アルフレッド・ベスター「願い星、叶い星 (奇想コレクション)」

河出書房新社刊。りさタンだけの出版社



大好きな奇想コレクションの第5回配本。
SF読者としては落ちこぼれな僕も、この短編集の企画は魅力的だった。
それも最初がダン・シモンズとあっては、もうノータイムで購入、
その後の3冊いずれも、本屋に並ぶと同時に購入していた。
シオドア・スタージョンの「不思議のひと触れ (シリーズ 奇想コレクション)」こそ、
いまいち嗜好にマッチしなかったけど、ダン・シモンズ夜更けのエントロピー (奇想コレクション)」、
テリー・ビッスンふたりジャネット (奇想コレクション)エドモンド・ハミルトンフェッセンデンの宇宙 (全集・シリーズ奇想コレクション)」と、どれもお気に入り。
夜更けのエントロピー (奇想コレクション) ふたりジャネット (奇想コレクション) フェッセンデンの宇宙 (全集・シリーズ奇想コレクション)
前回の「フェッセンデン〜」からやや時間が空いたけど、
ものすごい期待を持って待っていた。


アルフレッド・ベスターは、50年代から70年代に活躍した作家とか。
なるほど、冷戦時代の核兵器への恐怖感なんかは、すごくにじみ出ている。
「イヴのいないアダム」「昔を今になすよしもがな」なんて、
終末世界の最後の1人(ないし2人)、がテーマだ。
「イヴ〜」は、危険な発明品で図らずも世界を滅亡に追いやった男の話。
回想と妄想がごったまぜになった、男の精神状態の描写がなかなか読ませる。
「昔を今に〜」は、マンハッタンで生き延びた最後の1人が、
かつての生活を追い求める姿が、何ともいえない哀れを誘う。
テーマとしては、編訳者あとがきにもあるように、
著者はかなり確信犯的に扱っている古典ネタ。だが、だからこそセンスが問われる。
僕には多少難解だったけど、ふむふむの作品だったんじゃないだろか。


印象的なのはタイムトラヴェルものの「時と三番街と」。
50年代の世界に、手違いで紛れ込んだ90年版の世界年鑑をめぐって、
取り戻そうとする未来から来た人と、50年代のカップルの会話劇だ。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 [DVD]」のネタですな。
ギャンブルに、株に、土地に、もう儲かっちゃってしょうがない、というやつ。
ま、これもネタとしてはそんな奇抜じゃないけど、思わずにやりとするオチが光る。


そういえば、一連の作品は、
藤子・F・不二雄の〝すこし(S)不思議(F)〟テイストと共通点が多い。
ミノタウロスの皿: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 1 (1) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)」とか「箱船はいっぱい: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 3 (3) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)」など。
発想、着眼点の鋭さだけでで終わらず、もうひとひねりの感覚を加える。
だから、現実世界で常識と思えることが、何となく不思議に感じてくる。
自分の目で見えていること、アタマで常識と考えていることが、
必ずしもその通りではないんじゃないか、なんて想像を楽しめる。


僕もよく、色とか形とか、人間の知覚ではそう感じているものでも、
昆虫だったり、動物だったりの知覚では懸け離れたものであったり、
例えば、ほかの星の生命体の知覚ではもう全然違うものであったり。
〝真実〟とか、〝本当〟とかは、知覚する主体の数だけ種類があるものだけど、
何が〝本当〟か、とかいう議論を、あらためて頭の中で始めたくなったりもする。


あ、何だか文章がムチャクチャになってきた。
知恵熱出るから、このへんで、きょうの本に戻る。
中編の「地獄は永遠に」とかは僕にはやや難解だし、
表題作「願い星、叶い星」は、オチへ至る経緯がちょっと物足りない感あり。
でも、ワクワクさせてくれる小説であることは、間違いない。
「願い星〜」も途中までは、先が見えない感覚がとても楽しいし。
ただ、「そうか、願い星…」という部分は見解が分かれるんじゃないか、とは思う。
ちょっと疲れも残る読書になったが、満足感は十分。


で、次回は、と巻末をのぞく。
しかし、次回配本は苦手のシオドア・スタージョン
実は訳者の大森望さんの訳は、どれも個人的に苦手だったりする。

犬は勘定に入れません」も、非常に面白かったけど、難解さも感じた。
たぶん、SF的には非常に正しい文法と、言葉遣いで書かれているんだとは理解できるが、
何となく、ね。読みにくく感じたりしてしまう。
ここらへん、SF読者としての劣等生ぶりを、われながら感じてしまうわけだ。
願い星さん、まずはとりあえず僕を優秀なSF読者にしてくれないかしら、ね。