テアトル梅田で「ファウンテン 永遠につづく愛」

mike-cat2007-07-20



〝何度生まれ変わっても
 僕は君を失う運命なのか。〟
「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」の鬼才、
ダーレン・アロノフスキーが贈る、愛と生命を描くファンタジー
製作時のゴタゴタの噂も伝わった、6年ぶりの最新作である。
主演は「X-メン」「プレステージ」ヒュー・ジャックマンと、
「ハムナプトラ」「ナイロビの蜂」レイチェル・ワイズ


新薬の研究に携わるトム・クレオは、もがき苦しんでいた。
脳腫瘍に冒され、死を目前にする妻イジーのため、
特効薬の発見に躍起になるトムだったが、病の進行に研究がついていかない。
皮肉なことに、死を受け入れ、最期の時間をともに過ごしたい、
と願うイジーとも、すれ違いの生活が続いていた。
焦るトムにイジーは、自らが書いた物語を手渡す。
それは、創世記に描かれる「生命の木」を探す、中世の騎士の物語だった―


業界用語で言うと「意欲作」ということになるのだろうか。
命の根源、そして永遠の愛を描くアロノフスキーの意図は、
あまりに宗教的というか、独創的というか、それとも難解というのか…
死後の世界や、精神世界をファンタジックに描いた作品は、
過去にも「奇蹟の輝き」「コンタクト」などなど、
やらかしてしまった作品は少なくないが、この作品も相当に〝やらかして〟しまっている。


もちろん、伝えようとするメッセージは、悪くない。
腫瘍に冒された妻を救うため、新薬開発に奔走する研究者トム・クレオ
そして、病床のイジーが書いた物語「ファウンテン」に登場する、
レコンキスタの時代、スペイン女王のために「生命の木」を追い求める騎士トマス、
その「生命の木」にまつわるマヤの伝説に描かれる偉大なる父トミー…
ヒュー・ジャックマンが演じる3人のトム(トミー、トマス)は、
愛する人を救おうと、永遠の命を追い求めるが、
その狂おしいほどの情熱のあまり、進むべき道を見失っていく。


中でも現代を舞台にした、トムの苦悩と葛藤は、哀切極まる。
妻を救いたい気持ちが募るあまり、その妻のメッセージが伝わらない。
危険な綱渡りを繰り返し、苛立ちのままに暴走するトム。
死を運命として享受するイジーと、
運命を変えようとするトムの擦れ違いは、あまりに悲しく、観るものの胸を突き刺す。
3つの世界で、苦闘を続けるトムが、
ジーの信じる永遠の愛を理解し、心の平安にたどり着けるか、はひとつの見どころである。


しかし、なのだ。
そうしたメッセージを伝えるのに、この構成、この映像はあまりに奇抜すぎる。
特に「生命の木」とともに、死後の世界を旅するトミーのパートは、
美しいビジュアルこそ目を見張るが、本質は丹波哲郎大霊界も顔負けのトンデモ世界。
それが、何度となく同じ場面を繰り返しながら、
現実世界と中世の世界をつなぐという展開なのである。
まさにアロノフスキーの脳内世界を軽〜く通り越し、
妄想のそのまた向こうを見せられるような、そんな世界を見せられた気分だ。


もちろん、もともとのメッセージそのものには、
きっちりと一本スジが通っているから、それもわからなくはない。
わからなくはないんだが、辻褄を合わせようと考えたりし始めたら、もうダメだ。
考えれば考えるほど、結局何が言いたいのかすら、まったくわからなくなる。
そして、そのトンデモぶりは、
ヒュー・ジャックマンレイチェル・ワイズの好演をもってしても払拭はできない。
その美しく、切ない2人の姿をもってしても、なのである。


製作をめぐっては、だいぶ難航したとの記事も目にした。
こうして、実際に観てみると、そりゃそうだろうな…、というのが正直なところ。
アロノフスキーの過去2作に魅了されたものですら、
この作品には、思わず「???」とならざるを得ないだろう。
願わくば、この「ファウンテン」が、アロノフスキーにとっての、
「天国の門」「キング・オブ・コメディ」
「フック」にならないことを祈るばかり。
そして、マット・デイモンマーク・ウォールバーグが主演する次回作、「The Fighter」が〝復活作〟になることも、である。