小池昌代「タタド」

mike-cat2007-09-20



「あとでまた、交代しましょう」
「ええ、そうしましょう」
アレックス・カッツ〝Beach House〟の、
表紙も印象的な川端康成文学賞受賞作。
〝海辺の家に集まった男女四人。
 倦怠と甘やかな視線が交差して、
 やがて朝がくると、その関係は一気に「決壊」する――。〟
受賞作「タタド」と、同じく「新潮」掲載の、
「波を待って」「45文字」との3編を収録した短編集。


迂闊なことに、この小池昌代の小説は初めてなのだが、
これはいい、とんでもなく、いい。グッとこころをわしづかみされる。
表題作「タタド」は、爛熟と枯寂の微妙なラインをたゆたう、
不思議な浮遊感に密かな悪意と企み、そして関係の「決壊」が沁みる一遍。


地方テレビのプロデューサー、イワモトのビーチハウスに集った、50代の男女4人。
イワモトと、その二十年連れ添った妻スズコ、
イワモトが製作する番組に出演する女優タマヨ、
そして、スズコとかつて同じ会社に務めていたオカダ。
海辺で海藻を拾い、庭に実る夏ミカンを貪り…
何とはなしな一日を送った四人がたどる、「決壊」への道筋。


ストーリーはなかなかつかみどころがない印象。
だが、そこに散りばめられた、珠玉の描写に思わずのめり込む。
冒頭、ヒゲのそり跡に女性用の化粧水をはたく、
イワモトの描写からして、何ともいえない味わいを醸し出す。
〝自分の頬を掌で包むと気持ちが安らいだ。
 最近、女に自分の頬を、やさしく包み込んでもらうようなことがない。
 まるで昔はあったような言い草だが、さかのぼったところで思い当たらない。
 誰かの頬を包み込んでやったことがあるかといえば、それも記憶がまるでない。〟


不穏さと倦怠感、そして密やかな情熱を胸に、不思議な夜は流れていく。
そして、迎える「決壊」の朝。
タマヨが、誰に言うでもなくおごそかに言う
「あとでまた、交代しましょう」
スズコが答える。
「ええ、そうしましょう」
〝始まった以上、それは止められない。
 終わりが始まっているのかもしれなかった。〟
その情景は、読む者のこころに、忘れられない余韻を残す。


「波を待って」は、
50代半ばで突然サーフィンに目覚めた夫を、海辺で待つ妻、亜子の物語。
〝海辺に来ると、浸食される。
 自分をどんなに守ったところで、風、砂、水、光は、容赦がない。
 まみれて海と一体になるしかないのだが、
 この一体となるという経験が、亜子の暮らす東京ではめったになく、
 東京で、亜子は自分自身も細分化されたパーツのひとつとして、
 誰とも混ざり合わず、汚れることもなく、みぎれいな単体として浮遊していた。〟
海辺を?法廷や刑場にも似た空間?に感じる、亜子のこころと、
その海に魅せられる夫への、ないまぜとなった不安感と期待感がいい。


「45文字」も印象的な一編だ。
街で偶然再会した中学時代の級友横山に誘われ、
その級友宅で突如住み込みの編集仕事を始めた緒方。
そこには、忘れられない思い出に登場するサクラダの姿もあった―


補欠として臨んだ中学校の陸上の大会。
〝「控える」ということばを、からだじゅうで生きたのは、あのときの一日だけだ。〟
その忘れ得ぬ一日を象徴するような、
サクラダの「お尻を、あたためているのね」のひと言が頭をよぎる。
それこそが、予想だにしない再会の前奏曲となる。
「会うって、容易なことじゃないわね。
 一度会ってから、もう一度会う、
 つまり二度会うと、その会うには意味が生じるのよ」


そんな意味ある〝会う〟で、緒方たちが取り組む仕事がまた深い。
フェルメールゴーギャンゴッホによる名画に、
わずか45文字だけのキャプションをつける仕事である。
あのフェルメールの代表作のひとつ、「牛乳を注ぐ女」に捧げる45文字もさることながら、
そんな45文字の世界が、サクラダとの関係にも及んでくるのがまた楽しい。
再び走り出したサクラダの背中に向かって、
思わずキャプションをつける緒方の姿から、何とも言えない感動が伝わってくる。


受賞作だけでなく、どの作品もとことん味わい深い3編。
小池昌代、いまさらだがちょっと読み進めなければいけない作家のようだ。
まずは「感光生活」か「裁縫師」だろうか。
これからのお楽しみが、また増えてしまった。


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