山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな (河出文庫)」白岩玄「野ブタ。をプロデュース」

連載コラムもなかなか♪



第41回文藝賞受賞作掲載の「文藝 2014年冬季号」。
表紙、俵万智
微妙だな、どうしてもあのブームの頃の悪いイメージが抜けない。
短歌そのものに、あまり縁がないのもあるけど、
俵万智の短歌、いくつか読んでみたけど「ふうん」以上のものが感じられない。
それでいて、「サラダ記念日」の〝あの時代〟のアイドルまがいの扱い。
先入観ってわかっているけど、どうしても食わず嫌いは直りそうにない。
以上、書店の店員さんに「この人、俵万智ファンなのかしら?」
と思われたんじゃないか、という自意識過剰の妄想から、暴走してみました。


で、本題は受賞作。
まずは山崎ナオコーラ人のセックスを笑うな」だ。
ナオコーラって、何なんだよ、とまず思うんだが、特に説明なし。
その上、笑うな、って何なんだ。見てないからわかんないよ。
っていうか、基本的に見る機会ないし。
そんなに笑えるなら見てみたい気もするが。


ああ、小説の内容。21歳の美術系専門学校生の「磯貝みるめ」と、
20歳歳上のユリとのゆるやかな恋が、淡々と描かれる。
「これが恋なのかも、もはやわからなかった。
ただ、身近にいる人に優しさを注ぎたい気分なのかも知れない」
どんな風に好きなのか、いつ始まって、いつ終わったのか…
何となくぼんやりとして、でも失ってみるとぽっかり穴があく。


女性作家なのだが、感情描写はむしろ、微妙に若いオトコっぽい。
オトコとオンナの温度差みたいなのも、ふわふわとした感じで描かれている。
「オレはセックスが下手、人付き合いも下手〜
ユリが楽しいだろうか、飽きていないだろうか、と気にすることをやめられない」
そんな、みるめ(しかし、この名前も何だよな…)にユリがいう。
「自分が楽しければ、相手も楽しいと信じること。絵と同じ」。
なかなか、含蓄のあるお言葉で。ふむふむ、ひとつの真理だな、と。


いつごろから恋が終わっていたのか、もうわからなくなった今、
みるめは、気持ちを整理するために日記を書く。
あふれる涙を、文字の上に落とし、にじましてみたりする。
イメージは何となく、だけど、すごい強さで伝わってくる感じがある。
「涙は快か不快かで言うと、快だ」。ここもすごくいい。
実際、涙はストレス性物質を洗い流す効果があるらしい、とか書くのは、
ロマンぶちこわしなので、やめましょう。
とかいいながら、平気で書く。こういうのを無神経というのだろうが、それは余談。


ストーリーそのものは、比較的つかみどころのない話ではあったけど、
読んでいて心地よい話だった。
もちろん、どこが〝セックスを笑うな〟なのかは、
わかったような、わからないような。ま、いいんですけどね。


もう1本の受賞作は白岩玄野ブタ。をプロデュース」。
著者は21歳、専門学校生。けっこう人気出るのかな?
オトコ版〝りさタン〟って感じで。
しかし、いきなり「辻ちゃん加護ちゃんが卒業らしい」と書き出す当たり、
いかにも、この年代って感じだ。先入観?
出てくる固有名詞がけっこう微妙な感はあり。
ものすごく、時代限定小説になっちゃうんじゃないの? とか勝手に不安になる。
平気で、普通の会話文に(笑)が入ってるのはさすがにどうかと思うが。


主人公は高校生だ。
明るくさわやかなクラスの人気者〝桐谷修二〟の着ぐるみをかぶった〝俺〟。
ともだちを演じるべく、作った人格を演じ、日々の暮らしをやりすごす。
友人との付き合いをバカバカしい、と感じながら、孤高を保つ他人には厳しい目を向ける。
ある日、クラスにデブでイケてない編入生、小谷信太(シンタ)が現れる。
さっそくクラス中からイジメに遭う信太を、
ひょんなことから、俺は「野ブタ。」として人気者に仕立てるプロデュースを試みる。


土台となる話はけっこう普遍的だ。
それに人間の二面性をテイストとして加える。これでもけっこう普通。
文章はすごくなじみやすい。というか、本読まない人向けっぽいかも。
だけど、この小説、
〝俺〟と〝野ブタ〟のプロデュースの切ない感が、独特の味わいを持っている。
評論家の斎藤美奈子さんの評では「笑える」とあるけど、
僕は読んでて、けっこう〝痛かった感〟の方が強かった。


人は誰しも何らかの人格を演じたり、取り繕ったりするもんだけど、
俺の〝着ぐるみ〟は、日常生活を円滑に過ごすというより、
自分を守る殻にしか見えてこない。
その殻に対する、セルフパロディともいえる、野ブタのプロデュース。
でも、その皮肉に気付くばかりか、〝着ぐるみ〟への過信は強まる。
一方で、〝着ぐるみ〟の恋人役として、マリコという少女が登場するが、
マリコへの想いを、着ぐるみに封じ込めようとして、揺れてみたりもする。
なぜ、お前、素直にならん! と思うのは、僕が歳取った証拠かしらん。


生身の自分だけで生きていたら、
自らを削りながら生きていかなきゃいけないくらい、世の中って過酷?
まあ、過酷かも知れないけど、この小説の〝修二〟を見ていると、
何だか寂しい気持ちにもなってくる。
でも、実際そんな気持ちを抱いてる人も少なくないのかも。
本になったら、オビに
「僕も共感しました」(19歳)とかいう戯れ言が印刷してあったりして…
あんまり共感して欲しくないんだけど。