テアトル梅田で「ファウンテン 永遠につづく愛」
〝何度生まれ変わっても
僕は君を失う運命なのか。〟
「π」「レクイエム・フォー・ドリーム」の鬼才、
ダーレン・アロノフスキーが贈る、愛と生命を描くファンタジー。
製作時のゴタゴタの噂も伝わった、6年ぶりの最新作である。
主演は「X-メン」、「プレステージ」のヒュー・ジャックマンと、
「ハムナプトラ」、「ナイロビの蜂」のレイチェル・ワイズ。
新薬の研究に携わるトム・クレオは、もがき苦しんでいた。
脳腫瘍に冒され、死を目前にする妻イジーのため、
特効薬の発見に躍起になるトムだったが、病の進行に研究がついていかない。
皮肉なことに、死を受け入れ、最期の時間をともに過ごしたい、
と願うイジーとも、すれ違いの生活が続いていた。
焦るトムにイジーは、自らが書いた物語を手渡す。
それは、創世記に描かれる「生命の木」を探す、中世の騎士の物語だった―
業界用語で言うと「意欲作」ということになるのだろうか。
命の根源、そして永遠の愛を描くアロノフスキーの意図は、
あまりに宗教的というか、独創的というか、それとも難解というのか…
死後の世界や、精神世界をファンタジックに描いた作品は、
過去にも「奇蹟の輝き」や「コンタクト」などなど、
やらかしてしまった作品は少なくないが、この作品も相当に〝やらかして〟しまっている。
もちろん、伝えようとするメッセージは、悪くない。
腫瘍に冒された妻を救うため、新薬開発に奔走する研究者トム・クレオ、
そして、病床のイジーが書いた物語「ファウンテン」に登場する、
レコンキスタの時代、スペイン女王のために「生命の木」を追い求める騎士トマス、
その「生命の木」にまつわるマヤの伝説に描かれる偉大なる父トミー…
ヒュー・ジャックマンが演じる3人のトム(トミー、トマス)は、
愛する人を救おうと、永遠の命を追い求めるが、
その狂おしいほどの情熱のあまり、進むべき道を見失っていく。
中でも現代を舞台にした、トムの苦悩と葛藤は、哀切極まる。
妻を救いたい気持ちが募るあまり、その妻のメッセージが伝わらない。
危険な綱渡りを繰り返し、苛立ちのままに暴走するトム。
死を運命として享受するイジーと、
運命を変えようとするトムの擦れ違いは、あまりに悲しく、観るものの胸を突き刺す。
3つの世界で、苦闘を続けるトムが、
イジーの信じる永遠の愛を理解し、心の平安にたどり着けるか、はひとつの見どころである。
しかし、なのだ。
そうしたメッセージを伝えるのに、この構成、この映像はあまりに奇抜すぎる。
特に「生命の木」とともに、死後の世界を旅するトミーのパートは、
美しいビジュアルこそ目を見張るが、本質は丹波哲郎の大霊界も顔負けのトンデモ世界。
それが、何度となく同じ場面を繰り返しながら、
現実世界と中世の世界をつなぐという展開なのである。
まさにアロノフスキーの脳内世界を軽〜く通り越し、
妄想のそのまた向こうを見せられるような、そんな世界を見せられた気分だ。
もちろん、もともとのメッセージそのものには、
きっちりと一本スジが通っているから、それもわからなくはない。
わからなくはないんだが、辻褄を合わせようと考えたりし始めたら、もうダメだ。
考えれば考えるほど、結局何が言いたいのかすら、まったくわからなくなる。
そして、そのトンデモぶりは、
ヒュー・ジャックマンとレイチェル・ワイズの好演をもってしても払拭はできない。
その美しく、切ない2人の姿をもってしても、なのである。
製作をめぐっては、だいぶ難航したとの記事も目にした。
こうして、実際に観てみると、そりゃそうだろうな…、というのが正直なところ。
アロノフスキーの過去2作に魅了されたものですら、
この作品には、思わず「???」とならざるを得ないだろう。
願わくば、この「ファウンテン」が、アロノフスキーにとっての、
「天国の門」や「キング・オブ・コメディ」、
「フック」にならないことを祈るばかり。
そして、マット・デイモン、マーク・ウォールバーグが主演する次回作、「The Fighter」が〝復活作〟になることも、である。