シネマート心斎橋で「ショートバス」

mike-cat2007-09-06



〝そこは愛が優しく交わる場所〟
あの魂の名作「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の、
ジョン・キャメロン・ミッチェルが贈る、愛とセックスの最新作。
9・11以後のNY、アンダーグラウンドを舞台に、
満たされない人々が集まるブルックリンのサロンでの、
さまざまなドラマと、セックスとセックスとセックスを描く。


NY―、
ジェイムズとジェイミーの2人は、新しい関係の在り方を模索していた。
恋愛セラピストのソフィアは、達したことがないオーガズムを渇望していた。
SMの女王様セヴェリンは、人とのつながりを持てない自分に悩んでいた。
そんな彼ら、彼女らが、満たされない想いを抱え、集まるのは、
ブルックリンにあるアンダーグラウンドのサロン「ショートバス」。
そこは、人々が思い思いにセックスに耽り、想いを馳せる、自由な場所だった。


何だか、ハッピーな映画である。
やたらとボカシまみれで、セックスまみれだが、
不思議なくらいに扇情的なポルノっぽさは皆無な、カラッとしたコメディだ。
「ヘドウィグ〜」のあの美しさ、哀しさ、そして魂の叫びとは大きく違い、
ジーンとこころに迫ってくるというよりは、観て楽しい気分にさせてくれる。


セルフ××××とか、3人××とか…
一番の話題となっているのはセックスシーンなのだが、
ミッチェルによれば、この映画に登場するセックスは、
人とのつながりやふれ合い、愛や不安といった普遍的なテーマのメタファーだとか。
ブッシュ政権下で幅を利かすキリスト教保守派の反動的なセックス観に対し、
エイズの時代でもう一度、セクシャリティの重要性を問いかける意味もある。
エキストラ(EXTRA)ならぬセクストラ(SEXTRA)による、
ふんだんなセックスシーンの数々は、そんなメッセージを内包している。


だからこそ、やたらと入ってくるボカシが一番いやらしく感じるのも確かだ。
別にゲイでもないので、男のそれを大写しにされてうれしいわけではないし、
一番ふんだんに性器露出のあるリー・スックインのそれは、あまり見たくない。
だからといって、こういう形で作品の主題を無視して、
無粋なボカシを入れる人間がどれだけ歪んでいるかがかえってよくわかる。


脚本そのものの全体的な構成については、やや微妙な点も残る。
ジェイムズを演じるポール・ドーソンの美しさや、
紙細工で作ったような、NYの3Dアニメが最高にキュートなおかげで、
退屈しそうな部分でも保たせている点は否定できないだろう。
とはいえ、ゲイによるストレート差別も特にないし、
訴えかけているメッセージに好感が持てるので、嫌いにはなれない。
もう一度、さらにいろいろと考えながら観てもいいな、と思える1本だった。