。
これ以外にも、印象的なシーンはめじろ押しだ。
夫の奇跡的回復を願って、念珠に手を出す妻の枝実子と、口論になる場面。
毎晩、夫の帰宅を待って夕食をともにする枝実子に、
佐伯が、毎晩待たなくてもいい旨を告げる。
激情し、夫に詰め寄る妻の言葉に、ふと気付く。
「一緒にいられる時間がたくさん残されているわけじゃない」。
寿命にかかわらず、すべての記憶が失われていけば、妻の顔さえわからなくなるのだ。
最後の心の支えは、娘、梨恵の結婚式だ。
できちゃった結婚なので、まだ見ぬ孫への思いも、佐伯を支える。
だが、病気の進行は患者の事情には構ってくれない。
その苦闘ぶりには、ひたすら涙、という感じだ。
一人称でのシニカルな語りも、次第にものがなしさを膨らましていく。
備忘録としてつけていた日記は、
次第に「アルジャーノンに花束を」の終盤のような色合いを強めていく。
耐えられるのか。いや、耐えなければいけないのかも知れない。
そこに描かれているのは、現実に、目の前に突きつけられかねない問題なのだ。
それどころか、実際にこうした問題を抱えている人間は、
この描写ですら「甘い」と一蹴する可能性もあるだろう。
それでも、読み終えた時にともる、一縷の希望。
感傷的に過ぎるかもしれないし、現実は想像を超える厳しさだろう。
だが、その希望を信じたくなる、せめてこうなりたい…。
そんな思いを抱かせ、小説は終わりを告げる。
「興味深い」という表現が不穏当であることは承知の上だが、あえていいたい。
生きること、とか、死ぬことにまで考えさせられる「興味深い」小説だった。